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2011年8月10日 (水)

月見草2

words
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 いきなりの和太鼓と「ヨッシャ」でひっくり返りそうになった話からですよね、確か。


 確かに「何か違うもの、何か新しいもの」ではあります。


 作曲したのは何と後藤次利。アキモっちゃんゴッキーの黄金コンビ、どちらもカミさんは元おニャン子の爛れた二人組ですね。秋元は後藤夫人に詞を提供し、後藤も秋元夫人に曲を提供している、業界スワッピング仲良しさん。


 その二人が最初に大活躍したのが1980年代半ば。同じ頃若き日の哀川翔アニキとかギバちゃんが一世風靡セピアとして歌っていた「前略、道の上より」にイキフンがクリソツなこの曲。


 「元歌」の作曲って誰だったんだろうと思って調べたらなんと「GOTO」。
 ゴトー?
 なんだ、元歌もゴッキーだったんじゃんか。全然知らなかった。


 「ゴトウさんゴトウさん、ひとつ一世風靡風でヨロシク」と秋元が言ったかどうか知らないが、見事にアイドル版「前略、道の上より」ができあがったワケだ。


 こういうの何て言ったらいいんだろ。
 パクリ、じゃないよね。作曲者同一人物だし。
 使い回し、でもないよね。似てるのはメロディーラインじゃなくて雰囲気だし。


--

通りすがりの道の上/俯くようなその蕾
どこのどなたを待つのやら/空を見上げて…

 「俯」いているはずの蕾が、「空を見上げて」るのはどういうわけだ、という突っ込みはワキに置いておいて。
 歌い始めに「道の上」という単語をあえて使ったのは、秋元による元歌へのリスペクトなのだろう。
 その上で、元歌が「男の人生」を歌っていたのに対し、この曲は「女の恋」を描く。


 元歌では

咲き誇る花は散るからこそに美しい

 といさぎよい。
 一方「月見草」は

このまま抱かれて/散ってくより
朝まで咲いたら/萎みましょう

 「散るより萎む」のが女だと歌っている。


 そう、月見草って夜咲いて、朝がくると散らずに萎んじゃうんだよね。
 こんな感じ
 ぱっと咲いてぱっと散るのはカッコイイけど、それは無責任な男のやり方とでも言いたげ。


 散りさえしなければ、女の恋はいっとき萎んでもいつかもう一度花咲くもの。それが歌のココロでしょうか。


 でもこの歌の歌詞って、あんまり考えて書いてない感じなんだよね。文語風の言葉を使ったりしてそれっぽい雰囲気を出そうとしたせいで、内容があんまし深まらない。

やがて 辺りは暮れなずみ/都の色が溶けて行く
胸の思いは影法師/手を伸ばしてる

 日が傾いて影が伸びるさまと、思いが伸びるをかけるのはいいのだけれど、「やがて…暮れなずみ」はイカン。「暮れなずみ」は「暮れそうで暮れない」様子だから「やがて」「暮れなずむ」は変。


 本当は、「日が暮れかけて辺りが暗くなってくると」という情景を表したかったのだろうが、つい誤用してしまったんでしょう。


 その他にも「花鳥風月」「悠久」「何処(いずこ)」ってアンタそういう言葉使いたかっただけでしょ(花鳥風月は、一世風靡セピアへのリンクを示すサインかもしれないけど、それはイラネ)。


 「美しい」の古語「美し」を使いたいばかりに「美しき姿」(シク活用連体形ですね!)としてみたものの、やっぱりそこだけ悪目立ちしちゃった。
 

 何と言うか、素養が豊かではないのに無理して斯界に足を踏み入れてしまったうような居心地の悪さ、とでもいうか。
 こういう違和感をどう表現したらいいのか、としばし黙考。
 

 そしたらペトリ堂御堂主がばっさり「偽和風、贋江戸」と袈裟懸け。


 お見事なんだけれど、「田中角栄音頭」はヒドス。

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