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2011年6月

2011年6月30日 (木)

ラジオガールの宣戦布告

よにこも! 第13回


 「メタボPの慧眼」ってタイトルも考えました。
 ラジオ日本の「メタボP」が、ANNの「ラジオ王決定戦」翌週の佐藤(亜)の切れ具合を聞いて、「この子とラジオをしてみたい」と思ったんだそうな。


 それってこの回だよね。うん。確かにこの回の佐藤(亜)は飛ばしてた。これを聞いて佐藤(亜)にアプローチしたなんて、メタボPやるじゃんか。


 ところで第8回だったか、佐藤(亜)がDにぶち切れたのは。Dのフォローを振り切って「もうやめて下さい、だからもう、いいんです。
 もう私はリスナーの皆さんを信じるから。みんなを信じてるから。だから是非、送ってきて下さい。
 トランボンもね。送ってこいよ!」とリスナーに呼びかけたのは。


 あれから数回。トランボンさんの名は読まれることはなかった。
 でも途中、水樹奈々さんから「Dをdisるのも面白いやね(大意)」「Dを番組に引きずり出しちゃえ(要約)」みたいなことを受け、佐藤(亜)とDの間の、妙な緊迫感は感じられなくなった。


 それどころか、番組中、ちょいちょい男の笑い声が聞こえるようになった。あれDか?
 それって「構成の渡辺くん」方式ってことか?


 うん、まあDと仲良く面白くできればそれにこしたことはない。
 でも妥協はいかんよ妥協は。自分のやりたいことをやり抜け佐藤(亜)よ。


 でも「ラジオでは伝わりにくいコーナー」はどうかと思うぞ佐藤(亜)。


  ところでこんな企画やってたんだ(って知ってはいたけど、興味はなかった)。
 でも次回「オールナイトニッポン対決」と来たからには、ラジオ王王位請求者の名にかけて負けるわけにはいくまいよ。

「よにこも!」で憶えたトークスキルを見せつけてやりたいと思いますので、みなさんも応援よろしくお願いします

 事既ニ此ニ至ル佐藤亜美菜ハ今ヤらじお王称号奪取ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ。
 我ら臣民も励精職務を奉行し各々其の本分を盡す覚悟ですぞ。

2011年6月29日 (水)

ふしだらな夏

words
video


 タイトルだけで一発OKって曲があるよね。
 たとえば「星の温度」。片想いをしている女の子の、外からはわからない内に秘めた激しさを、一言で表現して余りがない。お見事。


 K2ではこれ。「ふしだらな夏」。「ふしだら」。最近あんまし使わない言葉で、聞く者が耳をそばだててしまわずにはいられない。
 

 年増の生活指導の先生が、生徒の行状を見てつい口走ってしまいそうな言葉。
 「まあ、なんてふしだらなんでしょう!」。
 でも生徒を非難する先生の声にもじっとりとした汗がまじる。
 暑さのせいだけではなく、生徒の言動を見ているうちに、とっくの昔に飼い慣らしたと思い込んでいた自分のなかの「欲望」が頭をもたげていることに気づいてうろたえる汗。


 そんな大人を横目で見ながら、未成年の少女たちは夏を待ち焦がれる。ふしだらな夏を。


 タイトルはうまいんだけど、この歌い出しはちょっとピントが定まらない感じ。

ふしだらな夏が来る/灼熱の太陽 連れ
そのすべて燃やすように/愛しさを加速させる

 「愛しさを加速させる」では「ふしだら」さが際立たないよね。「ふしだら」って言うと、不特定多数を対象とした恋愛を思い浮かべちゃうのに対し、「愛しさ」はちょっと一途な感じ、一人の人に注ぐ愛情の印象が強い。放縦さ、奔放さが薄れちゃうよね。
 

  「リオの革命」もそんな感じだった。あれもちょっとふしだらな感じで歌いだすんだけど、でも解放しきれないで終っちゃっていた。自由恋愛のへたれっていうか。


 これが秋元康のいっぱいいっぱいなのか、それともAKB仕様なのか。
 まあAKBの世界観だと「言うだけ言うだけ見栄っ張り」がメインストリームであるのは事実だが。
 ホントにふしだらな女の子は、ヲタ諸君の支持は得られないし。


 それはそうと、ホントは夏に「ふしだら」も「品行方正」もへったくれも無いよね。その季節に触発されて「ふしだら」になってしまう少女たちがいるだけなんだもん。


 それをまるで「夏」に責任転嫁しているような言い方。


 理性ではどうにもできない、自分でも手に負えない本能の有り様を、ちょっとネガティブ(つまりは自分でもイケナイってわかっている、なにしろ未成年なんだし)に表現して、かつ「ふしだらですけど何か?」と開き直ってもいる。


 ところでこの歌、アン・ルイスが歌った名曲、「ラ・セゾン」を思い出させる。

La Saison d'amour
言い訳台詞は必要ないわ

 こちらは「La Saison d'amour」(直訳すれば「愛の季節」、要するに発情期)に責任転嫁する歌なのだが、「ふしだらな夏」の後ろめたさがちょっと少ないかな。


 人間もヒトという動物の一種であるからには、種族繁栄のための生殖本能が働く。特定の発情期がないかわりに、年中発情期であるとも言える。
 若いころの恋心のほとんどが、要は性的衝動のあらわれなわけだ。でもそこに非動物的な、というか人間的な「愛」が絡むからおもしろい。時に美しく、時に愚かしい愛。


 余談だがこの曲って作詞「三浦百恵」だったんだねえ。
 三浦百恵、旧姓山口百恵こそ秋元康にとっていわば「アイドルの原点」だった。
 秋元が「目撃」ことはできたけど、「会う」ことはできなかった、永遠の片恋の相手。
 山口百恵というと、やっぱりこの歌

あなたに女の子の一番/大切なものをあげるわ

 「ひと夏の経験」が18歳、思春期の秋元康少年のハートをどう撃ち抜いたのか。


 おっと、タイトルだけでお腹いっぱいになっちゃった。

2011年6月27日 (月)

雨の動物園

words
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 K2の「企画物」第3段。秋元康いわく「小野恵令奈のゾウに尽きる」。
 つまりは小野にゾウの着ぐるみを着させるためだけに生まれた曲。えれぴょんにエレファントって、シャレか。
 B1では、この大役を渡辺が勤めている。
 「これぞアイドル」vs「CGアイドル」というわけだ。

雨の動物園/わざと選んだのよ
誰もいないデートコース
なんて 贅沢な/2人だけのために オープン

 直前の悲恋の雰囲気をいっきに吹き飛ばす着ぐるみの少女たち。言ってみればこのシアターに足を運んでくれたひとのためにオープンした「動物園」ってわけだね。


 出てくる動物は歌詞の通り。歌詞には仔鹿が出てくるのだが、着ぐるみはない。なんでだろ。
 ペンギン担当の早野もなんで子鹿がないのか気になっていた由。当初は9人ユニットを想定していたのかもしれませんね。


 踊りも歌も着ぐるみも幸せたっぷりの一曲。
 せっかくだから「雨の動物園図鑑」。


 キリン:最初見たときは色違いのヒョウかと思いましたよ。あの赤いの、キリンの柄だったのね。キリンの特徴がなに一つ現れていないキリンさん。首の長さの表現はちと難しかったろうが、せめて角はついてないと。象と並んでこの曲のセンター的ポジション。Kでは小林(大王即位前)、Bでは片山がつとめている。小林、音域がちとあってないのかな、歌い出しが苦しそう。


 ライオン:たてがみですぐにライオンってわかるよね。Kでは松原、Bでは早乙女。あんまし映ってないのね。しかしライオンといえば、元祖を忘れてはいけないよね、ライオンさーん がおー。


 チンパンジー:Kでは、Bでは多田と、どっちも年少さんが演じたチンパンジー。奥は怒ってるの? って感じ。一方多田は終始右頬にえくぼが見える。ステージ中ずっと笑顔だったってこと。同じ年少さんでも奥との最大の違い。


 象:この歌の主役。小野 vs 渡辺 甲乙つけがたい王道アイドルの2人。ちなみに日本青年館2006第2公演では、ギャルに進化する前の板野だった。Team Aには、「王道アイドル」の人っていなかったんだねえ。当時の板野がぎりぎり一番近かったのだけど、ほら、その後ともちんあんな感じだし。前田が象さんやったこともあるけど、前田も王道アイドルからはかなり隔たってるしねえ。そう考えると、Team Aっておもしろいね。


 シマウマ:Kでは梅田、キバの生えたシマウマさん。梅田はその後キバを抜かれてしまうのだけど、キバがあった方が好きだった。もちろんキバがない方が顔のバランスはいいし、べっぴんさんになったのは間違いないのだけれど。うまく言えないけど「hook」とか「glitz」のようなものが無くなっちゃった感じ。Bでは菊地。すらっとしててちょっとエロいシマウマさん。


 ラクダ:タヌキだろこれ、って思いましたね、最初見たときは。どこがラクダかというと、ほら、背中にコブらしきものが一応あるの。Kでは今井、Bでは野口。どっちも卒業しちゃった。ラクダは鬼門なのかな。Team Aがやった時はラクダ自体出て来ませんでした。


 パンダ:Kは「こんなにパンダが似合う人はいない」と言われたという野呂だが、Bの松岡もなかなか。後にはあんな風になちゃう野呂もこのころはカワイイパンダさん。松岡はちょっとべっぴんさん風。


 ペンギン:Kでは早野。なんかくしゃっとした顔して、可愛かったねえ。Bの平嶋は、Team Aにいたときにはシマウマをやったことがあった。この時、将来ペンギンになるなんて夢にも思ってなかったろう。


 ところでこの動物園ってどこなんだろう。
 「パンダ」が出てくるので上野動物園だろうって? でもあそこは雨でも込んでるしなあ。
 パンダがいるのは上野だけじゃないんだって実は知りませんでした。こことかここでもパンダは見られるんだ。


 動物園へは動物を見に行くのだけれど、実は見られているのは人間なんじゃないかって思うことがままある。

なんだか 私たち 見てるわ/きっと羨ましいのね

 などとデートでうきうきの女の子は言うのだが、まあそ羨ましがられてはいないよね。まあ

本当は 柵の外/私たちが見られてる
絶滅の危機にある/ペアルックの私たち

 の方がありそう。


 実際動物園では「人間も動物の一種」って観点の展示、というか仕掛けをすることがある。


 ニューヨークのブロンクス動物園ではのぞき込む人が映る「最も危険な動物」と題した鏡を展示しているという。山崎豊子の「沈まぬ太陽」で有名になった。
 この展示、話としてはよく聞くのだけれど見たことはない。実際に行った人のレポートがあったが、この展示は見つからなかった。
 小さいころにブロンクス動物園へ行った人の思い出話には出てくるエピソードなので、昔は確かにあったらしいが今は不明。


 似たような展示がインドのクロコダイルバンクにあって、こちらは写真があった。ちょっとチープな感じだが。


  イギリスのブリストル動物園では、お客さんがくつろぐカフェの外壁の所に「ヒト」を展示しているかのようなプレートが貼り付けられている。動物園で掲示したものではなく、イタズラなのだが、よくできているのでそのままにしてあるそうな。

2011年6月26日 (日)

夕日を見ているか? ひまわり2.0Mix

 words
 最初聞いたときは好きになれなかった。
 自分を甘やかし過ぎてる感じがしたから。


 気がついたら最近、寝る間際に聞くことが多くなった。
 もうろうとした頭に詞が沁みいる。

それなりの今日が終わり/すべてをリセットする夜が来るよ

 全てを包み込む夜の中で、自分が消え去る錯覚に陥りながら見る夢がありがたく快い。


 きっと疲れがたまっているんだろう。


 それにしても秋元康は、年端もいかない女の子たちになんて深遠な智恵を授けたのだろう。

夕日が沈む空を見ているか?
今を受け入れること/進むことを教えてくれる
失うことは何かを/いつか必ず手に入れられること

 「何かを手に入れることは、必ず何かを失うこと」と歌わせなかったのは、人生の先輩としてせめてもの配慮だったのかもしれない。


 夕日は沈み、あいにく点線のような星は見えなかったが、今日という日はもうすぐ終わろうとしている。
 今日は、「明日は明日の君が生まれる」と歌った人が本当にこの世に生を受けた日。


 大切なのは今を受け入れ、そして進むこと。
 立ち止まることなく進んでさえいれば、何度でもリセットすることができる。
 僕らの生まれたのは、なんて素敵な世界。

2011年6月23日 (木)

Flower

words

 Amazonから大きな箱が届いて、中からCDが3枚。「Flower」が3つ。
 えー俺こんなに頼んだっけ? 頼んだんだね間違いなく。同じ生写真3枚。
 別にそんなに前田のこと好きなわけじゃないのに(もちろん嫌いでもないです)、どうしちゃったんだろう。


 うん。別に大して好きじゃないけど、時々はっとするほどアトラクティブな表情の前田に遭遇して、目が離せなくなることがあるんだよ。
 知ってるよ。たとえば「夕日を見ているか」のPVの前田。

Yuhimaeda_2


 でもこのCDのジャケ写、なかのフォトブック、どれももう一つなんだよなあ。この人、一人でない方が輝くのかなあ。


 で、その前田のソロデビューシングル。

心の片隅 Flower/小さな花が咲いた
あの日の願いは/ゆっくりと
日向の中 咲いた

 てっきり「『僕』の歌」で来るのかと思ったら、ストレートで来た。思いっきりストレート。何のしかけもない、直球。


 ちょっと前からちょくちょく耳にするようになってて、あんまりぱっとした印象はなかった。歌詞もよく聴いてなかった。 


 で、じっくりと読みながら聞いてみた。


 そしたらわかった。わかっちゃった。


 この歌は、秋元康から前田に送られた、心からの感謝と愛。

あなたのひたむきさが/太陽のように
くじけそうな私に/勇気くれた

 この「あなた」と「私」って、「前田」と「秋元」であると同時に、「秋元」と「前田」なんだわ。
 

 くじけそうだったのは、前田でもあり、秋元でもあったんだ。

季節は知らぬ間に/空だけ残して
まわりの景色を変える/名もない花

 秋元が心血を注いだAKBをとりまく景色は、知らぬまにすっかり変わって行った。
 その中心にはいつも前田がいた。最初はぱっとしない、臆病で後ろ向きな女の子だった。
 その子が、まるで堅い蕾がほころぶように花を咲かせた。前田の夢を咲かせたのは秋元だった。
 でも同時に、それは前田(と女の子たち)が秋元の夢を花開かせる過程でもあった。
 

 前田が今度の総選挙で1位に返り咲いた時、秋元は泣いたってさ。
 今、花が咲いた。前田の花と、秋元の花。そりゃ泣くさ。泣いちゃうさ。

じっと眺めていると/涙溢れて 止まらなくなる
もし あきらめてしまったら
何も咲かない/土だったんだ 

 前田のおかげであきらめずに済んだ。
 秋元康、ほんとに前田のこと好きなんだな。大好きなんだな。
 立場上、それを認めるわけにはいかないだろうけど、こんなに愛が溢れた言葉を最近書いてなかったでしょ、秋元先生。
 たとえ

ここまで育った/この花は
まるで愛のように…
まるで愛のように…

 って、それは「愛のようで愛ではないんですよ」と誤魔化そうとしてもそりゃ無理だ。


 歌の中で愛が花のように咲き誇っているもの。


 先生、あなたは心から前田敦子を愛しているんですよ。

2011年6月21日 (火)

禁じられた2人6

words
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 まさかまさかの6回目。もう書くことないでしょ、と思いきや。
 「禁じられた2人」という楽曲の持つインパクトの広さ・深さのせいです。


 同性愛を扱った文学や芝居、マンガはたくさんある。BL、GLまで視野に入れると文字通り枚挙に暇がない。
 じゃあ、「禁2」のような、同性同士の恋愛の「歌」はどうなのだろう。これまでだらだら書きながら、これまで聞いてきた曲を思い出したり、調べたりしてみた。


 最初に思い出したのはこの曲。当時日の出の勢いだったサザンオールスターズ、2枚目のLpより、「ブルースへようこそ」。
 

 はじめて聞いた時は何歌ってるのかわかんなかった。確か初版のLpの歌詞カードには、この曲の歌詞伏せ字だらけだったんじゃなかったかな。ま、当時サザンはシソー家たちによって「歌詞を脱構築(デコンストリュクシオン)する」だのへったくれだの言われてて、語義を追うこと自体が前近代的などうしたこうしたなどという風潮があったので深追いはされてなかったのだが、

おとこのがいいの ただひとつ気になるのはみそよ

 「みそ」とはなんぞや、とサザンを聞いてるクラスの連中の間で熱いディスカッションになったりはしたのだ。
 で、結論からいうと、「みそ」とは「うんこ」だ、と。

恋したらしいの????のに/気持ちがこれ程いいとは

 リンク先では「????」となっているが、実際にはここは「掘られる」だ。
 歌の最後で

Oh、みそがつく/Oh、みそがつく
Oh、みそがつく What is an ????/手が届くだけで姿を見せない

 「????」は、明らかに「ass hole」だ。


 以上をまとめると、「ブルースへようこそ」は男性同性愛の風景であり、具体的には「肛門に挿入した陰茎にうんこが付着する」ことを歌っている、ということであった。


 当時肛門性交という知識はあったが、イメージは「ジルベールとセルジュ」しかなかった僕には、結構な衝撃であった。
 そっか、やると「みそ」がつくんだ…。


 今から思えば「加工」されていない同性愛の歌の直撃。そりゃ流通しないよなあ。てか桑田さん桑田さんどーかしてるよアンタ。


 もう少し流通しやすくしたのが、accessの一連の曲だった。
 SCANDOLOUS BLUEとか、歌詞には特徴はないのだが、PVは男性同性愛を前面にしている。
 ま、御大がゲイか否かというのはおいておいて(え?)、当時のaccessの売り方はちょっと「薔薇営業」っぽかった気がする。


 もう少しストレートな曲と言えば、スガシカオの「はじめての気持ち」。

はじめてのこんな気持ちを 誰かに話したいけど
君がぼくの友達の弟でさえなければ…

 女の子大好きなシカオちゃんがどうしてこんな曲を書いたのか知らないが、この曲の印象は不思議と「同性への恋慕と苦悩」という色彩が薄い。


 背徳的な匂いのある状況であれば、これが「友達の弟」ではなく、「友達の彼女」でも「兄貴の嫁さん」でも「親父の後妻」でも「息子の恋人」でも成立しちゃうような歌。さすがに「女房の親父」では飛びすぎなんだろうが。


 障害のある恋愛をテーマにした歌で、たまたまその障害が「同性」であった、という程度の重さ(というか軽さ)しかないように聞こえる。それはそれである種「ノーマライゼーション」の一つと考えることもできるかもしれない。


 そして最後はとても個人的な話。
 世間に流通した音楽というわけではないのだが、どうしても書いておきたい曲。
 もう30年以上前のこと、僕が思春期まっさかりのころ、芝居にはまったことがあった。
 当時地方に住んでいた僕は、休みになると電車に乗って上京し、芝居を見て、最終近くの電車で戻り、夜遅く自転車で家に戻った。
 天井桟敷、東京キッドブラザース、そしてつかこうへい劇団。パルコ劇場で見た「いつも心に太陽を」。


 風間杜夫と平田満のおかしくも哀しい男同士の歪んだ愛情。客席で泣きながら見ていました。その時流れていたのが、大津あきら(当時は彰)のこの

過ぎていく夏の日々 また俺は残された/熱い夢 長い髪 胸焦がす思いも
夕凪のまぶしさに 思わず目を閉じて/この肩にもたれた あの日の微笑み

 歌詞には男性同性愛を思わせる言葉はないが、聞きながら目を閉じると抱き合う主演2人の姿とそれを見ながら号泣している僕の姿が甦る。


 とまあ書いているうちに、「禁2」から遠く遠くへ来てしまったねえ。


 調べて思ったのは、「薔薇」の歌はそこそこあるけど、「百合」の歌ってホント少ないね。
 というかはっきり「百合」とわかるのは「禁2」、そしてこの後控えている大物、K4の「おしべめしべ…」くらいだった。「百合の歌」ご存じの方はご教示いただければ幸甚です。


 ん? これっていわゆるニッチ
 それを見て秋元センセイのソロバンがパチンと動いたのかもしれませんな。


--


 最後に「百合」、秋元センセイつながりのこと。ホントこれで最後にしますって。


 「百合」をカミングアウトしたアイドルとして一時話題になった星井七瀬。実際の所は「女の子を好きになったことがある」くらいのことだったのだが、「レズビアンを告白」などと扇情的に書かれてしまい、その後姿を見かけなくなってしまった。可愛らしい顔でセックスピストルズとかニルヴァーナが好きというミスマッチがステキだったのに…。
 

 この星井七瀬が「3代目なっちゃん」として売り出されたときの曲が、「ガラスのクツ」。
 オーディションを受けに来たアイドルの卵の、不安と決意の歌。

だってChance! やってみなきゃはじまらない
だってChance! トライしなきゃもったいない
キセキは勇気の隣に

 この後にCMで使われたなつかしのフレーズが続く。
 えーこういう、アイドルを目指す女の子が根性出すって歌詞、最近よく聞くよねえ。
 そう。秋元センセイ、2003年の御作でした。

「かぼちゃの馬車に乗りたい」/つぶやく女の子たち
もう1人の私を信じて/私らしく踊るわ

 「オーディションに来た他の女の子たちとは私はちょっと違って、アイドルらしく振る舞うのは難しいけど、でもここはひとつ自分の中に潜む『もう1人のアイドルらしい私』を信じて、自分のコントロールを渡してしまいましょう、それでも私は私だから」ということなんでしょう。
 秋元康お得意の「アイドルを演じようとするアイドル」=「メタ性・自己言及性」的歌詞。


 星井は「なっちゃん」と呼ばれるようにわざわざ「七瀬」と芸名をつけたという。後年、「『なっちゃん』と呼ばれるのが不本意だった」「作り物の私を好きになってもらっても嬉しくない」などとブログに書いて物議を醸し、やがて芸能界から消えていった。

12時の鐘が鳴っても/夢から覚めないように

 と秋元康は「なっちゃん」のために書いたのだけれど。


 夢は覚めちゃったんだね、なっちゃん。

2011年6月20日 (月)

禁じられた2人5

words
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 ええええー、「禁2」でまだまだ語るの-?
 すいません。そうなんです。
 この曲を聞いて、いろんなことを考えてしまったので。


 この曲は女性同性愛、俗にいう「百合」の世界が歌われている。「百合」ゆえの悲恋(と恐らくは心中)。


 秋元康があえて「百合」の歌を書いた理由は詳かにしないが、少なくとも客はそれを好意を持って受け入れた。残念ながらAX2011では圏外となってしまったが、「青春ガールズ」公演がNMBによってリバイバル上演されたAX2012での返り咲きも期待できる(見てみたい)。


 「禁じられた2人2」で書きかけたのだが、人々がこの曲を見たがる背景には、同性愛に対する好奇心があるのは間違いない。

ぶっちゃけて言うと、「ノンケもホモは好き」。ヘテロセクシュアルの人もホモセクシュアル(女性同性愛も含む)が気になって仕方ないのだ(それは時に当事者にとって迷惑なことでもあろう。ホモフィリアとホモフォビアはコインの裏表のようでもある)。

 ホモフィリアとは、ここでは「自分の性的指向は異性愛であるが、同性愛に対する肯定的な関心が強い人」くらいの意味である。
 まあ典型的には801板の住人の皆様ですよね。


 男性同性愛を偏愛する女子(腐女子←つーか一発で変換してるんじゃねえよATOK)と「禁2」に萌えるヲタというのは、よく似た構造と考えていいだろう(否定する当事者はお互いに圧倒的に多いと思われるが)。


 ところでAKBが女性同性愛に親和性の高い環境の集団である、と以前書いたが、少なくとも実際に「女性同性愛」を公言しているメンバーはいない(まあいてもするわけないけど)。
 そういう「非百合」メンバーが入れ替わり立ち替わり「百合」を演じ、ホモフィリックな聴衆がそれに喝采を送っている状況について、ホントの「百合」の人はどう感じているのだろうか。
 

 「百合」ではないが、「百合」っぽい言動をすることによって「百合好き(ホモフィリア)」層の支持を得ようとすることを「百合営業」というらしい。まあソースがソースだけに、記事の信憑性が不確かなのは確かなのだが、そういう言葉あるのは事実だし、言葉のニュアンスはわかる。
 発信者も消費者もヘテロセクシャルである「百合」。


 そこには流通しやすいような加工(誇張された戯画化や悲劇化)が行われている。
 「ノンケもホモは好き」なのだが、それは「ノンケ向けに味付けされたホモ」である必要がある。あまり濃い味だと、一般向けに売れる商品にならない。


 たとえば、女性同性愛をカミングアウトしたアイドル同士が「禁2」を歌ったら、それを見たヘテロの客は心置きなく「ヒューヒュー」って言えるかということ。
 たぶん言いづらいよねえ。ちょっとシリアスになりすぎちゃうもんねえ。聞いてる方は「これってフィクションでしょ」という前提があるから気楽に楽しむことが出来る。


 そういう薄まった「百合」、ステレオタイプな修飾がされた「百合」を、ホントの「百合」の人はどう思うのだろうか。


 嫌悪感とかを抱くことはないのだろうか。


 で、「禁2」にも「百合営業」の匂いが少しするのは事実である。好きな曲だけに、気になるところ。
 

 もっとも秋元康の場合、「え、営業ですがそれが何か」とあっさり言いそうだよね。


 何しろAKBは「恋愛禁止」が建前なのに、歌ってるのは恋の歌ばっかり。これだって「営業」には違いないよね。一方で恋愛の当事者は「オトコ・オンナ・ゲイ」がデフォルトなんだって秋元は初手っから言い切っているのだから、「恋愛してない(建前の)メンバーによる恋愛の歌」と同じように「百合ではないメンバーの百合の歌」があるのは、当然っちゃ当然。

 
 フツーではない、と思い込まれていたことが、フツーになるということ(ノーマライズ)とはこういうことなのかもしれないなあ、と思ったりもして。
 だとしたら、もう少しAKBの「百合」の歌を聴いてみたい気がする。

2011年6月16日 (木)

ラジオガールの欣喜雀躍

よにこも! 第11回


 久しぶりのラジオネタ。


 選抜総選挙で18位を獲得し、選抜入りを果たした佐藤(亜)。「よにこも!」でも冒頭からご挨拶とお礼の言葉。
 

 第1回は奇跡の第8位、でも第2回で18位と大幅に順位を落とした佐藤(亜)。新規ファンや浮動票が大量に増えた第3回総選挙ではさらなる大幅な順位下落が心配されたが、きっちり踏ん張った。


 さて、選抜総選挙は2009年から開始され、今年で3回めとなった。この3回の選挙を全て勝ち抜いて選抜入りしたメンバーは、現在15名しかいない。
 すなわち、小嶋、前田、板野、高橋、大島(優)、河西、峯岸、宮澤、篠田、渡辺、柏木、秋元(オ)、北原、松井J、そして佐藤(亜)。


 言い方を変えれば、これこそが、最もファンに愛されており、かつ愛され続けているメンバーのリストと言うことができるだろう。


 このリストのうち、佐藤(亜)以外のメンバーは、いわゆる選抜常連である。最も選抜回数の少ない北原、松井Jでさえ、次回の24th(メジャー22nd)シングルで12回めの選抜となる。


 ひるがえって佐藤(亜)の選抜回数は、今度でわずか3回目。
 「言い訳Maybe」、「ヘビーローテーション」、そして次のシングル。いずれも総選挙による結果である。選挙以外で佐藤(亜)が選抜されたことは一度もない。


 つまり、「全ての選挙で選抜入り」を果たしながら「選抜入りは選挙の時だけ」というメンバーは、佐藤(亜)ただ一人なのである。


 はい、こことってもとっても大事なことなので、もう1回言いますね。

「全ての選挙で選抜入り」を果たしながら
「選抜入りは選挙の時だけ」というメンバーは、
 佐藤(亜)ただ一人。

 どれくらいの人が気づいているのかわからないけど、これって、小さな奇跡だよね。


 佐藤(亜)は映像系メディアの露出が多いわけではない。決して目立つ子ではない。運営による「推され」「干され」で言えば、残念ながら「干され」に近い位置にいると言わざるを得ない。


 だから、新規にファンになった層が、彼女の顔と名前を知るのは、ずいぶん後になるだろう。
 いわゆる「神7」に柏木、最近では指原、横山、SKEの松井JR、NMBの山本等々。これらそうそうたるメンバーを知った後に、人はやっと「佐藤(亜)」に出会う。
 

 だけど佐藤(亜)に出会って、一度彼女を愛したファンは決して彼女を支えることをやめない。
 それが

「全ての選挙で選抜入り」を果たしながら
「選抜入りは選挙の時だけ」というメンバーは、
 佐藤(亜)ただ一人。

 が意味するところだ。


 だから上に掲げた、「ファンに最も愛されており、かつ愛され続けているメンバーのリスト」で一番輝いているのは

佐藤亜美菜

 あなたの名前です。


 愛されたい愛したい、でもやっぱりホントに愛されてるラジオガール。
 おめでとう。本当におめでとう。


 よにこも!放送中、彼女は選抜に選ばれたことよりも、大好きな水樹奈々さんからコメントを貰ったことを喜んでいるようだった。


 そういう佐藤(亜)のことがみんな大好きなんだけどね。

2011年6月15日 (水)

禁じられた2人4

words
video

 おいおい「禁2」だけで4までひっぱちゃったよ。
 だって語りたいことがいっぱいなんだもん。


 今回はまずB1の「禁2」について。


 B2では、大島(優)のポジションを柏木が、河西のポジションを仲谷が演じている。


 「禁じられた2人」柏木&仲谷


 衣装や構成は基本的に同じ。フィンガーレスグローブも、柏木は右腕、仲谷は左腕とK2を踏襲して正しい装着。


 歌い出し、表現力という点では大島(優)に一日の長があるものの、声自体は柏木の方が澄んでおり、音域もあっているようだ。


 DVDを見てておやっと思ったのは、柏木、右手の親指に指輪をしているのね。Thumb ring サムリングというヤツ。


 古来サムリングは権威、権力の象徴と言われている。さらに、女性の右手の親指のサムリングは、同性愛者であることを示している、とのもある。


 大島(優)に比べよりフェムな印象の強い柏木に、力強さと妖しさを加えようという意図であるならば、芸が細けーな、演出。もしも柏木が自分の判断でサムリングをしたのであったら、それはそれですごい。


 そして仲谷!
 誰だ! 仲谷を河西ポジションに抜擢したヤツは。


 …


 あんた天才だね。


 コレはもう嗜好でしかないのだが、河西よりむしろ仲谷の方にエロさを感じる向きも少なくないのではなかろうか? 
 清楚な顔立ち、そして眼鏡(しかもレンズ入り)。それでいてサビで腕のウェーブが体に伝わってくねらせるところなど妖艶さすら感じられる。


 大島(優)&河西に比べると表現があっさりとしており、もとの「禁2」の世界観とは異なっている点に不満がある人もいるかもしれないが、これはもう、別の世界と考えた方がいいのだろう。


 それを象徴するように、セリフも書き換えられている。

そばにいるだけで、胸のどこかがキュンとするんです。
こんな気持ちになったのは、初めてです。
私、何だか変ですね… キスして下さい。

 オリジナルのセリフがもう二進も三進も行かない恋の泥沼にはまった二人を表しているとするならば、このセリフは同性に惹かれる恐れと不安、それと同時に自分の中に芽生えた愛に気づいた喜びを表現している。


 パッと見清純風の仲谷が「キスして下さい」とはっきりと言い放ったとき、シアターには思わず感嘆の声がもれた(と思うよ。見てないけど)。


 これに呼応する柏木のセリフ。

私たちの気持ちは、みんなにはきっと 
わかってもらえないでしょう、
でも、後悔なんかしていません。眼鏡を取ってもいいですか?

 も、オリジナルの「相対死」を予感させるようなものはなく、「眼鏡を取ってもいいですか」=「私たちの関係を、もう一歩進めてもいいですか」というように、前向きのものになっている。
 ゆきりんとなかやんは死なないで済みそうだね、どうやら。


 チームのカラーや特徴を考えると、このような変更は表現者にとっても楽曲にとっても幸せなことなのではなかろうか。
 何でも先輩チームと同じやり方がいいってもんじゃないよね(←でも演出がちょっと違うと「そこは違うだろうと突っ込む癖に)。


 そうなると気になってくるのは他のコンビでの演出。


 ソースが入手可能なものについてチェックしてみた。


 日本青年館2006第2公演、高橋&中西による「禁2」。
 大島(優)ポジションの高橋は、定跡通り右手にグローブ、河西ポジションの中西は左手。いいよーいいよー。これが正しいのよ。
 Team Kの楽曲を、先輩TeamA がどう料理するか、という興味のつきなかったであろうコンサート。
 結論から言うと、高橋&中西が見せたのは、大島(優)&河西とは異なった愛の形。
 オリジナルは「姉妹」っぽさを感じるのだけれど、高橋&中西は「成熟した対当の二人の愛」。だって河西ポジションの中西の方が高橋より大きくて、最後に抱き合うところではわざわざ中西が一段下にいるんだもの。それでも当時のエースを投入して貫禄を見せつけた感じ。
 惜しむらくは、「どうぞ」を二度繰り返して半音上がるところで、お互いを初めて見つめ合うフリが無かったこと。だってあそこのフリ、好きなんだもの。
 ちなみに大島(優)が囁いてみせた転調後のhiC#の「まま」を高橋はファルセットでクリア。


 JCBホール2008、柏木&小野による「禁2」。
  柏木はちゃんと右手にグローブ。だが小野も右手だ。
 だーかーらー、違うんだってばー。
 「どうぞ・どうぞ」の見つめ合いは出来てます。


 パリ2009、松井R&河西による「禁2」。コメントによれば練習風景とのこと。セリフはフランス語。グローブはちゃんと右、左。松井Rは大島(優)のフリを忠実に再現しようとしているが、少々柔らかさに乏しいと言うべきか。棒が突っ立っているように見えることもあった。松井RのhiC#は地声だと思う。


 横浜アリーナ2010第3公演、前田&なちゅによる「禁2」。
 グローブも何も、セーラー服を着ての「禁2」。
 なちゅはパロディめかして歌っており、会場からは笑いもこぼれているのだが、前田はびっくりするほど真剣。大島(優)とはまた違った表情を見せている。顔を見つめ合うシーンも前田は真剣。
 ほんっと前田って、不思議っていうか面白いっていうか、一筋繩ではいかないっていうか。hiC#はファルセット。


 代々木体育館2010第2公演、高城&指原による「禁2」。
 そもそも高城はフィンガーレスグローブをしていない。その代わり本来は左の上腕につけるべきアームバンドを、ナゼか右手の前腕につけている。ヲイヲイそれ付けるとこ違うよっ。誰か教えてやれよっ。
 指原はと言えば、本来左手に付けるべきグローブは右、アームバンドは左上腕。
 違う、何もかもが違ーう。これが指原クオリティなのかっ!
 見つめ合うシーンは出来てるが、なんだか決められた動きを一生懸命やっているようで情感に乏しい。指原、声はいいんだけどなあ、動きがぎこちないなあ。
 高城は表情も所作も声もいい。hiC#も地声で軽々歌ってるし。余談だが「てもでも」の高城を見てもそう思ったのだが、この人も天才? 


 SKE48 愛知県芸術劇場大ホール2010、大矢&石田による「禁2」。グローブはちゃんとしている。大矢は何とか歌と踊りを憶えました、というレベル。でもhiC#は余裕で地声。石田は憶えるのはクリアして、その後何とか表現しようとしている感じ。


 「Blue rose」といいい「禁2」といい、K2はいろいろ見比べたくなるユニット曲が多いねえ。
 見比べて思ったのは、Kの大島(優)&河西によるオリジナルのスタンダードに対し、Aの高橋&中西、Bの柏木&中谷は少し違う解釈で成功している、ということ。
 あとオリジナルを模倣しようとしてもそれを越えることは難しいんだなあ、ということも。その中でも一番オリジナルに迫っていたのは、前田と高城かなあ。

2011年6月14日 (火)

禁じられた2人3

words
video

 「禁じられた2人」は見れば見るほどいろんなこと書きたくなっちゃうんだよねえ。
 今回はステージについて。
 

 オリジナルは言うまでもなく、K2。まずはここから。


 ステージのセリは下手奥が一番高く、そこから上手、舞台前に向けて下がっていく。
 白のロングドレスを着た大島(優)が、イントロの間下手奥の最も高い場所に向かってゆっくり登っていき、振り返って歌い出す。
 マイクは左手に持ち、右手にはフィンガーレスグローブ、左の上腕にはアームバンドをつけている。


 秋元康が「すごい」と評した大島(優)の表現力がのっけから全開。目は哀しみを湛えながら表情はやや微笑んでいる。「泣きながら微笑んで」。
 ただし歌がうまい、というわけではない。音程はややぶれるし、声はかすれ気味。でもそれが何だってくらい歌に入り込んでいて美しい。


 上手前方、舞台の低いところに河西、大島(優)と違った甘い声。マイクは左手、フィンガーレスグローブも左手で右腕の上腕にアームバンド。
 衣装はピンクのワンピース、短いパニエスカート(でいいのかな? こういう形状のスカートは)から見える足がきれい。


 二人ともとてもフェミニンな姿なのだが、ロングドレスの大島(優)は大人らしさを、パニエスカートの河西は若さを表現していて対照的。


 二つで一組のフィンガーレスグローブを一つずつ使っているのは、二人の絆を表しているようでもある。


 二人は歌いながら舞台上をさまよいながら、でもなかなか近づかない。それはまるで愛しあいながら結ばれない二人を象徴しているかのよう。
 近づかないどころか、二人は目を合わせることもほとんどない。


 そしてサビ。

どうぞ/叶わないこの恋を
許してね/胸に秘めたまま

 この「まま」の部分を、大島(優)はため息を吐き出すように囁く。
 恐らく大島(優)の音域的にぎりぎりのところなんだろう。メロディに乗せないことで結果的に切ない情感にフィットしている(スタジオレコーディング版でも同様の歌い方をしている。なおAX2010では「まま」の前の「ま」までメロディに乗っている。音の高さでいうと、hiBかな、ちょっと自信ないけどここが彼女の最高音なのかもしれないすいませんすいません。大島(優)は、「泣きながら微笑んで」で地声でhiC、ファルセットでhiEまで出してました。謹んで訂正いたします)。


 サビの部分で二人は腕をひらひらとさせてウェーブを踊るのだが、直前で河西はマイクを右手に持ち替え、フィンガーレスグローブをつけた左腕でウェーブを作る。大島(優)もやはりグローブをつけた右腕で同じ所作。


 そうすると舞台上では二人のフリは鏡面対称となる。下手に大島(優)、上手に河西。どちらもウェーブを踊るのはグローブをつけた腕。
 わざわざ大島(優)が右腕に、河西が左腕にフィンガーレスグローブをつけているのは、このウェーブの所作をより美しく見せるために違いない。
 

 この後の河西のセリフは、ま、正直なとこ、ちょっと棒読みっぽいの。


 第2スタンザ、AメロBメロと続き、やはりサビのところでは鏡面対称となるようなウェーブ。


 間奏の間に二人は舞台中央に。やっと二人寄り添ったと思ったら、何故か背中合わせで歌い、すぐに離ればなれになってしまう。


 そして最後のサビ

どうぞ/どうぞ
叶わないこの恋を/許してね

 二度めの「どうぞ」で音程が半音上がり、その時離れた二人は振り向きやっとしっかりと見つめ合う。今まですれ違っていた分まで心を通わせようとするように。


 大島(優)の最後のセリフの間に河西は大島(優)に近づき、最後は手を握って終わる。この時も二人は目を合わせないまま暗転。あの刹那見つめあえたら、それでもう二人の間で確かめることは何もない、と言わんばかりの幕切れである。


 うーん、何度見ても練り込まれたコリオグラフだ。


 大島(優)の女優魂も炸裂して、幕切れの「ゆうこー」という声援が大向こうの掛け声のようでもあった。


 一方、「エロい」と評された河西だが、DVDのソースからはそれほどの「エロさ」は感じられなかった。たまたまDVDの録画日がそうだったのか、またはD「何言ってるの、現場ではエロエロでもうたまんなかったんだよ」ということなのかも知れない。ライブってのはまさに「生きてる」ものだから。


 ところでAX2008、「禁2」は堂々8位に選ばれた。当時いかに人気の曲だったかがわかる。
 それを見返したところ、あれ? 優子さん、グローブ左手につけてる。逆だよ逆、これじゃウェーブの時、鏡面対称にならないじゃん。
 

 AX2009ではどうか。大島(優)はちゃんと右手にグローブ。ほ、これでよし。


 さらにAX2010でも確認。右手。やっぱ2008だけ間違ったのかしら。


 AX2011は… 圏外にもれちゃったのね、「禁2」。


 うわあ、B1についてと、他のコンサートの「禁2」についても書きたかったのに。何かまだまだ続きそう。
--
 今さらながら「最下層アイドル」落手読了。くっそーまた「涙」を買っちまった。ますます深みにはまっていくよー。

2011年6月13日 (月)

禁じられた2人2

words
video

 秋元康は、AKBプロジェクトのしょっぱなから、こう言い放った

ねえ この世にはオトコ・オンナ・ゲイしかいないの

 ゲイというのは男性同性愛によく使われる言葉であるが、現在では女性同性愛も含む用語として使用されている。


 秋元が詞を書くとき、どれくらい真摯に「ゲイ」のことを考えているのかはわからない。しかし最初に

そんな簡単な答えくらい/私にもすぐわかるわ

 と言われた日にゃあ、「はい、わかりました」と言うしかないじゃないの。


 だからAKBの歌詞を読み解くときには、男女の恋愛の歌、と軽々に決めつけないようにしようとは思っている。前曲「Blue rose」みたいに。
 佳曲の多い「『僕』の歌」についても、これまで「僕」を便宜的に男の子の一人称として解釈させて貰っているが、FTMかも知れないじゃんと言われれば、それも成立する曲は少なくないだろう(実際「僕」が女の子とすると「もののあわれ」が深まる曲も少なくない)。
 

 という前提に立ってみるまでもなく、この曲は

罪は/女同士

 と明示しており、女性同士の悲恋を歌っている。俗っぽく言えば「百合の歌」。


 叶わぬ恋が切ないのは異性間でも同性間でも同じだろうが、同性の方が障害が多いだろうことは容易に想像がつく。それを「罪」とする文化もあるし、当事者自身がそれを「いけないこと」として自分を許すことができないことも少なくないだろう。
 

 そのような困難にも関わらず、または困難の故に同性同士の恋愛には、当事者以外をも惹きつける魅力がある。
 ぶっちゃけて言うと、「ノンケもホモは好き」。ヘテロセクシュアルの人もホモセクシュアル(女性同性愛も含む)が気になって仕方ないのだ(それは時に当事者にとって迷惑なことでもあろう。ホモフィリアとホモフォビアはコインの裏表のようでもある)。


 この曲を書いた理由について、秋元康は「河西はエロい」「優子の表現力はすごい」という認識があったからだと述べている。でもそれは理由の半分でしかない。


 「河西のエロさ」と「大島(優)の表現力」を充たす器として彼が「百合の歌」を書いたもう半分の理由は、恐らく「人々がそれを見たいと欲する」と秋元が確信していたからだろう。
 シアターにつめかける客のほとんどはヘテロセクシュアルで、性的にはマジョリティに属する男性がほとんどだろう(うーん、多少ペドフィリックな傾向あり?)。だが秋元は河西と大島(優)の演じる「百合」の世界に客が魅了されることをわかっていた。なるほど「ノンケもホモは好き」。
 

 「”生きる”ということは"目撃する"ということ」と秋元康は言う。ならば人々が目撃したいと欲することを見せ続けることこそが彼の仕事。
 そして事実、人々は「禁じられた2人」を見ることを欲した。どのステージでも大人気だもんね、「禁2」。


 よく考えてみれば、AKBというのはとても「百合」に親和性の高い環境の集団だよね。
 思春期のきゃわいい女の子がたくさん集まり、恋愛=異性愛禁止の建前で日夜長い時間を共にし、感動を共有してるんだもの。
 高橋FTM説(または男性説)とか、大島(優)性欲のオバケ説とかがまことしやかにささやかれるのもむべなるかな。


 「禁じられた2人」は、そういう意味では、誠に場所と人と時宜を得た演目ではありました。

 この項まだ続きそう。

2011年6月11日 (土)

禁じられた2人

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 総選挙も終わりましたので、通常営業に戻りましょう。


 K2のユニット曲3曲目。「企画物」が多いK2の中でも異色の1曲。
 異色である理由のひとつは、これが女性同性愛をテーマにした曲であるということ。前曲の「Blue rose」もそういう聞き方が出来るよね、と書いたばかりだが、この曲の表現はより直接的で、百合の人のハートもみごとにキャッチした。


 異色であるもうひとつの理由は、明示されてはいないし、秋元康も決してそうだとは口にしないだろうが、これが心中を歌った曲であるということ。自殺に対して一貫して否定的な立場を示してきた秋元にしてはとても珍しいことだといえる。


 どちらもたくさん考えることがあるのだけれど、今回は後者について。

木立に朝もや/まるで 誰かの吐息
地図にない湖は/まだ 水が眠っている

 同性ゆえに禁じられた二人の恋。
 夜の森をさまよった二人が夜明けにたどりついたのは、朝もやが煙る湖。静かな水面はまるで鏡のよう。たとえばこんな風景


 そこは地図にない湖。行こうと思っても行くことの出来ない場所。いつか来たいと思っていたのに、ずっと来ることが出来なかったこの場所に、二人はとうとう来ることができた。


 どうして地図のない場所に来ることができたのか?
 それは二人が今、ある世界から別の世界へと移ろうとしているからだ。
 別世界。それは現実世界に対して「異界」という言い方をすることもある。


 現実世界と異界との境には目印がある。だったりだったりトンネルだったり巨木だったり。


 この歌では湖が境界の目印になっている。

岸辺のボートは/ロープに繋がれている
世間から逃げるなら/遠い世界へ旅に出る

 ロープをほどいて岸を離れ、ボートの行き着く先は遠い別世界。そこは文字通り「彼岸」。この世ならぬ場所。


 この世では結ばれることの出来なかった二人が、「残酷な運命」の命じるまま手に手を取り合って歩む「道行き」。美しく切ない歌詞は、近松門左衛門を思い起こさせる。

この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ

 ご存じ曽根崎心中 お初徳兵衛道行き天神森の段。


 秋元は昔っっっから「若者の自殺」を食い止めようという意図をもって詞を書いてきた。


 AKBというチャンネルを手にした今も、彼は折に触れ命の大切さを訴えてきた。

君は鳥じゃない。/大地に足をつけて歩いて欲しい。
つらいことがあっても、その先には未来がある。
時はいつだって、記憶の消しゴムだから

 でも禁じられた恋に身を滅ぼす「心中」の中に、人々を魅了する「文学的美」があるのも事実。


 普段は「あきらめるな」「くじけるな」と言い続けている秋元が、その美にほんのちょっぴりよろめいて見せたのがこの曲。


 でも死んじゃダメだぜ。

総選挙

AKB48 22ndシングル選抜総選挙についていくつかのこと。

 Commentarii de AKBと名乗っていて、選挙の話題に触れないわけにはいかないだろう。
 
 その1
 AKBについては全く興味ないはずの妻からメール。
 タイトル「前田当選したね」。本文なし。
 うーん、違うようなビミョウにあってるような。

 その2
 これだけ上位に票が集中すると、むしろ下位のメンバーに投じた方が、投票のしがいがあるね。正直A面のセンターは、大島(優)でも前田でも、どっちでもいい。
 それよりエビカツみたいに選抜が26人だったらよかったのに。
 前田が不動のセンターなら、不動の26位の人のために。

 その3
 内田石田は「チャンスの順番」を生かせなかったと言わざるを得ないのかな。

 その4
 初選抜がいなくてこのままじゃ先が心配、との意見もある。
 「その時は秋葉原に帰ればいいんだ」とは秋元御大の至言。たかがシングル曲の選抜じゃないか。それよかTeam4のセットリストはどうなるんだろ、と懸念するのが吉。

 その5
 前項にも関わることだけれど、
 「秋元先生! 公演をやらせて下さい!
 SKEで恐るべしは松井Jのみにあらず。いつの間にか頼りになるメンバーが育っていたというわけだ。
 

2011年6月 7日 (火)

ここにいたこと

 「ここにいたこと」落手。


 公式には明日発売ってことになっているが、Amazonくんの奮闘努力のお陰さま。


 前アルバム「神曲たち」から1年とちょっと、この間AKBは明らかにティッピングポイントを超えて、巨大な数の人々をその引力圏に吸収した。僕もまあ、その一人ですけどね。


 最新シングルが売り上げ記録をたたき出したとか、第3回選抜総選挙だとか、前田主演映画公開とか、話題には事欠かない中「ここにいたこと」は発売された。思いの他ひっそりとした印象のリリースだった。

 
 「ここにいたこと」。
 「ここ」がどこであるのかはさておき、秋元康にとってそこはすでに過去形で語られるべき場所のようである。


 「ここにいたこと」。
 リョコウバトを絶滅させる勢いのアイドルグループのアルバムにつけるタイトルじゃあないよな。


 「ここにいたこと」。
 たとえば1年後、「ここにいたこと」はどのような感慨を持って語られるのだろう。
 「ここ」は一アイドルグループが到達し得たひとつのピークの高さとして記憶されるのだろうか。
 それとも「ここ」もAKBにとっては単なる通過点でしかなかったと言われることになるのだろうか。


 わかっていることは、少なくとも秋元康は「ここ」に留まるつもりはないということ。

雲は流れて/どこか遠くへ…
空の広さを/教えてくれる

 そこがどこかはわからない。
 ただ、「ここ」ではない、どこか遠くの広い広いところ。


 必然と偶然と幸運の導きと意思の力によって辿り着いた「ここ」で、みんなは一緒に泣いて笑って夢を見た。でもその果実を受け取る場所は「ここ」ではない。

みんなと見ている夢は/未来で受け取るように
自分のアドレス 探そう

 歌手でも女優でも声優でもラジオパーソナリティでも有名人でも、ひょっとしたらAV女優であってもいいから、その人にとっての「約束の場所」を見つけて欲しい。
 

 秋元「桜の木」先生はそれを切に願っているわけだ。でも、

卒業してから/どこを歩いてても
永遠に/覚えていて
ここにいたこと

 彼にとっても、カタチはどんなに変わって行ってもAKBはかけがえの無い宝物なんだもの。
 記憶の片隅にでもいいから、しまっておいてね。


追記:チーム4結成。確かに秋元は、もうすでに「ここ」にはいないってわけだ。

2011年6月 6日 (月)

Blue rose2

words
video
Tags:B1、AX

 どれくらい前かわからないけれど、忘れてしまうほどの昔ではないある夜のこと。
 「私」と「貴方」は一夜の恋をした。まあこう書けばきれいな話だが、要するに1回こっきりのセックス。
 偶然か必然か、「貴方」は「私」と出会う。ドラマツルギー的には「貴方」が「私」を探しもともめていたとするのが吉。
 
 とことろでこの曲の「私」はアダルトでマニッシュでクールな女性ってことでいいんだろうけど、この「貴方」ってどんな人だろう。
 
 この相手は、かつて「私」と

白いシーツの上で少年のように
何かに怯え 祈って/愛を求めた

 ってことがあった。
 「少年のように」ってことは「少年」ではない。
 じゃおっさん? ちょっと興ざめだよね。
 おっさんが「少年のように」ベッドで振る舞うってのは、この文章を書いてるおっさんに言わせてもらえれば「あり」なことなんだけど、まあ歌にするような絵ヅラじゃないわな。

 もちろん「少年」ではないけれど「おっさん」でもない、いい年格好の「お兄ちゃん」がお相手でもいいんだけど、僕のイメージは、この相手は女の子なんだよね。
 
 つまりRoseでありながらLillyでもある、と。

 「企画もの」の多いK2でも、この次の曲「禁2」は女性同性愛を歌って話題騒然だった。でも秋元は「男女」だけが愛のカタチではないことを、A1の最初っから言ってる。

ねえ この世にはオトコ・オンナ・ゲイしかいないの

 ってね。

 だから

どこかで 貴方を抱いた気がしてた

 ってのも、「私」がタチ(攻め)だったとするとすんなり読める。もちろん男が「抱く」、女は「抱かれる」というのはただの固定観念であって、女が男を「抱く」ことがあってもいいのだが。

 ちょっと先の詞を見ると、

私のことを/愛したのは
一瞬の本能の迷い

 ともある。
 男が女を愛しちゃう(というか一発やっちゃう)のは、「本能の迷い」でなくまさに「生殖本能の命じるまま」だよね。
 一方生殖本能とは違うところで生まれちゃうのが、同性同士の愛。まさに「迷った本能」。
 
 というワケで、Blue roseのお相手は、女の子に(当ブログでは)決定しました!

 かつて抱かれたことのある女の子がようやく「私」を見つけ出した。
 「私のこと、覚えてる?」
 覚えてない。顔も、名前も。
 でもそのか細い肉体には覚えがある。

 女の子はもう一度あの夜起きたことを確かめたかった。でも「私」は拒絶する。
 奇跡は一夜限りのもの。繰り返すことはありえない。
 それは青いバラがこの世にありえないのと同じ。

 ひゅーひゅー。かっちょいいー!
 
 まあ深読み妄想炸裂なのは百も承知なのだが、そういう多層的な読み方が出来るのも、よき物語の証拠ってわけ。

 でも「青いバラ」って出来ちゃったのね。 

2011年6月 4日 (土)

Blue rose

words
video


 前曲で「青春ガールズ」公演の全員曲が終わり、ここからはいわゆるユニット曲が続く。
 それもちょっと「企画もの」の匂いが強い曲。これらはK1でのメンバーのパフォーマンスをを見て、狙ってつくったもの、と秋元は語っている


 いわば、Team Kのそれぞれのメンバーのためのオーダーメード。Kが演じてはまらないはずはない。


 ってことは、これを最初のセットリストにされちゃったTeam Bはちとお気の毒だった。全員曲はともかく、ユニット曲はやりにくかったろうなあ。


 特にこの曲。

どこかで 貴方を抱いた気がしてた/鎖骨のかたちを知ってる

 この歌い出しには、アダルトで、マニッシュで、刺すようなクールな目の女性がどうしても要る。すなわち秋元(オ)。

 
 CinDyも頑張ってるんだけどねえ。アダルトなんだけど、マニッシュではない。何よりも目がカワイイ。きりっとした目をしようとしてるんだけど、クールじゃない。「CinDy怒っちゃやーよ」と言いたくなっちゃう。それに心のきれいな人には頭の上にティアラが見えちゃうし。


 この曲はファンだけではなくメンバーにも人気が高い。「機会があったら是非やってみたい」という声も多い。そのせいかどうかいろんな組み合わせで演じられている。


 もちろんオーダーメードだけあって、何と言っても本家(秋元、大堀、増田、宮澤)が一番カッコいいのは仕方ないが、他の組み合わせにもそれなりの味わいがあるよね。


 井上、浦野、米沢、渡邊:B1のBlue rose。CinDy的にはドキドキだったそうな。公演では見せるべきではないものが見えてしまったこともあった由。


 大島、小嶋、前田、峯岸:日本青年館2006第2公演のBlue rose。Team Kの曲をTeam Aが歌う、という趣向だったのでこういう面子。なんかかわいい歌になっている。マイクスタンドキックもそおっとそおっと蹴っている感じ。


 秋元、柏木、佐伯、宮澤:日比谷野音2008のBlue rose。雨の野音、ステージもウェットな状態。ツインタワー&てもでも。マイクスタンドキックがぬるいのは足下が不安定なためか。


 大島、河西、小原、篠田:JCBホール2008のBlue rose。公演タイトル「シャッフルするぜ」通り、ずいぶんシャッフルしました。河西が蹴ったマイクスタンドが、客席に落ちかけた。


 小野、高橋、松井J、渡辺:日本武道館2009第1公演のBlue rose。平均年齢のとても低いBlue rose。松井Jの眼差しの鋭さもよいが、渡辺も心に棲まわせている鬼が垣間見えて可。

 
 秋元、大堀、柏木、宮澤:日本武道館2009第2公演のBlue rose。増田が「体調不良によるレッスン不足」という理由で「支え」だけ出演した公演。増田のポジションを柏木が歌っている。


 秋元、菊地、峯岸、宮澤:横浜アリーナ2010第1公演のBlue rose。峯岸の成長が著しい。


 順位を年々落としてはいるものの、この曲はAXで4年連続選ばれている。K2の曲でAX で生き残っているのは、これと「転がる石になれ」だけ。
 いずれのステージも演じているのはオリジナルのメンバー。


 AX2008:第23位。大堀が黄金水着を披露した衝撃のステージ。


 AX2009:第50位。大掘のマイクスタンドキックが激しくてイカす。秋元(オ)の次曲フリもね。


 AX2010:第52位。やっぱりキックは大堀だね。


 AX2011:第90位。ずいぶん順位を落としたものである。来年あたりは圏外になってしまうのか。まさに

忘却は 愛しさの出口

 ということなんでしょうか。


 おまけ
 DiVA :メロウなアレンジのBlue rose。これだとマイクスタンドは蹴れないよね。大堀がいないのは残念。

2011年6月 1日 (水)

君が星になるまで2

words
video

 まあ、どの曲も秋元康からのギフトであることには変わりないのだが、その中でも特にメンバーへダイレクトに何かを注入しようとする詞を書くことがある。いわばメンバーへのメッセージソング。


 A1では、「桜の花びらたち」。
 デビューシングルでありながら「君たちはここを卒業して行かなければいけないのだよ」というメッセージをこめた曲。

桜の花びらたちが咲くころ/どこかで誰かが きっと祈ってる
新しい世界のドアを/自分のその手で開くこと

 秋元先生にはいろんな可能性のドアが見えているし、それを指し示すこともできる。でもそのドアを開けてあげることはできない。
 秋元に最後にできるのは、彼女たちが自分の力でそれを開けられるよう祈ることしかない。


 A2にはそういう曲は見当たらない。あえていえば「未来の扉」に、「やるなら死ぬ気でやれよ」というお説教を聞くことはできる。


 そしてこの曲。
 昨日書いたように、この曲は「発展途上のアイドルが歌う、発展途上のアイドルを励ますヲタの歌」。


 ここでいうヲタとは、もちろんステージに声援を送っている客のことなのだが、同時にこの詞の背景にいる、秋元康その人のことでもある。
異論はあろうが、世の中でAKBが一番好きなのは秋元本人であり、彼こそが「キングオブAKBヲタ」と言っていいと僕は思っている。
 じゃあどうしてあんなことやこんなことをして、メンバーを泣かすんだよ、という声もあるだろう。思うに、彼は自分のやったことについて「ひっでえことするなあ」と思いながら涙しているのではなかろうか。


 「君が星になるまで」は、拙ブログの分類上「『僕』の歌」ということになっている。歌の主人公が「僕」である一連の楽曲に付けられるTagなのだが、この曲は他の曲とは様相を異にしている。
 他の曲の多くが、切ない恋を歌っているのに対し、この曲の「僕」は、激励はするものの明らかな恋愛感情を発露していない。そもそもこの曲は、一人称の「僕」なんかなくても成立しそうである。


 事実、第1スタンザに「僕」は出てこない。第2スタンザのBメロ2に入って、一度現れるだけである。

君が星になるまで/僕は空見上げ 信じているよ
祈りが永遠より長くたって…

 なんかずっと一人称を抑制してきていたのが、我慢しきれずに飛び出しちゃったみたいね。
 それでも他の「『僕』の歌」では、自分でも手に負えない思春期の自我を象徴するようにくどくどしく「僕」がどうしたこうした歌っているのだが、それに比べるとずっと控えめ。

 
 そりゃそうだ。この歌の「僕」は、思春期なんぞとっくの昔に通り越して、酸いも甘いも苦いも旨いも味わい尽くしたおっさんなんだもの。


 そう、メンバーもシアターの客も、この「僕」が秋元康であることをよく知っていた。
 おっさん、もう少しオブラートにくるんだ歌詞が書けないのかよ。熱くなりすぎ。そう思う客はいなかった。熱くなきゃヲタじゃないもんね。


 K2がシアターにかかったのが2006年の7月。その直前の6月9日、AKB48はミュージックステーションに初出演した。

憧れていた一等星が/近くに見える
君に輝いて欲しい

 Mステでメンバーが近くで見た「一等星」って誰だったのだろうね。


 いずれにせよ、秋元は彼女たちが一等星たちに並んで光り輝くことを誰よりも望んでいたし、そうなると信じていた。たいしたおっさんである。

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