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2014年4月

2014年4月 8日 (火)

ヴォツェック

ヴォツェック@新国立劇場


 3月に見た「死の都」に続いてマイナーなオペラ。
 「死の都」には心に残る美しいアリア(「マリエッタの唄」)があった。だが「ヴォツェック」には、何も無かった。というか、ふつうに言うメロディラインというものすら無かった。いわゆる「無調」。

 

 舞台はこんな感じ。


 お話は「主人公の頭のおかしくなった貧乏な床屋あがりの兵隊が浮気をした妻を刺し殺した後、沼で溺れ死にする。残された息子は棒馬にまたがって、他のこどもたちと殺された母親の死体を見に行く。ホップホップホップと歌いながら」。


 なんだそりゃ。


 ホントにそういう話なんだもの、しょうがない。


 ふだんオペラに求めているものは、そこには何も無かった。


 じゃあつまらなかったか、というとそうでもない。
 もともと1時間半という短いオペラなのだが、それをさっぴいてもあっという間だった。
 舞台装置はすげえ大がかり。ホントのフロアには水が湛えられてある。
 その上に巨大な箱が吊されており、それが部屋になっている。
 部屋の中では、主人公が大尉殿の頭を剃ったり、これまた頭のおかしな医者の実験台になったりする。
 この箱=部屋が、場面によって歌手を乗せたまま、舞台奥上方に移動していく。
 ステージどんだけでかいんだよ。
 最初に箱=部屋が動き出した時は混乱したね。だって固定された舞台だと思ってたモノがいきなり動き出すんだもの。中の歌手はどんどん小さくなってくし。
 箱=部屋が舞台後ろに遠のくと、水を湛えたホントのフロアの上でお話は続く。
 水面に反射するステージライトが誠に幻想的で、その上でまたわけのわからない人々がわけのわからない歌を唄うわけだ。
 飽きる間はなかった。


 じゃあもう1回見たいか、というと、うーん。

くるくるぱー5

 words
 video
 

   下を向いて/歩いていたって見つからない
   探し物は/いつでも 頭の上にある


 いくら上を向いても、「それ」に手が届かないことを自覚すること。
 それを世間では「おとなになった」と呼びます。


 それでも上を向いていること。たとえ手が届かなくても「それ」がそこにあることを喜べること。
 そしてそれに手を伸ばしているこどもたちの、支えになること。
 それが出来なければ、せめてこどもたちの邪魔をせず見守ること。
 それを「成熟する」というのかも知れません。

   落ち込んだら/賑やかなラッパを鳴らすんだ
   宝物は/おそらく がらくたの中だね


 いい年こいてアイドルに入れ込んでいて「成熟」もへったくれもないもんですが、僕にとって彼女たちは高らかに鳴り響くラッパなんです。知らない人からみたら確かにがらくたかも知れませんけどね。


コバヤシカナ大王陛下の偉業に心からの敬意を表します。
 ああ、またシアターに行ってラッパを聞きたくなってきたぞ。

2014年4月 7日 (月)

だ〜す〜&つ〜ま〜

乃木坂とか言ってるバアイじゃねえ!

2014年4月 6日 (日)

気づいたら片想い

words
video


 前から乃木坂の新譜は出る度に買っていたし、曲もそれなりに評価していました。「失いたくないから」なんか今でもよく聞いてます。でも地味なタイトルだよな「失いたくないから」。


 でもそんなに情熱を持っていた追っかけてたわけではなくて、ついこの間まで識別できるメンバーは生駒、白石、(可愛い方の)松村くらいでした、ってのはにも書いたよね。

 
 そう、生田絵梨花が弾き語った「君の名は希望」をきっかけに、少しづつ乃木坂のメンバーも識別出来るようになっていきました。
 生田、桜井、橋本、星野、西野、中田、高山、若月…。


 うわ、これって泥沼かしらん。


 それでも乃木坂の曲のタイトルで記事を書くことは自制していました。
 だって「公式ライバル」じゃないですか。多少遠慮がちにもなるじゃないですか。
 それが仁義ってもんじゃないですか。
 ねえ。


 なのに今日だけでもうすでに10回以上聞いてます「気づいたら片想い」。

  初めからわかってた/特別な人だった
  恋とは与えられるもの/決して抗えない


 無駄な抵抗はやめろ、ってことですねやすす先生。


 哀愁を帯びたメロディーラインは「サウダージ」って言葉を思い出させます。
 またはフランソワーズ・アルディ石川ひとみの名を頭に浮かべる人もいるでしょう。


 もうあちこちで言及されているだろうけど、この曲って間違いなく「おっさんトラップ」。
 サビの懐かしさ、Aメロの刻み。Bmから2回転調して最後のサビ。どれも昭和の中盤に生を受けた世代のハートを直撃するようにプログラムされたミッソーインカミング
 ヘッドフォンでないと聴き取れない頭のブレスから見事に術中にはまっちゃいました。
 

 やすす先生も、昨今に珍しく丁寧に仕事をなさっている印象です。わかりやすさのために何かを犠牲にすることもしない。

  あなたと目が合った時/本当は予感してた

 

「今思えばあの時恋に落ちていたんだ」という、いわば過去完了形の情趣は「LOVE修行」にもありましたね。でもここではもう一歩奥が深い。


 その時にはすでに恋に落ちる運命が決まっていたことを、自分はちゃんと知っていた、でも自分が知っていることに気がついていなかった。または、気がつくことを拒否していた。


 つらさから逃れるために、自分で自分を騙そうとする。
 歌っている子たちには実感を持ちにくいでしょうが、幾星霜を経て「自分の心」という馬にそれなりに乗り慣れたおっさんにとってそれは、苦みを伴う馴染みの深い体験です。


 自分で自分を騙す。
 それは脆弱な自我を防衛するために生体に備わっている障壁。
 でもホントの恋はその障壁をやすやすと突破してきちゃうんだよね。


 うん、良曲だなあ。まだやれば出来るじゃないか、やすす。
 今日この後も、あと10回くらいは聞くような気がするぞ、やすす。
 てかこういうのがどうしてAKBで出来ないんだよ、やすす。


 でもあのPVはなあ。
 前曲もそうだったけど、「死」とか「殺戮」とかをテーマにしなければ人の心を動かせないような脚本は突っ返した方がいいぞ、やすす。高校の演劇部じゃないんだから。
 「言い訳Maybe」とか思い出せよ、やすす。

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