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2012年7月

2012年7月31日 (火)

花と散れ!3

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 なんかどんどん「花と散れ!」から離れてるような気がする?
 うん。僕もする。
 大丈夫なのかしらん。


 Team についての話の続き。


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 2011年の2月には、正規メンバー8人を降格するという憶測が流れました。降格候補の実名までまことしやかに囁かれ、所属未定の昇格組8人との入れ替えが現実味を帯びているかのように見えました。


 そして3月11日。


 先行きがどうなるかわからないほどの大災害。研究生オーディションの真っ最中だった後の12期生岩田は仙台で被災した。
 日本中を不安が覆い、関東から避難する人も少なくなかったのを憶えています。


 AKB劇場は無期限休館。だって電気が来ないんだもの。
 戸賀崎劇場支配人はその日の深夜,「不安な気持ちは、皆一緒だと思います。こんな時だからこそ、一致団結して皆で支え合いましょう!」と呼びかけました。その言葉どおり、地震からわずか3日めの3月14日には、後に「誰かのために」と呼ばれることになるプロジェクトの一環として義捐金募金が開始されました。
 横アリでやるはずだったコンサート「たかみなについて行きます」は中止となり、チャリティー物販会が開かれました。
 3月29日、暗い照明の下、ようやく公演が再開


 この混乱と奮闘の日々の間に「降格」という言葉は霧散したようでした。
 その代わり公演に関する新たな構想が浮上しました。公演再開から10日後の公式発表。

 今までチーム公演、研究生公演という形でのスケジュール発表をしておりましたが4月8日から
AKB48
「目撃者」公演
「RESET」公演
「シアターの女神」公演
SDN48
「誘惑のガーター」公演
の4つの公演をバランス良く行う体制が整いましたことを、ファンの皆様にご報告致します。

AKB48オフィシャルブログ 2011/04/02 【劇場公演について】

 何かを伝えたいのはわかるけど肝心なことは何も伝わらないお馴染みの文章なんですが、要するにそれまではチームごとの公演だったのが、それからはどの演目も「AKB48の公演」になる、ということでした。もちろん「目撃者」公演ならば新Team Aが主体となるのがフツウなんだけれども、極論すれば、新Team Aのメンバーが誰もいない「目撃者」もありだ、ということになります。


 んなバカな。
 でもその後、新Team Bのメンバーが誰もいない「シアターの女神」公演は全くフツウに行われるようになったもんね。


 その結果、2011年4月8日以降AKB48劇場における公演に於いて「チーム」という概念は公式には消滅してしまいました。


 もちろん実態として公演はほぼ新Teamのメンバーを中心に行われているし、チームごとの地方公演もあります。また劇場公演の最中にメンバーがチームの名前に言及すること(典型的には研究生が「チームAさんの公演に出させていただき云々」みたいなの)はよくあるんですけど、「劇場での公演はチーム制ではない」という建前は貫かれています。


 それを端的に表しているのは、劇場公演についての公式ブログの表記と、公演でのメンバーの挨拶です。
 公式ブログでは、「チームA(K、B)公演」というような表記は2011年4月以降なくなりました。また、公演最初の挨拶は、どの公演でも「みなさん、こんばんは。AKB48です」に統一され、チーム名を名乗らなくなりました。


 どちらもちょっとした例外を除いて。


 ブログの表記についての例外は、指原の電撃移籍の発表の中にありました。

 これがAKB48指原莉乃にとって、HKT48移籍前最後のチームA公演となります。

AKB48オフィシャルブログ 2012/06/16 指原莉乃に関しまして


 オフィシャルな文章だったら、ホントは「最後の『目撃者』公演となります」と書かなくてはいけないところでした。実際にはお別れ公演にはならなかったけどね。
 この告知、戸賀崎劇場支配人の、指原に対する万感の思いがこもってます。余談ですけど、「研究生菊地について」と同じくらい胸に迫る文章でした。
 さすがのtgskさんもちょっとコントロールを失っちゃったのかもね。


 挨拶での例外は…、これは後回しにします。


 例外はさておき、「劇場公演の主体はチームではないようにする」というこの「新方式」が打ち出されたのなんでなんでしょう。
 みんな大好きエケペディアがサマライズするところの戸賀崎さんのインタヴューによれば、

新方式での公演となったのは、人気メンバーの外部仕事が多くなり、劇場公演に出る事が出来なくなってしまったから。当初、運営側は「原点回帰」を掲げ、劇場公演を増やすとしていたが、やはりメンバーが揃わなければ劇場公演が行えない。そこでテーマを「12月8日」に変更。その意味は、戸賀崎劇場支配人によると、「まだ誰も知らない子たちが、夢に向かって頑張り続ける場所を作るっていうことが“原点”」。つまり、前田敦子の様な人気メンバーが公演に出るという意味での「12月8日」ではなく、“AKB48劇場”を無名のメンバーが出る場所へと戻すこと。それが「12月8日」という意味。

AKB48Wiki エケペディア 公演

  まあトガちゃんったら、何かを語りたいのはわかるけど、何を語ってるのかはよくわからないってのは、インタヴューでも一緒なのね。


 「組閣」によって刻み込まれた「今私がいるこのチームはずっと続くものではない」という意識。
 いつの間にか立ち消えになった「8人の降格」。
 そして「劇場公演の主体はチームではない」という新構想。

 
 9期生の昇格組8人は、こんな状況で、帰属するチームが未定のままひたすらアンダーを勤め続けていました。
 同じ頃、「不発の最終兵器」奥が卒業しました。
 でも空いた新Team Bのポストを襲ったのは、すでに「昇格」しているはずの9期生の誰でもなく11期研究生(元7期)の鈴木(紫)でした。
 「昇格」したはずなのに、8人はどのチームに属することを許されず、行く先々のチームのアンセムを歌い続けました。


 Aじゃないのに「We're the Team A」と。
 Kじゃないのに「われらがチームK」と。
 Bじゃないのに「結局 誰もみんな チームB推し ですよね?」と。


 その時の彼女たちの気持ちは僕にはわかりません。
 ただこれとよく似た立場の人々は知っています。その集団に帰属しているわけではないが、その集団の旗の下で血みどろになって働く人々。


 彼らは「傭兵」と呼ばれています。

2012年7月28日 (土)

花と散れ!2

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 かつてTeam Kの「準アンセム」だったこの曲の話のつづきをしようと思ったのですが。考えているうちに「チームとは何か」ってことにぶち当たってしまいました。


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 あれから気がついたら10日。
 何だかずいぶん昔の話のような気もします。
 僕はホントにあの場所に立っていたのだろうか。
 公演DVDを観る度に、そんな感慨が浮かんできてしまう。だってDVDで見ると、すっごく広いんですもの、ステージ。
 でも、僕が立っていたはずのあの場所は、今から思うと信じられないくらい狭くて、近くて、メンバーのため息すら聞こえるようなところでした。


 「近さ」。


 理屈ではわかっていたつもりだったんですけど、この圧倒的な物理的近さこそが、AKBの力の源泉(であると同時にひとつの限界)だったのだということを、あの時ほど得心したことはありませんでした。
 でもね、もう忘れかけてる。


 ああ、もう一度それを確認に行きたい。


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 13期生のこと。


 今まであんまし気にしてなかったんです。13期生。
 無意識に光宗バイアス(ろくに実績もないくせに、大人の事情で推されまくりテレビ出まくりやがってふんっ。とかね)があったのかも知れません。
 でも公演で13期の相笠を見て、おおっ、と思った。すげえ、この子、すごいじゃん。


 それからカギさんとかメトロポリス@さんとかが13期の公演のこと書いてるの読んで、おそるおそるオンデマの研究生公演見たんですよ。この間の全員お揃いのヤツ。


 うわあ、参っちゃったなあ。また名前憶えなきゃいけないのかよお。
 もう余分に余ってる海馬の細胞ないんですけど。マジで。Team Eでもう腹みないっぱいごちそうさまだったんですけど。


 あれね、13期生って、倍速クロック(相笠搭載)とまではいかなくても、1.5倍速クロックはみんな標準装備なのね。
 面白えなあ。楽しいなあ。お前らセンパイいないと後先考えなくって、いいな。
 ああ、こいつら見に行きてえ。


 もうお前らTeamなんかどうでもいいよ。
 "The 13th gen from AKB48" でいいよ。
 それでやっちゃえよ。自分らの国作っちゃえよ。傭兵根性が染みついちゃう前に。


 研究生16人ワンセットで採ったってのは、そういうことなんでしょ? 秋元先生。
 最初の「22粒」アゲインってつもりなんでしょ? で、今までのAKBとちょっと違うモンを、と考えてるんでしょ?


 でもねえ、ホントは9期中心でやりたかったんじゃないかな、そういうこと。
 8期の断絶の後、継ぎ足し継ぎ足しじゃなく、まっさらなTeamで、新しいAKB。
 でも横山が出来杉クンだったのと、あれとかこれとかあったのと、あとTeam 4を作る踏ん切りがなかなかつかなかったおかげで、何か思った通りにならなかったんじゃないか、というのはモチロン妄想なのですが。


 そう、忘れているわけではありません。
 大事な「うちの子」たち。Team 4。


--


 「組閣」して「RESET」して、それまでチームで培われてきたものをずたずたにして、それでよかったこと悪かったこといっぱいあったでしょう。
 功罪はまだ定まらないものの、ただひとつ言えること、メンバーの心に刻まれたことが一つ。


 「今私がいるこのチームはずっと続くものではない」。


 いろんな事情で、チームがシャッフルされることって、これから先も当然ある。
 そう考えるとメンバーにとってチームの意味って、以前とはちょっと違って来ちゃったんじゃないかしらん。
 そのせいかどうかわからないけれど、シャッフル後の各新チームに与えられたセットリストには、チーム意識をことさらにかき立てるような曲が用意されていました。


 すなわち新Team Kには「RESET」が、新Bには「チームB推し」。
 そして何よりもかつてはAKBそのものであった「A」にも「Pioneer」が。

  われらがチームK

RESET

 とか

  結局 誰もみんな チームB推し ですよね?

  とか、

  We're the Team A!
  pioneerよ

Pioneer

 こういう新しいアンセムを一緒に歌いでもしないと、新チームはチームとして成り立たないんじゃないか、って危惧が秋元先生あったんでしょう。やっぱチームでまとまってこその成長ですもの。


 当時 Team 4の主力メンバーである9期、10期生も、各チームのアンダーを勤める一方、「チーム研究生」による「研究生公演」として「シアターの女神」公演の舞台に立ち続けていました。


 エラソウに書いてるけど僕ね、この頃研究生のことなんかなんも知らなかったの。だから事実誤認があったらゴメンナサイ。
 でもいろんな人が書いてるのを見てると、研究生公演はたくさんの人の心を掴んでいたみたい。みんな口を揃えて、研究生公演の楽しさを語っていた。

 9期生としての彼女らを僕は09年12月23日に初めて見ました。ヲタク3連番で上手最前列で観たことをなぜか強く記憶しています。
(中略)
楽しかったなぁ。
辞退だろうが謹慎だろうがここまできた道はずっとこれからも色褪せることないし、みんなの記憶に残り続けると思います。

(中略)
楽しかったなぁ。
9期の公演楽しかったなぁ。

(中略)
あんなに9期の公演楽しかったのになぁ。
バカだなぁ、ホントバカ。

楽しかったなぁ。


あい My みぃ+ AKB48峯岸みなみと森杏奈と小林茉里奈とetc
2011/09/03「森杏奈の辞退と大場美奈の謹慎について」
 時間がずっと後になってしまうのだけれど、大場の謹慎と森の「辞退」が決まった時のことです。研究生を愛していたよねたろうさんの愛惜の言葉が胸に刺さります。
 よねたろうさんが見ていた時が「チーム研究生」の最も輝いていた時期だったのかも知れません。


 9期主力メンバー8人の正規メンバーへの昇格が発表されたのは、2010年12月8日、AKB48劇場5周年特別記念公演の場でした。


 当時AKB48には、新Team A、K、Bがあるだけだった。9期生の出来杉クン横山は、2ヶ月早くTeam Kに昇格していました。直前に卒業した小野の後任でした。
 ポストの無いまま、とりあえずの昇格ではあったけど、これで解雇(セレクション落ち)の心配は無くなったし、お小遣い(給料とは言えないよね、きっと)も増えた。何よりも横山のように、いずれはどこかのチームに所属できるはず、と彼女たちは思ったでしょう。


 しかも昇格発表から2ヶ月後の2011年2月には秋元先生が「タルんだメンバー8人を減らす」と発言した記事が文春(おい)に掲載されました。8人が降格され、空いたポストに9期の8人が座る。そりゃ誰でもがそう思うでしょ。


 でも、なかなかそうはならなかった。


 そして訪れた3.11。
 あの日、何もかもがひっくり返ってしまったようでした.。

2012年7月18日 (水)

AKB48 2

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  愛しのAKIBAは石丸・ソフマップ

 17:15

 ドンキホーテ8階、チケットを購入。
 ついに会いに来られた。


 壁の塗料が少し剥がれた小さな劇場。


 こんな小さなところから全ては始まったんだ。


 傍に募金箱が5つ。
 「誰かのためにプロジェクト」はまだ続いている。5つの箱は、それぞれAKB4の4チームと研究生を表している、と気づくのに数瞬。ここに招待してくれた空の上の高い所にいる誰かさんに感謝して、ちょっとだけ考えて、研究生の箱に1AKB投入。箱の上辺に光宗のサインを確認。


 軽く拝んで「抽選頼むよ、カオルくん」。


 うそうそ。そんな不純な気持ちで募金してはいけませんね。傍らのお兄さんがくれたステッカーで満足ですって。

 でも、ひょっとして、もし万が一、僥倖が降って来たら、カオルくんに一生忠誠誓っちゃうよ…


 さあ、夢の時間まであと少しだ。
 あとはこのビルが燃えませんように(火事になったらマジヤバイって、ここ)。

 --

 21:10

 光宗~、ホントすまんかった~。
 1AKBじゃ足りなかったよな…

 --

 22:30

 帰宅。放心中。
 あれは、夢だったのだろうか。


 抽選は10巡までは数えていた。
 「優勝」でこそないものの、箱根駅伝だったら来年はシードだろう、きっと。
 次回あそこに行った時に、まだ募金箱があったら、もうちょっとお賽銭はずむからね。そんときゃ頼むぜ光宗(←だからそれがいかんのだと)。


 それでも立ち見センターの3列目に立つ。立ち見最前には、大柄な男性。災害の時にはきっとそこにいるだけで頼りになりそうな広い背中。でもねえ、今、ここではねえ…。
 幸い隣の男性との間に何とか視界を確保。


 後から入場した女の子らが「どうしよ、全然見えない」って。
 ごめんねお嬢さんたち、今日は聞こえなかったことにして。あと99回入場したら、(カギさんみたいに)きっと場所を譲ってあげるから。


 Overture、ベルリンの壁によじ登る群衆、デモ隊、そして銃声。
 僕は「目撃者」になった。ついに。
 おいそこでMixとか「超絶かわいい」とかはねえだろ、ピンチケってホントにチケット赤いのね。と、冷静になろうとしたのだが、案の定滂沱と流れる涙。
 

 曲が終わるのが切なくて仕方なかった。1曲終わると、それだけ終わりに近づいてしまうから。
 

 高橋はちっちゃかった。でも大きく見えた。と思ったら、それはセリが上がったからだった。


 篠田と小嶋は探さなくてもどこにいるかすぐわかった。舞い降りた2羽の白鳥だった。


 伊豆田と藤田(うちの子たちね)は、立派だった。ちゃんと出来てるんじゃん。大丈夫だよ大丈夫大丈夫。


 多田は何度か確かに僕の目を見た。そして僕に微笑みかけた。なわけないんだけどね、でもそう感じさせるんだ、この子は。


 今日まで知らなかった相笠には、倍速のクロックが積んであった(Team Eの都築に搭載されてるヤツね)。明らかに他のメンバーとは別のダンスを踊っていた。それが爽快で、後半ずっと見てしまった。神さま願わくは彼女にあと10cmの高さを与えたまえ。そしたら何かスゴイことになるぞ。
 

 言っても詮無いことだけど、ここで踊っているあの子に会いたかった…


 それからそれから…

 --

 そしてあっけなく夢は終わった。
 

 外に出ると驟雨。
 見上げると、よくもまあこんな場所で秋元先生、と呆れてしまうような雑居ビル。
 その名もドンキホーテ。
 そうか、「ラ・マンチャの騎士」か。
 To dream the impossibe dream、なんですね、先生。

  また明日/観に来るでしょ?
  必ず

 明日は無理ですけどね。
 いつかまた必ず。

2012年7月15日 (日)

うわああぁぁぁ

「目撃者」
当た
当た
当た
当たっちゃった


ど、どうしよう…

2012年7月11日 (水)

花と散れ!

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 K3アンコールの1曲目。作曲は井上ヨシマサアニキ。
 この曲の後には「Team K 2nd メドレー」と称して「Virgin love」「シンデレラは騙されない」が続く。どちらもアニキの御作。アニキ3連発。さながらアニキ祭り。


 「Virgin love」はともかく「シンデレラ…」はシングルカットもあり得たんじゃないかってくらい手の込んだ曲だったから、K2だけでお蔵入りしちゃうのはもったいないよね、って気持ちがあったのかも知れません。


 ヨシマサアニキが公演曲を書き始めた頃。


 今でこそ「よすすと言えばAKB、AKBと言えばよすす」であるが、当時はまだたくさんいる作曲家のワンオブゼムだった。


 それよりもちょうど同じ頃、秋元康の長年の盟友である後藤”ゴッキー"次利がAKBに曲を提供しはじめていた。
 A2で「リオの革命」、K3に先立つA3ではセットリスト劈頭の「月見草」と終盤の「月のかたち」。


 秋元後藤ペアと言えば名だたるヒットメーカー。1990年代にとんねるずをスターダムに押し上げた張本人たち。その後藤が曲を提供した。
 それまで秋元っちゃんのアイドル道楽と見られがちだったAKBプロジェクトに、あの「後藤ちゃん」が一枚噛んだってことの意味は大きかったろう。期待や業界の反響も大きかったろう。
 ヒット曲作りのキモを心得ていて気心の知れたゴッキーを重用するという選択肢が、秋元先生にはあったはずだ。


 でも結果的にその後ゴッキーはあまりAKBにからんで来なかった。ロイヤリティの問題だったのか、秋元先生のリテイク要求がうざかったのか。
 Team Aに3曲書いた後、数曲提供しただけで、Team Kには後藤の曲はひとつもない。


 その代わりのK3アニキ祭り。


 今日振り返ってみると、これはAKBが既成のヒットメーカー「ゴッキー」ではなく、若手の挑戦者「よすす」を選んだことを象徴するセトリのようにも見える。
 その選択は、その後のAKBの方向性に大きな影響を与えた。
 今こういう曲を僕らが聴けるのも、そのおかげだ。


 K3に続くA4では祭りどころかアニキ博覧会の様相を呈することになるのはまた別の話。
 この辺のところの話、アニキと石原"三昧"Pとでしゃべって欲しかったなあ。


 さて「花と散れ!」。


 花と散れ、と聞けば誰でもこの歌を思い出すよね?。よねよね? え? 知らない?

  万朶の桜か襟の色/花は吉野に嵐吹く
  大和男子と生まれなば/ 散兵線の花と散れ

 みんな小さい時に歌ったよね? よねよね? え? 歌わない?


 大日本帝国陸軍の精華であり中核であった歩兵科の歌。死を恐れることなく戦う兵士のためのアンセム。
 一応現代語の解釈も書いとく?

  咲き誇っている桜の花のような色の陸軍歩兵の襟章の色
  桜の名所である吉野に嵐が吹いて、咲き誇る花が散るように
  日本の男子と生まれたからには
  歩兵として戦って立派に死ね

 まあ秋元先生だって歌わなかったろうけどね。でも歌の心に通じるものがあるのはわかるでしょう。

  例え 燃え盛る炎の中でも/信じた道を進めよ
  この身が滅んでも/心の形は
  灰になって残るだろう

 たとえ己が滅んでも、信じた道を前進あるのみ。ね、やっぱり「花と散れ」とは「成すべきことを成して潔く死ね」という意味である。


 余談だが「心の形」が「灰になって残るだろう」という表現は、つくづくうまいと思う。
 「身は滅んでも心は残る」というだけならば、わかりやすいがあまりに通俗的だ。
 でも「心の形」ならどうだろう。その人の有りようや志、そういった「その人をその人らしくあらしめたもの」は、たとえその人がいなくなっても残る。
 「ああ、彼だったらこういう時はきっとこうしたね」と。
 また、「心の形」が「灰になって残る」という表現には、不思議なリアリティがある。
 ほんの小一時間前までは冷たく動かなくなっていたとは言え、確かに見知った人の、重みを持った遺体だった。それが荼毘に付されることによって、こんなに軽い骨と灰になってしまうものか。
 それは身内の火葬を体験した者だけが知っているリアリティである。
 おそらく秋元先生も知っているだろう、さっきまで具体性を持っていた遺体が、灰に姿を変えて抽象の世界に旅立つ変化を。残るのは、まさに抽象的な「心の形」である。


 おっと道を外れた。
 「成すべきことを成して潔く死ね」、の話ね。


 秋元康は時折こういう歌を書く。
 それは越えるべき川であったり、

  川を渡れ!/You can do it!

 死に方指南だったりする。

  前に倒れろ!/力尽きても…
  それが正しい死に方だ/生きる者よ

 さらに余談だが、こういった曲を聞くと真っ先に秋元(オ)の顔が浮かぶのは僕だけじゃないはず。


 この曲は、ひとときはK2「転石」に次ぐ、Team Kの準アンセムのような位置づけだった。B1として「青春ガールズ」が選ばれて、「転石」がKだけの歌ではなくなってから特にそうだったようだ。コンサートでは「転石」と抱き合わせで歌われることも多かった(「Die Deutschlandlied」と「Die Fahne hoch」みたいに)。


 残念ながらこの曲は、リクエストアワーでは2008年の74位に顔を出したっきりで、「転石」のような定番曲になることはできなかった。しかしこの曲の「スピリッツ」はその後さまざな曲に受け継がれて行ったような気がする。上にあげた「RIVER」や「ALIVE」だけではなく。

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