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2016年9月

2016年9月29日 (木)

最終ベルが鳴る3

うへえ。


じじいは泣いてばかりいるな。
やっぱ歳だわなあ。


 実際、10歳若かったら何とも感じなかったであろう、些細なことに、泣くわけではないがしみじみと心が震えるってことは多くなったのは確かだ。
 ああ、ご飯がうまいなあ、とかね。


 まあそんなことはもうどうでもよろしい。


 田野優花。


 記録を見ると、これまで僕はこの人とシアターで2回会っている。
 2014年の3月と10月。
 そしてそれ以前にも「大場」Team 4「僕の太陽」全公演をオンデマで見て、昔からよく知ってるつもりだった。踊りが上手くて、南方系の顔立ちのべっぴんさんなのに前思春期特有の鬱屈が時々見え隠れしていた。
 彼女の「愛しさのdefense」がイチバン好きだった。


 でも僕は彼女のことを全然知らなかったようだ。


 僕の目が節穴だったのか、彼女が変わったのか。
 たぶん両方。


 感涙にむせびながらも僕の目はずっと田野を追っていた。

 
 端的に言えば、彼女は子犬の群れに紛れ込んでしまった狼だった。
 愛らしいワンちゃんたちが、可愛いダンスをしてる中で、それに合わせようとしているんだとは思うんだけれど、時折隠しきれない爪や牙が空気と僕の胸を裂く。


 こりゃ孤独だろうな。


 自嘲なのか、それとも素直な本音なのか。彼女は自己紹介で自分には友だちがいない、と語った。たった一人の友だちが、この間卒業しちゃったんだと。
 あれ、武藤って卒業したんだっけ? と一瞬思ったが、真意はすぐにわかった。武藤は田野の「友だち」じゃない。たぶん彼女の「魂のもう半分」。きっと平田か岩田のことだったのだろう。
 それを聞いてた横の相笠が、「わたし、わたしは?」とアピールしていたが、田野はにべもなく否定した。「仕事仲間」だって。
 相笠も、かつては間違いなく狼の種だったのに。


 後半のMCで、「20歳以上」と「以下」に分かれて語り合うというお題があった。
 その間彼女は思う存分悪態をついていたが、話題の流れで「以上」代表のみぃちゃんが「じゃああなたたちは何ができる?」と尋ねた時、田野はためらいもなく即座に答えた。
 「何でも出来る」と。

 
 「何でも出来る」。
 歌でも。ダンスでも。シアターのヲタを沸かそうと思えばそれも。
 求められれば、それ以上のことをいつでも。
 躊躇なくそう答えられるだけの努力を、おそらく彼女は続けてきたのだろう。


 それなのに。


 アイドルとしての田野のキャリアパスは、贔屓目にみても順風満帆とは言い難い。ありていに言えば「干され」「鳴かず飛ばず」「その他大勢」。
 あれだけのパフォーマンスができる人が、この場所にいなければならないというのは、これはもう組織における根の深い病理だ。せめてもの救いは、彼女の魂の「もう半分」が選抜に入ったってことだろう。
 思春期はとっくに終わって、田野の鬱屈はさらに深くなっていったようだ。


 それでも。
 

 踊っている間は出口が見えない閉塞感なんか、みじんも感じさせなかった。
 ああ、この人を見るためだけでも、何度でもここに来よう(もちろん西野だって見たいし、彩希さんや茂木ちゃんだってそうさ)。


 終演後の「お見送り」で、僕は両手を重ねて彼女に賛辞を示し、「すばらしかった」と唇で伝えた。たったそれだけなのに、田野は驚いたように、素直に喜びを表して隣の子のマイクに手をぶつけてしまっていた。
 てっきり「あ、どーもー」程度の返事だろうな、と思っていたのに。
 どうやら彼女には賞讃が全然足りていない。


--


 みぃちゃん。
 行き遅れてこじらせたアラサー「女子」が、ちょっと間違った方向にはじけちゃったような髪色になってた。いや、似合うけどさ。


 島田。
 カワイクなってた。いまさらだが。ほんといまさらカワイクなってどうすんだ島田。


 阿部。
 どこにいても美しかった。どこでも美しく、いつでもぬーっとしていた。


 彩希さん。
 やっぱり可愛い、一生懸命の彩希さん。カギさんが褒めるだけのことはある。
 生誕祭お土産のゆいりんご人形を見せたら喜んでた。
 やっぱカワイイや彩希。


 市川(愛)。
 一瞬昔の相笠に見えた。時々噛みつきそうになる。田野がいなかったら、間違い無くこの人を追い続けていただろう。

2016年9月28日 (水)

最終ベルが鳴る2

 今回で16回めのシアター。もちろん当選は嬉しいけれど、最初の頃のような天にも昇るような感動はないだろう。


 そりゃそうだ。今から思えば、あれは僕にとって何度か目の恋のはじまりだったんだ。不特定多数の彼女たちへの恋愛。もしくは彼女たちによって織りなされる物語りに対する愛おしさ。
 AKBに関連のあるものだったら、何でも知りたかった。どんな短い動画だって見たかった。手に入る全てのDVDを手に入れた。

   そう 愛しさとは    そのすべて/知りたくなることさ

 その後、AKBはどんどん大きくなり、気がついたら後を追っていた僕はもう息が上がってしまっていた。曲のひとつひとつについて感じたことを綴っていたこの記録を書くことも、稀になっていた。
 たまに書くのは、シアターに来た時くらいになった。
 それも、来られればいい、というのではなくて、出来れば真ん中の方で、なるべくは前の方の椅子に座って見たいよね、というゼイタクを望むようになっていた。
 人は望むものを手に入れると、さらに多くを望むようになる。多くが手に入るほど、「それ」の貴重さが見えなくなって、それを手にするときめきは消えていく。


 ときめきを失った恋は、もう恋では無い。
 なに、嘆くことはない。極めて散文的なそれは、フツウのダンジョ関係ってヤツだ。実生活でよく知ってるだろ?

 
--


 抽選前には、毎回一巡で呼ばれる予感がする。何となく判る。
 もちろん予感でしかないのだけれど。そしてそれは毎回外れるのだけれど。
 一巡で呼ばれないと、じゃあ二巡かな、と考える。呼ばれないと、じゃあ次だな、と考える。
 「おいおい今日は『優勝』か」とため息混じりのつぶやきが聞こえることがあるが、そんなことを思ったことは一度もない。我ながらビックリするほどの楽観主義だと思う。
 それでもこの日、僕のラインは十巡を過ぎても呼ばれなかった。さすがにもう椅子には座れない。それどころかちゃんとした視界が確保されるかどうか。体調を考えたら何だか帰りたい気持ちにも、少しだけなった。


 やっと呼ばれて久しぶりの立ち見。それでもセンター3列目は上出来。
 そういやイチバン最初のシアターもこの辺だった。あっちゃんはいないものの、フルメンバーに近いA6「目撃者」。あれはもう4年も前のことだ。
 シュプレヒコールと銃声の後、訳もなく涙が溢れだしたのは、恋する彼女(たち)にやっと会えたからだった。そう言えば名も知らぬ研究生だった相笠に会ったのもこの場所だった。
 やれやれ、あんな感動はもう無いのかも知れない。
 それよりなにがしかの情熱を持ってこの記録を書くモチベーションが生まれるだろうか。立ち見だってのに。


 ウエストミンスターベル、影アナは茂木ちゃん。オバチャ、タイガーファイアー、型どおりのはじまりだ。ちょっと足腰がつらいけど、まあまあ楽しみましょ。


 そんなはじまりのはずだった。
 狭い空間だが僕の斜め前のおじさん(失礼! 僕よりは若いかも知れないが)が、小さいけれど、丁寧で的確なフリコピをしていた。むむ。タダ者ではないな。きっと古参に違いない。
 それを見て僕も小さな小さな指先だけのフリコピをはじめた。
 そう。そうそう。そうだ。


 風邪気味のせいだったのか、昨日の麻酔が残っていたせいだったのか。「最終ベル」の半ばあたりで鼻の奥の方がつーんとした。
「ボーイフレンドの作り方」のあたりで僕は涙を流していた。


 みぃちゃんがいる。相笠がいる。彩希さんがいる。ちぃちゃんがいる。藤田がいる。みんながいる。すぐそこに彼女たちがいて、最初の時と同じように、笑って歌って踊っている。


 ただそれだけのこと。
 ただそれでけのことが胸の奥に迫って、僕の涙が止まらなくなった。


 僕の彼女たちへの恋は、確かに終わっていた。
 でも彼女たちは、ここで待っていた。
 4年の間、とてもたくさんのことが変わったというのに、まるで何も変わっていないかのように、ここで僕を待っていた。


 麻酔のせいだ。
 いや、シアターに充満する魔法の粉のせいだってば。
 

最終ベルが鳴る

words
 
   

   最終ベルが鳴る(ふいに)
   降りるなら今だ 

 もう降りちゃおうかな、この列車。
 ぱるるも降りちゃうみたいだし。


 と思っていた矢先に届いた招待状。
 前々日に風邪を引き、前日に人間ドックで呻吟して、当日は飛行機で出張のとんぼ返りと、コンディションは最悪。咳こそ出ないものの、頭も耳も何だか重苦しい中でのシアター参戦でした。
 でも今日のステージには、どういうわけか「シアターの女神」彩希さんがいる。みぃちゃんとも久しぶりだ。相笠、茂木、岡田(彩)とくれば僕がイチバン愛した峯岸Team 4の同窓会だ。
 さらに阿部、島田、田野、藤田は「大場」Team 4の残党(厳密には藤田はTeam 4のメンバーではなかったが、「大場」Team 4の旗揚げ公演のスターティングメンバーだ)。
 

 しかし「最終ベル」公演か。


 この公演は当時にしては壮大な実験であった「ひまわり組」1,2公演の後を嗣いで、思いもよらず傷ついた「K」のアイデンティティーを癒すためのものではなかったか、と僕は思っている。


 もちろん「ひまわり組」がいけなかったわけではない。
 党派色が強くなっていたふたつのTeam を融合させ新たな化学反応を起こす。それはある程度の成果を出したのだろう。


  一方あの試みは、AKBには「推され」と「干され」がいるという、すでに誰もが気がついていたがおおっぴらに語られていなかった不都合な事実を、周知のものとした。


「推され=1st メンバー=一軍」と「干され=2nd メンバー=二軍」にTeamを分けて公演を行って、改めてわかったことは、「推され」だけではシアターは成り立たない、ということだった。


 「すぐれた敗者でなければ、勝者を輝かせたり価値をもたらすことはできない」


 残酷ではあるが、敬愛するなかやんの言葉だ。シアターには「すぐれた敗者」が必要なのだ。
 痛みとともにそれを確認して、もう一度原点のTeamに戻った最初の公演が「最終ベル」だった。彼女たちは生まれも育ちも違うけれど、やっぱり「16人姉妹」であり、お互いがお互いの「支え」であった。
 

 僕がまだ一度も見たことのないシアターのステージを、誰よりもよく知っているような気持ちになれた頃のことだ。その頃はまだAKBにたくさんの物語が詰まっていた。


 なーんてね。

 
 でも「最終ベル」だ。
 今決断しなければ、もう二度とその時は来ないはずのその報せだ。
 そんな報せが何度繰り返されただろう。
 「RESET」だ。「スクラップ&ビルド」だ。
 でも結局、Teamってヤツがぐじゃぐじゃに壊れて、誰がどこにいて、それにどんな意味があるのか全然分からなくなってしまった。それでいて何も始まっていない、新しい何かは別のところで起きているそんな閉塞感。
 いわゆるオワコンってヤツですか。
 ホント、「最終ベル」がずっと鳴りっぱなしじゃないか。 

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