Anthem

2012年8月11日 (土)

花と散れ!5

words
video 

 関係ない話にここまで引っ張られちゃあ「花と散れ!」も迷惑ですわ。
 ぷんすかぷんすか。

-- 


 「みなさんこんばんは。AKB48 Team 4です」。

 
 「僕の太陽」公演で彼女たちがTeam 4と名乗って挨拶をしたのは、2011年10月10日の初日が最初で最後だった、という話。


 現在AKB48の劇場の公演では、チーム名を名乗らないのが「お約束」になっている。
 なぜなら2011年4月8日から、劇場公演は建前上チーム制ではなくなったから。理屈の上ではどの演目をどのチームがやっても構わないし、どのメンバーがどの公演に出てもいい。


 だから最初の挨拶は、たとえ全員研究生であっても「こんばんは、AKB48です」でなければならない。


 これは劇場公演に限らない。
 公演をそのままTDCの舞台に持ってきたという態の、「見逃した君たちへ」。ここでも「お約束」は守られていた。TDCの舞台でチーム名を名乗ったのは栄の3チームだけだった。


「僕の太陽」2回めの公演は初日から5日めの10月15日昼。
 この時彼女たちは「お約束」通り、「こんにちは、AKB48です」とだけ挨拶をした。「Team 4です」とは言わずに。


 つまり初日に「Team 4です」と名乗ったのは、ホントにイレギュラーな出来事だったんだ。
 

 初日、最初のMCを先導したのは、島崎か島田のうち、歌わずに「レッツゴー」だけでオーディションを突破した方(あああああうるせいうるせい、そこまでわかってるんなら島崎でいいだろそうだよぱるるだよ)なのだが、挨拶自体は舞台上の全員がそろって声をあげる。だから事前に「Team 4」と名乗ることはメンバーは承知していたはずだ。挨拶の練習だってしただろう。


 2011年4月以降、「お約束」が出来てから、彼女たちが舞台に立った回数は諸センパイ方よりはるかに多い。「お約束」を知らなかったはずはない。
 それなのにどうして初日の舞台で、彼女たちは「Team 4」と名乗ったのだろう。


 ぽんこつが出ちゃったのか? 
 ぽんこつが出ちゃったフリしてマネしたのか?
 それであとで運営に怒られたのか?


 それとも「初日」だから特別にチームの名を名乗らせて貰ったのか?


 今は理由はわからない。


 ただひとつ思うのは、あの日、高らかにチームを名乗る彼女たちの声は、この上なく晴れやかだった、ということだ。

  走れ!私/全速力で

 
 そう、あの時のステージ、彼女たちは額を輝かせて、全力で走っているように見えた。
 その姿に、僕は参っちゃったんだよなあ。


 いまや本店を見限って博多の人になっちゃった感がなきにしもあらずのメモリストさむさん。
 そのさむさんによる、「僕の太陽」公演初日のレポ。

 パフォーマンスレベルを上げるのはもちろんのことであるが、お客さんに楽しんでもらおうとか、 みんなで1つになっていいステージを作り上げようとか、むしろそういう意識的な部分の方が重要なのかなと思う。 意識レベルの向上ができれば、チーム力の底上げに大きく繋がるんじゃないかなと思う。 まだできたばかりのチーム、始まったばかりの公演なので、長い目で見ないといけないのかもしれないが、 意識面がちょっと気になった。

 僕が心を奪われたTeam 4の初日のステージだったが、見る人が見れば問題は少なくなかったようだ。
 ちなみにさむさんは、彼女たちが「Team 4」を名乗ったことを聞き逃していない。
 ちゃんと

■MC1 (自己紹介)
島崎遥香 「みなさん、こんばんは」
みんなで 「AKB48 チーム4です」客、拍手

ibid

 と記録されている。


 その後も長い目でさむさんは見続けてた。そして2012年3月16日。

 今日は見ていて、最初から疲れていたような子も何人かいたとは言え、 いつも以上に躍動感はなく、振りもバラバラ。この公演の初日よりもクオリティが低いと感じるくらいだった。
  (中略)
 もう50回以上やっているけど、チームとして、あまり変わった感じもしない。 個々に伸びてる子はいるけど、ほとんど伸びを感じない子もいるし、チームとしてはほとんど成長を感じない。
  (中略)
 長い目で見ないといけないのかなと思うのだけれども、悪戦苦闘だったり、もがいてる感といったものはなく、 ただ毎回同じことの繰り返しをしている感じなので、この先もチームとしては変わらないんじゃないかなと思ってしまった。

 うわあ。
 厳しい指摘に反発した「ファン」もいたようだけど、言われるうちが花だったんだよね。「ずっと見てくれる人」「ちゃんと言ってくれる人」がいなくなった組織は(個人も)たいてい潰れちゃう。それはおっさんになるとよくわかるんだが。


 窮状を見かねてカギさんがTeam 4公演を見て曰く。

「バックダンサーとアンダーに慣れ過ぎて『自分たちの』公演という自信や、それどころか当事者意識すら持てずにいるのではないか」

 「みんなで1つになっていいステージを作り上げようという意識」とか、「自分たちの公演という自信や当事者意識」とか、やっぱ方法としてはまずチームでまとまるしかないんだと思うんですよね。


 そう、とどのつまり、彼女たちはチームになっていない。


 よそのチームを支え続けて、どこかのチームに入れるよ、と言われてその気になって、でもこれからは公演はチームごとじゃなくなりました、って言われて、でもやっぱり君たちで新しいチームになってね、ってことになってキャプテンが決まって、でもそのキャプテンがいきなり謹慎して、公演じゃチームを名乗れなくて…。


 「シアターの女神」やってる方が楽しかった、って子もいるんじゃないかな。
 かわいそうな、「うちの子」たち。


 でも「かわいそう」ではもう済まされない時期だぞ。
 

 今から思えば、彼女たちはずっと「Team 4です」って言い続けるべきだったんだ。
 「大人たち」が何て言おうと、「お約束」なんか知ったこっちゃない。
 「あたしたちはTeamだ、Team 4だ」って、叫び続けるべきだったんだ。
 「目撃者」にも「RESET」にも「シアターの女神」にも出続けよう。よそのチームのアンセムだって歌おう。でもあたしたちはTeam 4だ。ここがあたしらの国だ、と。


 あたしらにあたしらのチームのアンセムを歌わせろ、と。


 Team 4っていうか彼女たちって、いい曲貰ってるんだよね。
 「High school days」とか「走れペンギン」とか。
 

 でも一番アンセムに近いのはこれでしょ。

  センター行くぜ~!!

 これなあ、いい歌なんだよなあ。野心満々で。カッコよくて。でも研究生の歌なんだよなあ。
 この現状を抜け出して、どっかのチームにに昇格する、ってテーマだもんなあ。
 何しろ

  ちょっと ライバルを蹴落さなきゃ

ibid

 だもんなあ。
 これ歌ってみんなで力あわせてガンバりましょうってことには、ならねえかとほほ…。
 こんだ出るアルバム、Team 4のアンセムになるような曲は入って… ねえよなあ秋元センセイ。


 アンセムつながりで「花と散れ!」にリンクした? してねえかとほほ…。


PS.
 うおおおお。8月13日「RESET」当たっちゃった!!
 また相笠のキレキレダンスが現場で見られる!! 
 それにしても研究生すげえ使われよう。土曜の2回公演から日曜の博多公演を除いて木曜までずっと研究生の「RESET」。
 セレクションで傷ついた彼女たちをResetするために今イチバン必要なことなんでしょうね。


PPS.
 これを書いたのは、東京ドームコンサートの直前でした。


 2012年8月24日、ドームコンサートの最終日に「再組閣」とTeam4の廃止が発表されました。
 そして同年10月25日、Team 4による「僕の太陽」公演は千秋楽を迎え、「うちの子」たちの夢の王国はひっそりと解散しました。


 千秋楽のその日「Dreamin' girls」をはじめ、あたまの4曲を歌い終えた後、彼女たちはシアターに詰めかけた客とモニターの向こうで彼女たちをじっと見つめる僕らに向かって挨拶の名乗りをあげました。

 
 「みなさんこんばんは。AKB48 Team 4です」と。


 最後の最後に、シアターでの公演ではTeam 名は名乗らないという「お約束」をかなぐり捨て、ひときわ大きな声で。


 「Team 4です」と。

2012年8月 6日 (月)

花と散れ!4

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 んもう「花と散れ!」全然関係ねえじゃん。
 いんだようっせなあ。


 13期そろってもうチーム作っちゃえよ、と言った途端のセレ落ち。
 13期の名前は全部憶えて、顔と一致させてるところでいきなりの5人減。
 北長谷川は個体識別できるようになった途端。
 いろいろ運営の思惑を忖度する向きはあるのだろうが。
 「これがAKBだ」。


 北~。
 同期から「13期生でイチバンダンスが上達した子」に認定された矢先だったのになあ。
 あまりにも踊れないんで、みんなで話し合いになったって。車座の中、みんなの前で一人練習して、それで上達していったんだって。ようやっと仲間から「上手くなったね」って認められて、本人も嬉しそうにしてたのになあ。
 それでもセレ落ち。
 「それがAKBだ」。
 

 --


 なんか前回は重っ苦しい感じになっちゃったよね。
 「傭兵」とか言っちゃったりして。
 中二かお前は。


 事実の誤認について。
 ろくに知識も無いクセに慣れないことするもんじゃないねえ。ちょっと調べりゃすぐわかるじゃんねえ。ごめんなさい。
 

 その1。2011年初頭の「降格構想」について。
 文春の記事だけじゃなくて、ちゃんとオフィシャルのアナウンスもありました。「アンダーメンバー」ってヤツね。厳密には「降格」というより野球の二軍みたいなのを考えていたんですね。


 その2。なかまったーのこと。
 「アンダーメンバー構想」の直後に10期生の仲俣が昇格したんでしたね。確か「早稲田に受かったので昇格ね」という面白い理由でした。だから「9期生の8人」という表現は正確性を欠くこともありました。


 少なくとも震災の前あたりでは、9期生8人(プラス仲俣)がどこか既存のチームに入ることになるだろうってのは、憶測ではなく限りなくオフィシャルな話だったわけです。
 

 研究生がアンダーに出るのは当たり前でも正規メンがアンダーってどうなのよ、って意見が出るだろうってことを織り込んで、「今度っからチームごとの公演じゃないことになりましたから。AKB全体での公演ですから」ってことにしたんだよね、多分。


 いや、それ自体僕はいいと思うんですよ。いろんな演目ができるのはすっごくいいことだと思います。むしろどんどんやりゃいい。むしろ新Team Aのメンが「RESET」や「シアターの女神」やるの見てみたいくらいだもん。原理的にはそれだって「あり」なんでしょ?


 でも実際にはそういうことはなくって、「チームごとではない」の対象は所属未定のメンバーだけでした。
 それでもこの先にはAかKかBに入れると思えば、どこのアンダーも楽しかったでしょう。


 ところが。
 あれこれあって、雲ゆきが怪しくなったのが2011年の春。


  既に昇格している9期生8人(プラス仲俣)を飛び越して11期生の鈴木(紫)がTeam Bに昇格してからすぐ、市川の昇格も発表されました。
 

 それからほどない2011年6月6日。
 TDCで「Team 4」の結成が発表されました。つまりは9期生以下の無所属正規メンバーはAKBどのチームにも行けない、と。


 ええええ? 「アンダーメン」構想は?
 すっかりなかったことになりました。理由?「メンバー全員、一生懸命やっている」からだそうでーす。
 震災の影響だったのか、大人の事情なのか、それはわかんないけど、とにかくそういうこと。
 君子ハ豹変ス。いんだよ細けーこた。


 新チーム創設、という構想自体は昔からあったし、鈴木(紫)が飛び越した辺りで大場あたりはそんな予感してたってんだけど、ねえ、「Aに入りたい」とか広言して身としては複雑でしたよね。
 TDCでのサプライズ発表の瞬間の画を見ると、ほとんど喜色なし。
 

 震える島田か島崎のうちうるせー方。
 なぜか泣き出す伊豆田慰める永尾。
 竹内は呆然。山内は露骨に嫌な顔。 
 微妙な表情は研究生の加藤(玲)。なんだかグロ注意の画像を見ちゃったみたいな顔。「ええ~あたしドロ船に乗るのやだな~」って感じ? 
 あ、やっぱり研究生の阿部一人が場違いにニコニコ。「あ~おめでと~」って感じ。何で9期生の顔が引きつってるのかわかってない。自分がTeam 4に入る可能性もたぶん気づいてない。
 やっぱ面白えなあ、あべま。おつむの中がちょこっと人と違うのね。あべま。


 そして表情の読めない島崎か島田のうちよりポンコツの方。


 やがて観客は「Team 4」のコールを上げはじめる。
 わざわざ元「チーム研究生」の公演を見にTDCにやってきたヲタたちだもの、9期生を中心とする彼女たちが一つにまとまっていられることを喜んだに違いない。


 しかしどうしてもそれに乗ることができないメンバーたち。
 「チーム研究生」の絆は確かに強かった。でも昇格発表から半年。その間彼女たちには「既存チームへの昇格」を、半ば公式に約束されてきた。それがふいに空手形になってしまったんですもの。
 あからさまにがっかりもしますわねえ、それは。


 発足したTeam 4。 
 サプライズの直後、秋元先聖先生は「君たちに可能性を感じるから新チームを作ったんだ」と訓示した由。えーホントそれまじまじ?
 ともあれ新生Team 4は動き出した。


 2011年7月23日、阿部入山の昇格とともにTeam 4のキャプテンに大場美奈を選出。
 島田か島崎のうち意外と女の子っぽい方(ああ、めんどくせいなあ、わかったよ島田だよ島田)がキャプテンになるんだと、周りも本人も思ってたらしくケッコウな動揺が走った。


 でもあたしたちはチームになったんだ。
 みんな大場キャプテンについて行こう。
 とりあえずはアンダー頑張ろう。


 そう自らに言い聞かせてたんだろうね、きっと。
 

 2011年9月2日。
 森杏奈「辞退」。
 腰痛のためだって。腰が治ったら「また戻ってきなさい」って秋元先生は言ってくれたんだって。
 ああ、いったい誰がそんなこと信じるっていうんだ?


 同じ日。


 大場美奈「謹慎&キャプテン辞任」。
 全くオオバカヤロウだった。


 そのわずか2週間後の9月15日、島田は公式ブログで自分たちの公演の演目とスケジュールを知らされた。 


 「僕の太陽」公演は「見逃し」でやってたから、まあ演目はこれになるんだろうなあ、という予想は
立ってただろう。支柱が二本ブチ折れた直後(しかも一本は大黒柱)というタイミングについても、アクシデントだからしょうがないっちゃしょうがない。世の中とは得てしてそういうもの。


 でもあと一月弱で公演やるよって、直接当事者が知らされることなく、ブログで発表ってどーゆーこと?


 あのね、Team 4のみんなね、みんなはまだこどもだから「ものごとって、こういうものなのかなあ」なんて思うかも知れないけどね、それ違いますよ。全然違いますからね。
 こういうこと大人の社会で起きたら、それは発表した方が「舐めてる」ってことですからね。怒ってもいいことなんですよ。
 

 フツウはまず当事者に直接お話しがあります。
 「今は大変な時期かも知れないけど、こういうことになったから全力を尽くすように」って。どんなおざなりな方法でも、アナウンスの前に説明があってしかるべき。
 もちろん演出上の意図で当事者に知らせないこと、「サプライズ」ってやり方をすることはあるけど、これはそうじゃない。
 

 それから約1ヶ月後の2011年10月10日。
 満身創痍のTeam 4による「僕の太陽」公演は初日を迎えた。
 最初のMCの挨拶、マイクを握った島崎遥香と舞台上のメンバーは高らかに声を上げた。


 「みなさんこんばんは。AKB48 Team 4です」。


 公演の挨拶で彼女たちが自らを「Team 4」と名乗るのは、これが最初で最後だった。

2012年7月31日 (火)

花と散れ!3

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 なんかどんどん「花と散れ!」から離れてるような気がする?
 うん。僕もする。
 大丈夫なのかしらん。


 Team についての話の続き。


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 2011年の2月には、正規メンバー8人を降格するという憶測が流れました。降格候補の実名までまことしやかに囁かれ、所属未定の昇格組8人との入れ替えが現実味を帯びているかのように見えました。


 そして3月11日。


 先行きがどうなるかわからないほどの大災害。研究生オーディションの真っ最中だった後の12期生岩田は仙台で被災した。
 日本中を不安が覆い、関東から避難する人も少なくなかったのを憶えています。


 AKB劇場は無期限休館。だって電気が来ないんだもの。
 戸賀崎劇場支配人はその日の深夜,「不安な気持ちは、皆一緒だと思います。こんな時だからこそ、一致団結して皆で支え合いましょう!」と呼びかけました。その言葉どおり、地震からわずか3日めの3月14日には、後に「誰かのために」と呼ばれることになるプロジェクトの一環として義捐金募金が開始されました。
 横アリでやるはずだったコンサート「たかみなについて行きます」は中止となり、チャリティー物販会が開かれました。
 3月29日、暗い照明の下、ようやく公演が再開


 この混乱と奮闘の日々の間に「降格」という言葉は霧散したようでした。
 その代わり公演に関する新たな構想が浮上しました。公演再開から10日後の公式発表。

 今までチーム公演、研究生公演という形でのスケジュール発表をしておりましたが4月8日から
AKB48
「目撃者」公演
「RESET」公演
「シアターの女神」公演
SDN48
「誘惑のガーター」公演
の4つの公演をバランス良く行う体制が整いましたことを、ファンの皆様にご報告致します。

AKB48オフィシャルブログ 2011/04/02 【劇場公演について】

 何かを伝えたいのはわかるけど肝心なことは何も伝わらないお馴染みの文章なんですが、要するにそれまではチームごとの公演だったのが、それからはどの演目も「AKB48の公演」になる、ということでした。もちろん「目撃者」公演ならば新Team Aが主体となるのがフツウなんだけれども、極論すれば、新Team Aのメンバーが誰もいない「目撃者」もありだ、ということになります。


 んなバカな。
 でもその後、新Team Bのメンバーが誰もいない「シアターの女神」公演は全くフツウに行われるようになったもんね。


 その結果、2011年4月8日以降AKB48劇場における公演に於いて「チーム」という概念は公式には消滅してしまいました。


 もちろん実態として公演はほぼ新Teamのメンバーを中心に行われているし、チームごとの地方公演もあります。また劇場公演の最中にメンバーがチームの名前に言及すること(典型的には研究生が「チームAさんの公演に出させていただき云々」みたいなの)はよくあるんですけど、「劇場での公演はチーム制ではない」という建前は貫かれています。


 それを端的に表しているのは、劇場公演についての公式ブログの表記と、公演でのメンバーの挨拶です。
 公式ブログでは、「チームA(K、B)公演」というような表記は2011年4月以降なくなりました。また、公演最初の挨拶は、どの公演でも「みなさん、こんばんは。AKB48です」に統一され、チーム名を名乗らなくなりました。


 どちらもちょっとした例外を除いて。


 ブログの表記についての例外は、指原の電撃移籍の発表の中にありました。

 これがAKB48指原莉乃にとって、HKT48移籍前最後のチームA公演となります。

AKB48オフィシャルブログ 2012/06/16 指原莉乃に関しまして


 オフィシャルな文章だったら、ホントは「最後の『目撃者』公演となります」と書かなくてはいけないところでした。実際にはお別れ公演にはならなかったけどね。
 この告知、戸賀崎劇場支配人の、指原に対する万感の思いがこもってます。余談ですけど、「研究生菊地について」と同じくらい胸に迫る文章でした。
 さすがのtgskさんもちょっとコントロールを失っちゃったのかもね。


 挨拶での例外は…、これは後回しにします。


 例外はさておき、「劇場公演の主体はチームではないようにする」というこの「新方式」が打ち出されたのなんでなんでしょう。
 みんな大好きエケペディアがサマライズするところの戸賀崎さんのインタヴューによれば、

新方式での公演となったのは、人気メンバーの外部仕事が多くなり、劇場公演に出る事が出来なくなってしまったから。当初、運営側は「原点回帰」を掲げ、劇場公演を増やすとしていたが、やはりメンバーが揃わなければ劇場公演が行えない。そこでテーマを「12月8日」に変更。その意味は、戸賀崎劇場支配人によると、「まだ誰も知らない子たちが、夢に向かって頑張り続ける場所を作るっていうことが“原点”」。つまり、前田敦子の様な人気メンバーが公演に出るという意味での「12月8日」ではなく、“AKB48劇場”を無名のメンバーが出る場所へと戻すこと。それが「12月8日」という意味。

AKB48Wiki エケペディア 公演

  まあトガちゃんったら、何かを語りたいのはわかるけど、何を語ってるのかはよくわからないってのは、インタヴューでも一緒なのね。


 「組閣」によって刻み込まれた「今私がいるこのチームはずっと続くものではない」という意識。
 いつの間にか立ち消えになった「8人の降格」。
 そして「劇場公演の主体はチームではない」という新構想。

 
 9期生の昇格組8人は、こんな状況で、帰属するチームが未定のままひたすらアンダーを勤め続けていました。
 同じ頃、「不発の最終兵器」奥が卒業しました。
 でも空いた新Team Bのポストを襲ったのは、すでに「昇格」しているはずの9期生の誰でもなく11期研究生(元7期)の鈴木(紫)でした。
 「昇格」したはずなのに、8人はどのチームに属することを許されず、行く先々のチームのアンセムを歌い続けました。


 Aじゃないのに「We're the Team A」と。
 Kじゃないのに「われらがチームK」と。
 Bじゃないのに「結局 誰もみんな チームB推し ですよね?」と。


 その時の彼女たちの気持ちは僕にはわかりません。
 ただこれとよく似た立場の人々は知っています。その集団に帰属しているわけではないが、その集団の旗の下で血みどろになって働く人々。


 彼らは「傭兵」と呼ばれています。

2012年7月28日 (土)

花と散れ!2

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 かつてTeam Kの「準アンセム」だったこの曲の話のつづきをしようと思ったのですが。考えているうちに「チームとは何か」ってことにぶち当たってしまいました。


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 あれから気がついたら10日。
 何だかずいぶん昔の話のような気もします。
 僕はホントにあの場所に立っていたのだろうか。
 公演DVDを観る度に、そんな感慨が浮かんできてしまう。だってDVDで見ると、すっごく広いんですもの、ステージ。
 でも、僕が立っていたはずのあの場所は、今から思うと信じられないくらい狭くて、近くて、メンバーのため息すら聞こえるようなところでした。


 「近さ」。


 理屈ではわかっていたつもりだったんですけど、この圧倒的な物理的近さこそが、AKBの力の源泉(であると同時にひとつの限界)だったのだということを、あの時ほど得心したことはありませんでした。
 でもね、もう忘れかけてる。


 ああ、もう一度それを確認に行きたい。


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 13期生のこと。


 今まであんまし気にしてなかったんです。13期生。
 無意識に光宗バイアス(ろくに実績もないくせに、大人の事情で推されまくりテレビ出まくりやがってふんっ。とかね)があったのかも知れません。
 でも公演で13期の相笠を見て、おおっ、と思った。すげえ、この子、すごいじゃん。


 それからカギさんとかメトロポリス@さんとかが13期の公演のこと書いてるの読んで、おそるおそるオンデマの研究生公演見たんですよ。この間の全員お揃いのヤツ。


 うわあ、参っちゃったなあ。また名前憶えなきゃいけないのかよお。
 もう余分に余ってる海馬の細胞ないんですけど。マジで。Team Eでもう腹みないっぱいごちそうさまだったんですけど。


 あれね、13期生って、倍速クロック(相笠搭載)とまではいかなくても、1.5倍速クロックはみんな標準装備なのね。
 面白えなあ。楽しいなあ。お前らセンパイいないと後先考えなくって、いいな。
 ああ、こいつら見に行きてえ。


 もうお前らTeamなんかどうでもいいよ。
 "The 13th gen from AKB48" でいいよ。
 それでやっちゃえよ。自分らの国作っちゃえよ。傭兵根性が染みついちゃう前に。


 研究生16人ワンセットで採ったってのは、そういうことなんでしょ? 秋元先生。
 最初の「22粒」アゲインってつもりなんでしょ? で、今までのAKBとちょっと違うモンを、と考えてるんでしょ?


 でもねえ、ホントは9期中心でやりたかったんじゃないかな、そういうこと。
 8期の断絶の後、継ぎ足し継ぎ足しじゃなく、まっさらなTeamで、新しいAKB。
 でも横山が出来杉クンだったのと、あれとかこれとかあったのと、あとTeam 4を作る踏ん切りがなかなかつかなかったおかげで、何か思った通りにならなかったんじゃないか、というのはモチロン妄想なのですが。


 そう、忘れているわけではありません。
 大事な「うちの子」たち。Team 4。


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 「組閣」して「RESET」して、それまでチームで培われてきたものをずたずたにして、それでよかったこと悪かったこといっぱいあったでしょう。
 功罪はまだ定まらないものの、ただひとつ言えること、メンバーの心に刻まれたことが一つ。


 「今私がいるこのチームはずっと続くものではない」。


 いろんな事情で、チームがシャッフルされることって、これから先も当然ある。
 そう考えるとメンバーにとってチームの意味って、以前とはちょっと違って来ちゃったんじゃないかしらん。
 そのせいかどうかわからないけれど、シャッフル後の各新チームに与えられたセットリストには、チーム意識をことさらにかき立てるような曲が用意されていました。


 すなわち新Team Kには「RESET」が、新Bには「チームB推し」。
 そして何よりもかつてはAKBそのものであった「A」にも「Pioneer」が。

  われらがチームK

RESET

 とか

  結局 誰もみんな チームB推し ですよね?

  とか、

  We're the Team A!
  pioneerよ

Pioneer

 こういう新しいアンセムを一緒に歌いでもしないと、新チームはチームとして成り立たないんじゃないか、って危惧が秋元先生あったんでしょう。やっぱチームでまとまってこその成長ですもの。


 当時 Team 4の主力メンバーである9期、10期生も、各チームのアンダーを勤める一方、「チーム研究生」による「研究生公演」として「シアターの女神」公演の舞台に立ち続けていました。


 エラソウに書いてるけど僕ね、この頃研究生のことなんかなんも知らなかったの。だから事実誤認があったらゴメンナサイ。
 でもいろんな人が書いてるのを見てると、研究生公演はたくさんの人の心を掴んでいたみたい。みんな口を揃えて、研究生公演の楽しさを語っていた。

 9期生としての彼女らを僕は09年12月23日に初めて見ました。ヲタク3連番で上手最前列で観たことをなぜか強く記憶しています。
(中略)
楽しかったなぁ。
辞退だろうが謹慎だろうがここまできた道はずっとこれからも色褪せることないし、みんなの記憶に残り続けると思います。

(中略)
楽しかったなぁ。
9期の公演楽しかったなぁ。

(中略)
あんなに9期の公演楽しかったのになぁ。
バカだなぁ、ホントバカ。

楽しかったなぁ。


あい My みぃ+ AKB48峯岸みなみと森杏奈と小林茉里奈とetc
2011/09/03「森杏奈の辞退と大場美奈の謹慎について」
 時間がずっと後になってしまうのだけれど、大場の謹慎と森の「辞退」が決まった時のことです。研究生を愛していたよねたろうさんの愛惜の言葉が胸に刺さります。
 よねたろうさんが見ていた時が「チーム研究生」の最も輝いていた時期だったのかも知れません。


 9期主力メンバー8人の正規メンバーへの昇格が発表されたのは、2010年12月8日、AKB48劇場5周年特別記念公演の場でした。


 当時AKB48には、新Team A、K、Bがあるだけだった。9期生の出来杉クン横山は、2ヶ月早くTeam Kに昇格していました。直前に卒業した小野の後任でした。
 ポストの無いまま、とりあえずの昇格ではあったけど、これで解雇(セレクション落ち)の心配は無くなったし、お小遣い(給料とは言えないよね、きっと)も増えた。何よりも横山のように、いずれはどこかのチームに所属できるはず、と彼女たちは思ったでしょう。


 しかも昇格発表から2ヶ月後の2011年2月には秋元先生が「タルんだメンバー8人を減らす」と発言した記事が文春(おい)に掲載されました。8人が降格され、空いたポストに9期の8人が座る。そりゃ誰でもがそう思うでしょ。


 でも、なかなかそうはならなかった。


 そして訪れた3.11。
 あの日、何もかもがひっくり返ってしまったようでした.。

2012年7月11日 (水)

花と散れ!

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 K3アンコールの1曲目。作曲は井上ヨシマサアニキ。
 この曲の後には「Team K 2nd メドレー」と称して「Virgin love」「シンデレラは騙されない」が続く。どちらもアニキの御作。アニキ3連発。さながらアニキ祭り。


 「Virgin love」はともかく「シンデレラ…」はシングルカットもあり得たんじゃないかってくらい手の込んだ曲だったから、K2だけでお蔵入りしちゃうのはもったいないよね、って気持ちがあったのかも知れません。


 ヨシマサアニキが公演曲を書き始めた頃。


 今でこそ「よすすと言えばAKB、AKBと言えばよすす」であるが、当時はまだたくさんいる作曲家のワンオブゼムだった。


 それよりもちょうど同じ頃、秋元康の長年の盟友である後藤”ゴッキー"次利がAKBに曲を提供しはじめていた。
 A2で「リオの革命」、K3に先立つA3ではセットリスト劈頭の「月見草」と終盤の「月のかたち」。


 秋元後藤ペアと言えば名だたるヒットメーカー。1990年代にとんねるずをスターダムに押し上げた張本人たち。その後藤が曲を提供した。
 それまで秋元っちゃんのアイドル道楽と見られがちだったAKBプロジェクトに、あの「後藤ちゃん」が一枚噛んだってことの意味は大きかったろう。期待や業界の反響も大きかったろう。
 ヒット曲作りのキモを心得ていて気心の知れたゴッキーを重用するという選択肢が、秋元先生にはあったはずだ。


 でも結果的にその後ゴッキーはあまりAKBにからんで来なかった。ロイヤリティの問題だったのか、秋元先生のリテイク要求がうざかったのか。
 Team Aに3曲書いた後、数曲提供しただけで、Team Kには後藤の曲はひとつもない。


 その代わりのK3アニキ祭り。


 今日振り返ってみると、これはAKBが既成のヒットメーカー「ゴッキー」ではなく、若手の挑戦者「よすす」を選んだことを象徴するセトリのようにも見える。
 その選択は、その後のAKBの方向性に大きな影響を与えた。
 今こういう曲を僕らが聴けるのも、そのおかげだ。


 K3に続くA4では祭りどころかアニキ博覧会の様相を呈することになるのはまた別の話。
 この辺のところの話、アニキと石原"三昧"Pとでしゃべって欲しかったなあ。


 さて「花と散れ!」。


 花と散れ、と聞けば誰でもこの歌を思い出すよね?。よねよね? え? 知らない?

  万朶の桜か襟の色/花は吉野に嵐吹く
  大和男子と生まれなば/ 散兵線の花と散れ

 みんな小さい時に歌ったよね? よねよね? え? 歌わない?


 大日本帝国陸軍の精華であり中核であった歩兵科の歌。死を恐れることなく戦う兵士のためのアンセム。
 一応現代語の解釈も書いとく?

  咲き誇っている桜の花のような色の陸軍歩兵の襟章の色
  桜の名所である吉野に嵐が吹いて、咲き誇る花が散るように
  日本の男子と生まれたからには
  歩兵として戦って立派に死ね

 まあ秋元先生だって歌わなかったろうけどね。でも歌の心に通じるものがあるのはわかるでしょう。

  例え 燃え盛る炎の中でも/信じた道を進めよ
  この身が滅んでも/心の形は
  灰になって残るだろう

 たとえ己が滅んでも、信じた道を前進あるのみ。ね、やっぱり「花と散れ」とは「成すべきことを成して潔く死ね」という意味である。


 余談だが「心の形」が「灰になって残るだろう」という表現は、つくづくうまいと思う。
 「身は滅んでも心は残る」というだけならば、わかりやすいがあまりに通俗的だ。
 でも「心の形」ならどうだろう。その人の有りようや志、そういった「その人をその人らしくあらしめたもの」は、たとえその人がいなくなっても残る。
 「ああ、彼だったらこういう時はきっとこうしたね」と。
 また、「心の形」が「灰になって残る」という表現には、不思議なリアリティがある。
 ほんの小一時間前までは冷たく動かなくなっていたとは言え、確かに見知った人の、重みを持った遺体だった。それが荼毘に付されることによって、こんなに軽い骨と灰になってしまうものか。
 それは身内の火葬を体験した者だけが知っているリアリティである。
 おそらく秋元先生も知っているだろう、さっきまで具体性を持っていた遺体が、灰に姿を変えて抽象の世界に旅立つ変化を。残るのは、まさに抽象的な「心の形」である。


 おっと道を外れた。
 「成すべきことを成して潔く死ね」、の話ね。


 秋元康は時折こういう歌を書く。
 それは越えるべき川であったり、

  川を渡れ!/You can do it!

 死に方指南だったりする。

  前に倒れろ!/力尽きても…
  それが正しい死に方だ/生きる者よ

 さらに余談だが、こういった曲を聞くと真っ先に秋元(オ)の顔が浮かぶのは僕だけじゃないはず。


 この曲は、ひとときはK2「転石」に次ぐ、Team Kの準アンセムのような位置づけだった。B1として「青春ガールズ」が選ばれて、「転石」がKだけの歌ではなくなってから特にそうだったようだ。コンサートでは「転石」と抱き合わせで歌われることも多かった(「Die Deutschlandlied」と「Die Fahne hoch」みたいに)。


 残念ながらこの曲は、リクエストアワーでは2008年の74位に顔を出したっきりで、「転石」のような定番曲になることはできなかった。しかしこの曲の「スピリッツ」はその後さまざな曲に受け継がれて行ったような気がする。上にあげた「RIVER」や「ALIVE」だけではなく。

2011年7月22日 (金)

転がる石になれ4

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 「転がる石になれ」は、Team Kのアンセムであり、アイデンティティのための歌であり、ディランへの薄~いトリビュートだった。


 でもこの歌、Team Kだけじゃなく、AもBも、あろうことかTeam Nも歌ってるのね。
 Aは2006年の日本青年館第2公演で、BとNはセットリストごとリプレイしている。


 で、この曲のハイライトがチーム名の「名乗り」。この時のフリが各チームで異なっている。


 オリジナルはもちろん「We're the Team K」。右手の親指、人差し指、小指を伸ばし、手の甲を前に向ける。有名な「Kサイン」ですね。これを下から持ち上げる感じのフリ。
 なんでこれが「K」を意味するのか、前方から見ると小文字の「k」に見えなくもないですが。
 手話の「K」とは違います。


 Team Bでは、「We're the Team B」と歌うとき、右手の親指、人差し指、中指を伸ばし、残り2本を曲げて手の甲を前に向けます。で、Team Kが下から持ち上げるのと違って最初から顔の高さ。
 こんな感じ
 そこから前方にじわーっと伸ばしていくフリ。


 Team Aが「転がる」を歌ったのはたぶん1回だけなんじゃないかなあ。日本青年館第2公演。
 この時Aのメンバーは、「We're the Team A」と歌いながら、右手を握って前に突きだし、そこから上へ高らかにかかげていました。こんな風に。
 まあ1回こっきりのステージのフリだから、そんなに難しいフリは考えなかったのかもね。


 ただ後年「Pioneer」の中で「We're the Team A」を連呼するようになるのだが、この時ののフリは奇しくも右手の「ぐー」を何度も突き上げるカタチで、「転がる石」の時と同じでした。


 余談だが、この「Pioneer」では「We're the Team A」と歌いながら4回コブシを突き上げる場面がある。この時すごく力が入ってて、素早くしっかり伸ばしかつしっかり曲げてるメンバーと、伸ばすのも曲げるのも明かに中途半端なメンバーがいるのね。


 右腕の曲げ伸ばしがあまりに力強いので、残りの体全体が振り回されそうになっているのは…


 そう、やっぱ高橋、たかみなでした。
 そう、やっぱたかみなだよな。

2011年7月19日 (火)

転がる石になれ3

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 「転がる石になれ」から、ボブ・ディランの「Like a rolling stone」を思い出すのは少数派だろうか?
 少なくともAKBに関心を寄せる層に限定したら、圧倒的少数派なんだろうなあ。


 この歌が世に出たのは、1965年。ベビーブーマーの第1期生が成人を迎える頃だ。
 この時、秋元康は生まれてはいたけれど、いくら彼が早熟の天才だったって、ディランのこの歌を熱狂的に歓迎した聴衆の一人だった、ということはないだろう。秋元より年下の僕も同様。
 この曲とは、発表から10年以上経った後、「ボブ・ディランというすごいフォークシンガーのすごい曲なんだ」という知識または教養とともに、出会うことになる。


 正直、ディランは苦手だった。


 というか、正確に言うとディランが好きなヤツが苦手だった。うん。すごいシンガーだってのはわかるし、メッセージもすごいんだろう。

どんな気分だい?/どんな気分だい?
ひとりっきりでいるってのは?/うちに帰る方角もわからないってのは?
誰にも知られていないってのは?/転がる石みたいに

 でも、何をしても、何を言っても見透かされているようなそんな気がして、居心地の悪さがつきまとった。


 「Like a rolling stone」を素直に聞けるようになって、お、すげえじゃんと感じられるようになるにはもっと長い年限が必要だった(桑田さんとみうらじゅん尊師のお陰だ)。
 

 秋元康はディランについてどう感じていたのだろう?


 「転がる石になれ」の中には、ディランの名曲のひとつ「Blowing in the wind(風に吹かれて)」を連想させる部分がある。

太陽に焼かれ/雨に晒された
いつかの夢が風に吹かれている

 ふつうだったらタイトルが「転がる石」で途中の歌詞で「風に吹かれて」と来たら、こりゃもうディラントリビュートで決まりじゃん、って話なんだが、この曲でのディラン関係はそこまで。


 あえてディラン臭さを読み取るとすれば

まわりの声に合わせるな/意地を張って生きるんだ

 とか、

尖った石になれ/譲れぬ何かを持ち続けろよ

 くらいだが、どちらもまあ一般論的ガンコ親父像だもんね。というか、ちょっと「やっつけ感」が無いと言っちゃ嘘になる印象。


 秋元先生、ディランにそんな思い入れはないのね。ちょっとディランっぽさが欲しかっただけなのね。
 と、この曲だけ聞いてるとそう思うわね。


 ところで、ディランは苦手でも、「風に吹かれて」は好きだった。
 

 歌詞もわかりやすかったし、何よりも最初はディランの曲としてではなく、ピーター、ポール&マリーの「フォークソング」として出会ったのが大きかったのかも知れない。後に「本家」ディランが歌うのを聞いて、変な歌い方だなあ、と思った。まあ「フレンド」と「ウインド」を、無理矢理韻を踏むように歌うことが出来るんだって妙な感心はしたが。


 この歌は、繰り返し繰り返し聴衆に問い続ける。
 さまざまなものが、ある(べき)姿に辿り着くまでに「いったいどれくらいの」さまざまなものが必要なのかと。それらは、辿る道のりだったり、越えるべき海だったり、砲撃回数だったりなわけだ。

Yes, how many times can a man turn his head
Pretending he just doesn't see ?

 いったいどれくらいの回数人は目を背けることができるんだろう? 見て見ないふりをするために。


 もちろん、答えは風の中に吹かれてるんだけどさ、秋元康は後になって別のところでちょろっと答えようとしていたんだね。

僕たちは目撃者/決して 目を逸らしはしない
今 起きた出来事を/誰かにちゃんと伝えよう

 ずいぶん長いパスだったな、おい。


 そういや「Blowing in the wind」を流行らせたPP&Mには、「If I had a hammer(天使のハンマー)」ってもあった。

もしもハンマーがあったら/朝から晩まで国中でハンマーを振るおう
ハンマーで危険を知らせよう/ハンマーで警告を鳴らそう
ハンマーで国中の兄弟姉妹の愛を呼び起こそう

 ってな歌。


 ひょっとして長これも長い長いパスだったの?
 かもね。

2011年7月16日 (土)

転がる石になれ2

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 Tagに迷ってしまった。


 結局、「Anthem」と「Be ambitious」というTagを新設した。
 前者はそんなに多くはないだろうが、やはり特別な曲には特別なTagが必要だろうと思い至った。
 後者について、すでに「Ambition」というTagが存在していたのだが、これは「輝きたい」という願望は表現できても、「輝くべし」という秋元康からの激励・命令・詔勅を言い表すにはちょっと適さないことがわかってきた。
 それにメンバー諸君の可憐な姿を見ていると、Ambition should be made a sterner stuff だよなあ、と思っちゃうわけだ。
 それでクラーク先生風に「(Girls,) Be ambitious!」。


 やっぱりTagに迷っていた、「君が星になるまで」もこれでしょ。


 さて、この曲。前回は何でこの曲が必要だったかをちょっと考えた。
 おさらいすると、この曲は「Team KがTeam Kであること」すなわちTeam Kのアイデンティティを高らかに歌ったものだった。


 アイデンティティについて語ったり歌ったりするのは、たいていアイデンティティの危機にある人や集団なんだよね。当時のTeam Kもそうであったのだろう。そして今、現Team Aもその心配がある。


 ここで話はそれるけど、「シアターの女神」公演ってあるじゃん。あれって本来は現Team Bのセットリストなんだけど、ちょくちょく研究生とかTeam 4のメンバーだけでやってるでしょ。


 全く現Team Bのメンバーがいないにも関わらず、「チームB推し」ってどうなん?


 もちろん「あなたは 今日で…」の続きは、その時ステージにいるメンバーの名前なんだけど、その人たちは「ほらチームB」じゃないじゃん。歌ってて、彼女たちどうなんだろう。


 そもそも「チームB推し」って歌は、シャッフル後に起こった、現Teamのアイデンティティの混乱を収拾させるための曲でしょ。そのためにメンバーの名前をひとつひとつ読み上げ、彼女たちが「チームB」であることを繰り返し強調する。


 つまりお客に「あなたは 今日で」と歌いかけるとともに、自分自身に対しても「あたしは 今日でチームB」って納得させるための歌なのだ。


 それを現Team Bが誰もいないところで研究生に歌わせちゃ可哀相(もっとも「名前が長くてすみません」には笑わせて貰っているのだが)。


 まあ百歩譲って研究生は仕方ないとしても、小なりと言えどもれっきとした(そうなんですよね? 秋元先生)正規のTeamである4のメンバーが、「チームB」と歌わなければならないのでは、何のための昇格なんだったんだかって話ですよね(ですよねー)。


 話を元に戻して、「転がる石」。


 アンセムとしての意義は別として。
 ちょっと歳の行った人はこれを思い出すはず。

How does it feel/How does it feel
To be on your own/With no direction home
Like a complete unknown/Like a rolling stone?

 ホントは拓郎が好きなくせに女の子の前でかっこ付けて、ピンクフロイドが好きだって言っちゃったりした秋元少年。
 でもディランを知らなかったワケはない。

太陽に焼かれ/雨に晒された
いつかの夢が風に吹かれている

 風に吹かれたり、転がり続ける石について、もうちょっと言うことがありそう。

2011年7月14日 (木)

転がる石になれ

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 K2公演も大詰め。アンコール2曲目は、Team Kのアンセムとして今も歌い継がれるこの歌。


 当時のことを肌で知らない僕がこんなことを書くのはなんなんだけどさ、Team Kの船出は、決して全てがハッピーだったわけではなくて、いつも前を行くTeam Aの影と戦ってなきゃならなかったみたい。


 いわく「2軍」。
 いわく「劣化コピー」。

はじめにTeam Aありき。
 Team Aは秋元康と共にありき。
Team Aは秋元であった。

 これらを跳ね返そうと団結し、必死にパフォーマンスを上げていった歴史がTeam Kの「創世記」だったわけだ。


 K1はA1との比較で語られ続けた。この間Team Aは、オリジナルのセットリストA2を舞台にかけた。そしてこの公演中、Team Aのメンバーに故障があると、Kのメンバーが代役に呼ばれた。


 いろんなステージに立つ機会が増えるってことで、考えようによっては、喜ぶべきコトなのだが、これもまた「2軍」っぽさを醸し出す原因だったろう。


 これは憶測なのだが、当時「Kチーム」のファン(「Kリーガー」と呼ばれたらしい)の中で次のような文言が使われたのではないかな。僕がその立場だったら絶対こう言った。


 「KはAの植民地なのか」。


 然り。当時KはAの植民地であった。


 さて、植民地が実力をつけてくれば、当然独立の機運が高まるのは洋の東西を問わない。
 オリジナルのセットリストであるK2はTeam Kによる「独立戦争」であり、その中でも「これがる石になれ」は、「独立宣言」であり、「Star spangled banner」なのである(でさあ、この場合の秋元康はトーマス・ジェファーソンであると同時にジョージ3世なんだよなあ。自分で泣かしといて、「なんて可哀相なんだ」とホンキで自分も泣くんだこの人は)。


 後から来たことによって必然的に負わざるを得ないハンディキャップを跳ね返し、意志を奮い立たせるための民族主義的象徴としてのアンセムが、当時のTeam Kには必要だったわけだ。


 「転がる石になれ」がTeam Kのアンセムになった理由は、というと、煎じ詰めるとこの歌詞に尽きる。すなわち

We're the Team K

 「我らこそが、(定冠詞つきの)Team Kであるぞ」という宣言。それだけである。


 その他の歌詞は、「Team Kかくあるべし」という、まあ秋元先生の説法だよね。いわく「自分のMINDで動け」「丸くなるな」等々。もーうっせーつーの。


 でもそれらは別に、Team Kである必要条件でも十分条件でもなく、むしろAKBという毛色の変わったアイドルグループ全体の努力目標であったりする。
 だからこの歌の魂というか、キモは、やっぱり「自分らはKである」と取り立てて述べること、そのことに尽きるのである。


 「我は我なり」。


 「2軍」でも「劣化コピー」でもなく、自分が自分であること自体がまず価値であるということ。
 Team Aを目標とするのではなく「より優れたTeam K」を目指すこと。それがTeam Kの使命であるということ。
 この歌は、天地創造神兼破壊神アキモトからの宣命であったのだ。


 かくして植民地Team Kには澎湃と自主独立のうねりが生まれたのであったちゃんちゃん。


 だからさあ、他のTeamがこれを歌うのって、Kのメンバー(とKリーガー)にはすっごくヤだろうってすぐわかるじゃん。なのに日本青年館ではTeam Aに歌わせ、あろうことかTeam Bにはセットリスト丸々渡しちゃったりするんだよ。


 わかってて歌わせるのが破壊神が破壊神たるゆえんだよねえ。
 できあがるとすぐに壊すんだよ、この神さまは。


 以下ちょっと余談。


 同様の理由で、ずっと遅れて産声をあげたTeam Bには最初のオリジナルセットリストに「初日」が用意されることになる。
 もっともこの曲は「あたしたちがBだ!」と声高には歌う曲ではなく、せいぜい「(AやKに)負けたくない」と言うことで「あたしたち」を際立たせる程度ではあったが。それが当時のBらしいっちゃらしかったね。


 一方、「常に先を行く者」であったTeam Aには、AがAであることを鼓舞するアンセム、「Team Aであること」を声高に歌う曲は必要なかった。
 何しろ宗主国なのだ。
 Team Aであることは、すなわちAKBであることなのだし、その中心には「AKBとは高橋みなみのことである」が鎮座ましましているのだから。


 だから彼女たちが歌う自己言及的なアンセムには、「Team A」という単語は用いられることはなかった。すなわち単純に「AKB参上」と言えばそれで済んだのである。

 
 誇り高く、しかし聞きようによっては何とも傲岸な歌ではないか。
 「自分たちはTeam Aではない。AKBそのものである」というのだから。
 だかそれもむべなるかな、そのステージに立っているのは、板野であり大島であり川崎であり小嶋であり佐藤であり高橋であり前田であり峯岸であったのだから。
 「あたし(たち)がAKBだ」と嘯く彼女たちの言葉を否定できる者は当時誰もいなかった。 


 数年後。Team Aは解体されることになる。


 2010年7月、A6のフィナーレに、その名も「先を行く者」を意味する「Pioneer」という曲が登場した。
 「転がる石になれ」と同様、「我らこそが(定冠詞付きの)Team Aであるぞ」と宣言する曲。


 このブログでこの曲について語る時がいつになるのかわからないので、ここでちょっとだけ言うと、この歌はそのタイトルと裏腹に現Team Aが「先を行く者」ではなくなったことを象徴している。


 古参はとっくの昔に気がついているのだろうが、現Team Aのメンバーはわかっているのかしらん。

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