サヨナラ

2014年5月21日 (水)

明日は明日の君が生まれる4

words
video


 2014年5月11日。
 HKT48アリーナツアー~可愛い子にはもっと旅をさせよ~。
 場所は名古屋日本ガイシホールだ。
 セットリスト本編を締めくくる25曲目。


 それがこの曲、「明日は明日の君が生まれる」だったということを、僕は松村先輩こと松村香織のGoogle+でコンサートの翌日に知った。

 
 オリジナルの楽曲が少ないこともあって、もともとHKTのコンサートではいろんな曲が歌われる。
 初の単独コンサートであった2013年4月の武道館公演からして、他のAKBグループの曲のみならず、「ライバル」乃木坂46の曲も歌われた。
 グループの曲もシングルカットされた有名曲でもなく、「博多レジェンド」公演とも関係ない公演曲(「渚のCHERRY」とか「逆転王子様」とか「狼とプライド」)がセトリに入っていた。言っちゃ野暮だが、生粋の博多ヲタの、どれくらいのボリュームが「となりのバナナ」知ってんだ?


 グループの曲で盛り上がろうってのならば、知名度の高い曲をやればいい。
 だかHKTははなっからそれをしない道を選んだ。
 

 その背景に、指原先輩こと指原莉乃の存在を考えないわけにはいかないだろう。


 武道館単独公演の時には、指原莉乃はまだ何の役職にもついていなかったので、このセトリにどれだけ彼女が関与していたのかはわからないが、何らかの提案ないし示唆は行っていたのではなかろうか。


 武道館連続公演最終日、指原莉乃は劇場支配人を兼任することになった。
 生粋のドルヲタ指原先輩が権力を握った時、どんなセトリを組むのか。
 答えはすぐに出た。


 2013年年頭から行われた九州ツアー。
 初日、郷里大分で錦を飾った指原先輩の繰り出した頭一発目はモーニング娘。の「ザ☆ピ~ス!」だった。
 ちょっと軽く失神しそうになりますた。だってこの曲、大好きだったんだもん。
 

 その後も忘れ去られ歌われなくなった名曲を次々にセットリストに加えていった。
 「水夫」「RUN RUN RUN」「FIRST LOVE」「君について」「おしめし」「軽蔑」「涙売り」etc etc…
 ヲタの曰く「いらないならHKTが貰う」。
 

 調子に乗った指原先輩。
 ツアー後半のセットリストは、さながらアイドル懐メロ大会だった。松田聖子、Wink、早見優、おニャン子クラブ、キャンディーズ…。


 2013年4月5日。


 AKB48グループ春コン in さいたまスーパーアリーナ~思い出は全部ここに捨てていけ!~HKT単独コンサート。


 本編の8曲目、「呼び捨てファンタジー」、「そばかすのキス」など「その佳曲いらないならHKTが貰った!」ムーヴメントの一環の中、おずおずと目立たないように、そっとこの曲は置かれていた。
 「明日は明日の君が生まれる」。


 歌ったのはトリオではなく、兒玉遥・指原莉乃・宮脇咲良・田島芽瑠・朝長美桜の4人。
 

 その時その場にいた、どれだけの人がこの曲と、それにまつわる物語を知っていただろう。
 いや、今となってはそれはどうでもいいことだろう。たとえ初めて聞いても、この曲は聞く人の心に染み込む。そのコンサートに参加できた幸運な人々の心にもきっと。
 

 そしてそれは一度だけのことではなかった。 


 4月29日からはじまった追加ツアー、セットリスト本編を締めくくる大事な位置。
 初日昼夜、5月2日、5月11日昼夜、今日まで5回のコンサートの全てのその場所で、この曲は歌われ続けた。
 

 それはつまり、HKTは「明日は明日の君が生まれる」を歌い嗣ぐ意思を明らかにしたということだ。
 そしてそれは間違いなく指原莉乃の意思。
 

 指原先輩が中西里菜についてどう思っているのかは分からない。
 ただ分かっているのは、指原先輩と中西が同郷で同じアイドル(松浦亜弥)をリスペクトしていること。
 指原先輩が強烈なドルヲタとして福岡国際会議場でのAKB48初の全国ツアーコンサートに参加した時、そのステージには燦然と中西が立っていたということ(もっとも当時の指原の「推し」は、佐藤であったというのだが。この辺の情報は今やすっかり乃木坂界隈の人となったルーさんによります。余談ですが、ルーさんの記事で指原先輩が参加したおぼしき2007年9月20日、さむさんによればアンコールの発動は慣れない女子高生?だった由。指原?)。
 そして劇場支配人としてHKTがこの歌を歌い嗣ぐことを選んだこと。


 思えば指原莉乃はアイドルとして一度死んだ身だった。
 「指原先輩にとって博多がよき死に場所となりますように」。
 博多への移籍が決まった頃、僕はこう記した。


 確かに彼女は一度死に、見事に生まれ変わった。


 松村香織。
 5月11日のGoogle+に


 「明日は明日の
  君が生まれる

  で本編終了!!!!」


 と記したとき、彼女にはどんな感慨があっただろう。


 2011年12月、すでにAKBにとって「不都合な」人物となっていた中西里菜のことを「だいすきなりなてぃんさん」と呼んではばからず、誇らしげにその卒業コンサートのチケットを掲げた彼女である。


 AKBに憧れ、シアターのあるビルのメイドカフェで働いていた松村先輩である(余談だが、同カフェでは今でも「萌え萌えきゅん」をやっている。というかこっちが先だよね)。


 中西里菜のことを「不都合」と呼んだバランス上、かおたんを「都合が悪い」とするのはさすがにはばかられるが、かおたんだって運営にとっては目の上の吹き出物でしょうな。タンコブとまでは言わないが。


 オトナの事情で葬り去られようとしていた名曲を蘇らせたHKTの(というか指原の)ヲタ魂に、かおたんのヲタ魂が共感し揺さぶれなかったはずはない。


 「ここで、この歌をこうやって歌うことが出来るんだ」って。
 

 松村香織が「アイドルとして一度死んだ」とは決して言うまい。
 てかその前に、果たしてかおたんは通常の意味でのアイドルを生きたことが一度でもあったのか、という根源的な問いが浮かんで来ざるを得ない。松村先輩はアイドルになる前にアイドルを脱構築しちゃってんじゃないのってつくづく思う。


 それでも松村香織の根本には、一個のアイドルと同時に、アイドル愛してやまないヲタが同時に存在している。指原莉乃と同じように。


 指原莉乃と松村香織。


 今日、37thシングルの選抜の座を争う「総選挙」が開幕した。
 前人未踏の連覇を目指す指原莉乃。
 研究生初の選抜入りを狙う松村香織。


 「明日は明日の」君たちが生まれる姿を、僕は今猛烈に見たい。

2014年5月16日 (金)

明日は明日の君が生まれる3

words
video


 しーしーしー。
 奥歯に挟まったモノをブラッシングして来たところ。


 HKTのコンサートのセトリに「明日は明日の君が生まれる」が入っているのを知って思わず書き始めてしまったのだが、やはりこういうところにブチ当たらざるを得ない。


 この曲にまつわる諸般の事情。


 今さら説明するまでもないだろうけど、要は曲の問題じゃなく、この曲を世に出したユニット、「Chocolove from AKB48」の中心メンバーであった中西里菜が問題なのだ。


 中西里菜。


 AKB48のファウンディングメンバーにして、AKBグループにとって最も「不都合」なOG。
 「卒業」後の彼女のキャリアについて、思うところはいろいろあるのだが、それはここでは措く。


 AKBはこれまでのところ彼女の名を抹消するほど狭量になってはいない。
 ただAKBは彼女の名が言及される機会が可及的にゼロであることを望んでいるのは間違いない。そんなAKBの意向に逆らってまでこの曲をかけるメリットを、どのメディアも見出してはいないだろう。


 というわけで、どんなに名曲であっても、現在この曲が公の場で流れることは実質的にはない。
 わずかな例外を除いて。
 

 例外は不意にやってきた。


 最初は2011年7月26日。ラジオから不意打ちのようにこの曲が流れた。イントロを聞いた途端耳を疑った。
 オンエアしたのは佐藤亜美菜。自らの冠番組でだ。


 トリオのメンバーの一人、秋元才加のバースデイにかこつけての選曲だが、それはキレイな化粧をした言い訳Maybeに決まっていた。

  
 それはラジオガールからのギフトだった。


 亜美菜はこの曲と、この曲を歌った中西里菜が大好きだった。
 AKBに入る前、ただのヲタとして佐藤亜美菜はシアターに通い詰めた。ステージにはきらきらと輝く中西里菜がいた。亜美菜の心を鷲づかみにし、揺さぶり、ステージの上へ引っ張り上げた尊敬すべき文字通りの「アイドル」だった。


 自らの名を冠したラジオ番組が始まった時、いつかこの曲を流すことを亜美菜は秘かに期していたのだろう。


 もう一度は2014年1月15日。
 役者はやはり佐藤亜美菜だった。


 場所は佐藤亜美菜の「卒業」公演の舞台。歌ったのは亜美菜自身。
 同期の倉持中田を後ろに引き連れ、もちろん亜美菜は中西パートだ。


 最後の選曲に際して何らかの軋轢や葛藤はあったのだろうと思う。でも亜美菜はシアターを去るに当たっての「わがまま」としてこの曲を歌うことを貫いた。


 「明日は明日の君が生まれる」。


 曲名を告げる時の亜美菜の声は、心なしか緊張に震えているようだった。
 でも、客席からは拍子抜けするほどほとんど反応がなかった。もうこの曲を知り、それを歌った彼女とそこで会ったことのあるヲタは少数派だったのだろう。
 それでも微かに聞こえた「おお」という嘆息は、きっと「事情」を知っている古参のものに違いない。


 誰が何と言おうと、この曲を歌った亜美菜。
 うん。間違いなく佐藤亜美菜は最後まで尊敬措く能わざるヲタだった。


 亜美菜が去り、この曲が歌い嗣がれることはなくなった、と僕は思っていた。


 でもそれは間違いだった。

2014年5月13日 (火)

明日は明日の君が生まれる2

words
video


 HKTのツアーコンサートで、この曲が歌われたそうだ。
 それも本編最後の曲として。
 現場の写真を見ると、バックスクリーンに歌詞が映し出されている。
 HKTはおろか、厳密にはAKBのものですらないこの曲をよく知っているお客は、今では少数派だろうから、歌詞を見せてくれるのはありがたい。歌詞がとても心に沁みる曲だから。
 そして何よりもHKTがこの曲を大事にしてくれていることが感じられて、僕はとても嬉しい。

 
 この曲は名曲だと、僕は思う。
 AKBにはまりだした数年前に出会って、強く心惹かれた曲だ。その時点ですでに半ば世の中から忘れ去られた曲だったけれど。


 その頃の僕は、迷い込んだ「AKBの森」のあちこちを散策して、昨日はこっちでキレイな泉が見つかった、今日はあっちで見知らぬ花に出会った、とでもいうように毎日宝探しをしている心持ちだった。
 そんな中でもこの曲は、ピカいちの宝だった。
 古参のみなさんにはおなじみの曲でも、新規にファンになった自分が自力でこの曲を見出したことは、ちょっとした自慢でもあった。


 別れの曲だ。それも切なくて苦い別れだ。
 その歌詞はアイドルが歌うには少しヘヴィかも知れないけれど、歌い嗣がれ聞き継がれて行って欲しい曲だと、僕は思う。

 ひょっとしたら若い人々にはぴんと来ないかも知れない。でも年を取って、多くの苦い別れを体験した人には分かると思う。

  明日は明日の君が生まれるよ
  長い夜を越え/陽が昇るように

 経験から言えば、正直なところ明日になっても「明日の君」はたいていの場合生まれない。明日も明後日も、君は今の君と変わらない。


 もっと言えば「長い夜」を越すことすらできないことだってある。その夜はずっとずっと続くかも知れない。「明けない夜はない」というのは、自然現象としては正しいが、比喩としては常に成り立つとは限らない。


 だからこの歌は必ずしも「明日は明日の君が生まれる」という先験的な事実を歌った歌ではない。むしろ「新しい君が生まれて欲しい」という、反実的な願望の歌である。


 そして「明日の君が生まれる」ためには、「今日の君」はいったん死ななければならない。
 そうすることによって初めて、新しい君が生まれる。
 そう、この歌には「死と再生」のテーマが隠されている。


 もちろんホントに死んじゃうわけじゃないよ。
 新しい自己を顕現させるための象徴的な死。
 それは「死ぬほど頑張る」って事かもしれないし、今日の自分を全否定することかもしれない。身を切るようなつらい別れもそうだろう。いずれにせよそこには計り知れない苦痛が伴う。それが再生のための痛み。
 その痛みを知る者だけが明日の君に生まれ変わる。 

 
 ちゃんと仕事をする秋元先生は、こんな世界を僕らに見せてくれるんだよなあ。
 こんな事にも書いたっけ。


 なーんて深読みをしなくたって、この曲は心に沁みる。
 明るくて切ないメロディ、水のような透明なメインボーカル、それを力強く支える二人の声。
 聞いているとこのトリオがAKB最初期のスピンアウトユニットとして選ばれた理由がよく判る。

 
 この歌は、歌い嗣がれ聞かれ継がれるべきだと、僕は思う。
 かつてのリクアワでは、この曲は第8位という高順位を獲得したこともある。それだけの「力」を持った曲だ。


 でもその後、諸般の事情でこの曲が歌われたり、オンエアされることはほぼなくなった。
 この曲を、この曲を歌ったユニットを「なかったこと」にしたい「オトナ」も少なからずいるだろう。


 ああ、どうしても奥歯にモノの挟まった言い方になるな。
 ちょっと頭を冷やした方がいいかも知れない。

2013年12月31日 (火)

泣きながら微笑んで7

words
video

>彼女の夢が実現する日。「AKBの大島優子」が、「日本の大島優子」になるその日、僕らは去っていく彼女を泣きながら微笑んで送り出さなきゃいけない。彼女もまた、大粒の涙に縁取られた無垢な笑顔を見せてくれるだろう。

 
>彼女のいないAKBに慣れるまでにはずいぶん時間がかかるだろうけど。

-- 

> K3から数年後、大島優子は声帯の手術を受けることになる。
> それまでノドのトラブルが多く、ややかすれた声の上に高音が苦しかった彼女であったが、手術後はずっと澄んだ声を伸びやかに出せるようになった。

 
> でも僕はK3千秋楽の優子さんの、少し無理をして、少しかすれた歌声が大好きだ。
> あの日歌うことの出来なかった最後のひとことを含めて。


 > みなさまよいお年を。


  こう書いたのは、ちょうど2年前の今日のことだった。
  この2年が長かったのか、短かったのか今の僕にはわからない。

  泣きながら微笑んで/あなたを見送りましょう

  その日、去って行く優子さんに対して僕は、約束通り微笑みながら見送ることができるだろうか?

2012年8月27日 (月)

ありがとう

words
video

 K3千秋楽、この日を最後にAKBを去っていったメンバーが2人。
 高田彩奈と今井優。
 この日、シアターではこの2人によるお別れのパフォーマンスが行われた。


 高田彩奈による、「山手線」。
 残念ながらこのすばらしいパフォーマンスは公演DVDに収録されてはいないが、戸賀崎支配人のご好意でその片鱗をうかがうことができる。

 腹筋編背筋編



 そして今井優。
 みずからの作詞作曲による曲、「ありがとう」。
 Team Kのメンバーとして、「PARTYが始まるよ」「青春ガールズ」「脳内パラダイス」の3公演を演じきって去って行く今井が、メンバーとファンに贈ったお別れの曲。

  瞳閉じれば 煌めく想い/どんな毎日も 忘れはしないよ
  1人じゃここまで 歩けなかった
  いつも隣見れば/そこには君が居た

 今井が仲間と歩んだ毎日。3つも公演を演ったのに、この間わずか1年2ヶ月だった。
 

 「ありがとう」。
 そう言い残して今井優はシアターを去った。


--
 

 その後Team AとTeam Kは合流して「ひまわり組」を結成する。
 その時点でTeam Kはなくなってしまった。
 なんで秋元さんはそんなことをするのか。せっかくチームとして団結してやってきたのに、どうしてそれを壊そうとするのか。
 当時そういう声があったに違いない。
 いろいろな「理由」が説明され、忖度され、ささやかれたのだろう。それらはそれなりに頷けるものであっただろう。
 でも僕らはすでにそれら「理由」の根っこにあるものをを知っている。すなわち秋元康先聖先生は、創造者にして破壊者である、ということを。


--


 今日。
 2012年8月27日。
 「グランドオープン」から2455日め。


 「夢の場所」を経て、彼女たちは「最初の場所」に立ち戻ってきた。


 「東京ドームでコンサートをした翌日に、秋葉原の専用劇場で、いつものように公演をする」という「夢の続き」を実現するために。
 AKB48という小さな奇跡。その立ち位置ゼロに立ち続けた、ひとりの小さな女の子にお別れをするために。

  ありがとう そばに居てくれて/ありがとう 今日までの日々
  本当はね 素直に言いたい/誰よりも 大スキだよ

 
 ありがとう、あっちゃん。
 さようなら、あっちゃん。


--
 

 かくしてあっちゃんは去った。
 その後には三度破壊されたAKB48の残骸。
 
 打ちのめされた?

 いやいやなんのなんの。
 確かにジャカルタや上海にはびっくりしたが、多少驚いても途方に暮れるようなヤワなメンやヲタは、おかげさまでもうここにはいませんて。
 ただメンバーの所在を記憶し直すのにポンコツの海馬細胞が多少悲鳴を上げる程度ですよ。 
 破壊こそ創造の母。夢は何度も生まれ変わるさ。

 
 さあもう一度旗を掲げよ、高橋みなみ。
 水と緑があるところならば、僕らはどこへなりとついて行くとも。
 いざ、未来の果実を摘みに行こう。

2012年4月17日 (火)

終わらないアンコール

words
video

 特別企画です。


 メトロポリス@尊師と言えば、CinDy業界、いやAKB業界では隠れもしないトップオタ。テレビで御尊顔を拝したこともあるってくらいの古参中の古参。昔を知らないぽっと出ド新規の僕が、往時を忍ぶよすがになっているブロガーのお一人でもあります。
 そのメトロポリス@さんから突然メッセージを頂戴しまして、「終わらないアンコール」のレヴューをやりませんか、と。ついてはお互いのブログにたすき掛けで掲載したらオモシロかろう、と。
  つまりメトロポリス@さんの原稿を僕のブログで、僕の原稿をメトロポリス@さんのブログにアップする、という企画。


 もちろん僕の方に否やはありません。
 思えばやや逼塞気味の僕にモチベーションを与えて下さるお心づかいだったのかも知れませんね。
 

 「終わらないアンコール」。


 僕が辿り着く前に(なんせまだK3が終わってません)去って行ってしまった彼女たちのラストシングルのカップリング。SDNをきちんと聞いたのは「孤独なランナー」以来でした。


 数日後、メトロポリス@さんからメールで原稿が送られてきました。
 一読、やはりAKBは現場だよなあ、との思いを新たにいたしました。現場に行って、会って、愛を培ってこそのAKBだもんなあ、と。


 頑張って僕も書きました。SDNのメンバーに対する思いは、尊師の万分の一なんでしょうが、それでも心を込めて書いてみました。拙文はメトロポリス@尊師のブログに掲載の栄を浴しました。
 よろしければご笑覧下さい。


 というわけで、以下メトロポリス@尊師の玉稿です。
--

楽曲レヴュー『終わらないアンコール』

初めてこの曲を耳にした瞬間、ハッキリ言って凡作だと思った。
『終わらないアンコール』と言う、そのタイトルにさえ噛みつきたくなった。

何を言っているんだ・・・やすす!
あんたの腹の中では、もうとっくに終わっているのだろうと。。。


幸か不幸か、オレはこの曲をLIVEで鑑賞するコトになった。
そう、SDN48にとって最初で最後のホールコンサート
NHKホール2階後方・・・文字通りの末席において。


ウェディングドレスを模した、純白の衣装を身に纏った39人

『おニャン子クラブの時と一緒じゃん!』
註)おニャン子クラブのラストシングル『ウェディングドレス』(1987)

登場の瞬間、思わず口を衝いて出たヒトコト。


メンバーはみんな涙にむせびながら歌っていた・・・。
客席のファンも、あの瞬間は大半がすすり泣いていた。
でも・・・オレは泣かなかった
と言うより泣けなかった、その理由はコトバに出来ないが。


あれから何日が過ぎただろうか?
今・・・この曲を耳にする度、強烈な焦燥感に襲われる
そして、不覚にも涙が溢れて来るのだ。

おかしいよな?・・・自分でもおかしいと思う。
何で今頃なんだよ。。。

ココからは全くの想像であるが・・・。
氏がこの曲に魂を吹き込んだのは、異なる3つの時期に渡っていたのではなかろうか?
そう思う理由は、それぞれにタッチの違いを感じるから。


当然、最初は1コーラスからであろう。
この部分の歌詞について、残念ながら特段の感想は無い。
秋元クラスの人間なら、朝飯前に書けるであろう凡庸な内容だから

コーダから大サビ・・・そしてエンディングへの流れも然り
誇り高く旅立つ彼女達にむけた、精一杯の餞であるコトくらい判っているが
それでも、この甘言をどうしても了とは出来ない。。。


でも・・・2コーラスの歌詞だけは違う!
刮目して読んで欲しい・・・この部分だけ全くコトバの選び方が違うのだ。
このシーンにおいては、その全てがリアリズムの塊
センテンスがシンプルゆえ、そのひとつひとつがグッと胸に刺さって来る。


『万雷のその拍手に深々と礼をして・・・』


瞼の裏に、そのシーンはいつでも鮮明に蘇る。。。


メロディに対して、時に不格好な位に字余りだったりするのだが
だからこそ・・・想いが感じ取れると思うんだ。
秋元康と言う、ヒトリのアイドル好きなオッサンが
この歌詞を書くのに、死ぬ程もがき苦しんだ結果だと信じたい。


そして・・・この曲のせいで、今夜もオレは目を腫らしているのだ
いいトシこいて、まったくもう。。。

文責:メトロポリス@
--

2012年2月27日 (月)

君はペガサス

words
video

 「冬を運び出すには小さすぎる舟」2月が過ぎようとしてます。


 A4公演「ただいま恋愛中」が始まったのが2007年2月25日、5年前の今日。当初はクリスマスくらいに「クリスマスがいっぱい」を書いて、2月末にはA4に入れるかな、当時の季節感もよく判るし、なんて目論見もあったんですけどね。

 
 それなのに 「MARIA」だけで2ヶ月近くかかっちゃった。名曲だけにいっぱい書くことがあったし、何より途中いろいろあってぐったりしちゃった。それに仕事も忙しかったし(まじでまじで)。


 ホント言うとまだ書き足りないこともあったのだけど、とりあえず進まなきゃ。


 で、次の曲。


--


 前曲「MARIA」を歌い終わり跪いた3人の後ろに、すっと現れた立ち姿の4人、秋元宮澤のツインタワーに佐藤(夏)、野呂のシルエット。
 4人が頭サビの歌にあわせてゆっくりと前方に進んでいくのとシンクロして「MARIA」の3人が同じテンポで下がっていく。ここのところ衛兵交代みたいでカッコいいね。


 頭サビ後の間奏でも後ろに下がった「MARIA」の3人はその間前4人のフリをなぞってから退場する。前曲とのこういう有機的な「つなぎ」はこれまでの公演では見られなかったけ試み。H1の「愛しさのディフェンス」から「向日葵」なんかでも効果的だった(おっとフライング)。


 つばの広いマスケットハットに派手な羽根飾り。
 「MARIA」が「華やかな喪服」ならば、「君はペガサス」はさしずめ「三銃士」。"Un pour tous, tous pour un"。人数も4人(三銃士とダルタニアン)と揃っている。
 ツインタワーは白、佐藤(夏)は青、野呂は赤。ルイ13世御宇のフランス王国、戦争有り冒険有り陰謀有りロマンス有りの華やかな時代を偲ばせるいでたち。


 男装の麗人とくれば秋元宮澤が似合わないわけはないの上に、意外と言っては失敬だが青佐藤(夏)と赤野呂もカッコイイ。こういうミリタリーなコスは、痩せぎすよりは野呂のようにちょっとぽっちゃり(おおってまた失敬)の方がミバがいい。
 しかも全員160cmオーバーなんだよね、この4人。長い羽根飾りのせいでさらにでっかく見える。コリオグラフもダイナミックなこと華やかなこと。右手を振り上げながら反らせていく肩から腰のラインがきれい。宝塚風と評されたのもうなづけます。


 衣装は17世紀フランス風なんだけれど、タイトルの「ペガサス」はギリシャ神話に出てくる羽根の生えた天馬。こんな感じの。
 でもねえ、何かしっくりこないんだよなあ、歌の世界観と「ペガサス」が。

  君の背中の/翼が折れて
  夢はあっけなく終わる
  この手を伸ばしても/愛は跡形もなくサヨナラ

 解釈はいろいろ出来るだろうが、歌のココロは大筋として「突然訪れた僕と君との別れ」という線で間違いないだろう。
 そこに心変わりや憎しみがあったわけではないが、愛か若さか愚かさか、またはそれら全てのものゆえに自ら招いた何かによって引き裂かれた二人の姿が暗示されている。 


 でもそのメタファーとしてペガサスってのはどうなのよ。


 多少の異同はあるだろうけど、神話によればペガサスは、ペルセウスによって首を切られたメデューサの血から生まれたと。一説には文芸の神ムーサに飼われていたとも言うが、残念ながら内田田名部中田仲谷は歌ってないのね「君ペガ」。
 ペガサスはいろいろ仕事をして最後は星座になるのだけれど、その間ずっと翼は健在で、天馬のまんまで空を飛んで過ごしました。


 ましてや

  君は自分で/翼を捨てて
  まっさかさまに墜ちていく

 と、自分のせいで翼を失うことも墜ちていくこともなかった。乗っけてた人を振り落としたって話はあるけれど。

 
 そもそもタイトルが「君はペガサス」でしょ。相方を翼がついているとは言え、馬にたとえるってどうなの。
 しかもその翼を失う、と。
 ペガサスから翼を引いたら馬しか残らないじゃん。ますますどうなの。


 ギリシャ神話の中には人や神様が動物に変化したりその逆だったりする話がケッコウあって、牛に化けたり白鳥に化けたりして夜這いをかけて、しまいにそのまんまの姿で星座になっちゃったり(これがホントの「さらし上げ」だよな)するわけ。でもペガサスってずっと翼付き馬のまんま。念のため岩波文庫版ギリシャ神話にあたってみたが、ペガサスが人に化けるまたはその逆ということはありませんでした。


 で考えたんだけど、秋元先生これ神話の別のキャラクターと混同したりしてなかったかしら。


 たとえば、イカロス。

 ダイダロスとイーカロスの親子はミーノース王の不興を買い、迷宮(あるいは塔)に幽閉されてしまう。彼らは蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくり、空を飛んで脱出したが、イーカロスは父の警告を忘れ高く飛びすぎて、太陽の熱で蝋を溶かされ墜落死した。彼が落下した海は、彼の名にちなんでイーカリアー海と名づけられた。

 おなじみイカロスの一席。ある年齢以上の人は、この歌に軽いトラウマがあるかもですよね。


 イカロスは高く飛びすぎ、太陽の熱のために翼を失って墜ちてしまった。
 やってはいけない、と警告されていたことをしてしまった結果のことなのだから、自分のせいで翼を失ったってわけだ。


 だからペガサスではなくイカロスだったら、「翼が折れて夢があっけなく終わる」のも「翼を捨ててまっさかさまに墜ちてく」のもわかる。


 さらに第2スタンザ

  もっと 近づくことが/もっと 分かり合う
  たったひとつの道と誤解していた

 も、「近づきすぎて傷つけあってしまった僕と君」を「太陽に近づきすぎて翼を失ったイカロス」になぞらえることができる。
 

 どうでしょ。「君はイカロス」。
 しっくりくると思うんだけどなあ。


 と思ってたら、古参の◎◎みすとさんは、2007年の時点であっさり気づいてらっしゃいました。

 「君はペガサス」元々ペガサスって、ゴーゴン(メドゥーサ説もあり)がペルセウスに討たれた時の血から産まれたんだそうだ。ちなみに太陽に向かって飛び、翼が落ちて死んだのは「イカロス」ね。
 

 ねえ。ちゃんと見てる人は見ていると。天の下に新しきものはなにひとつもないねえ。


 この解釈、難を言えば「僕」が主人公の歌にも関わらず神話のイカロスは男の子ということ。つまり男の子と男の子。そこにひっかかる人もいるかもしれないが、それを言ったらペガサスなんかキホン馬だしね。馬よかましだよね。
 てか、妄想めいているんだけど、むしろ積極的にこれを「僕と男の子の恋の話」と解釈したって悪くはない。


 男の子同士の恋だとすれば、歌の終わりの

  誰も見たことない/愛を思い続けた罰さ

 あたりの「ふつうとは違う愛」についての「罪の意識」や「後ろめたさ」がすっきりと腑に落ちる。


 そもそもギリシャ神話って少年愛に親和性が高いんだよね。


 男装の麗人が歌う男の子同士の恋の歌。
 腐の人にはとかく不評なAKBだけど、どうでしょうこの筋は。


 え? 捻りすぎ? 
 何言ってるんすか、何度も言うけど「オトコ・オンナ・ゲイしかいない」のがAKBのデフォルトだってことを忘れちゃいけませんて。

2011年12月31日 (土)

泣きながら微笑んで6

words
video

 昨日はよかったよかったねえ。


 この10日間、「泣きながら微笑んで」たっくさん聞きました。厚生年金会館の悪名高い「ずんだだずんだ」ってドラムマシーン入りも聞きました。
 「かがやくきもち」も買いました。中学時代の大島優子より今の大島優子の方が、ずっとずっと無垢でbaby faceな笑顔なのでクリビッテンギョー。


 それでもお前ポット出どころか昨日今日AKB出入り始めたド新参がナニいい気になって見てきたように「優子さん」語ってんだよって言われたら、まことに仰せの通りです。
 もっともっと聞いたり見たり読んだりするものはいっぱいあったんですけどね、ちょっと忸怩たるものがあります。ホントホント。
 「大島優子業界」関係者各位におかれましてはレコ大に免じて御海容賜りますよう心からお願い申し上げる次第でございます。


 あとちょっとだけだからほんとカンベンして下さい。
--
 「泣きながら微笑んで」は、夢を実現するために別れていく二人の歌だ(というのが僕の妄想)。
 そして大島優子は、女優・大島優子としてこの歌を演じきった。


 アルさんという、ご夫婦で大島優子を応援している優子業界の有名人がいらっしゃる。大島優子の「芸能界のお父さん」が秋元康なら、「ヲタ界のお父さん」のような方である。
 この方のブログには、「大島優子に魅せられて、大島優子の背中を押したくなった、ただそれだけ・・・会えない女優になるその日まで」と、不思議なことが書いてある。
 

 「会えない女優になるその日まで」とはどういうことだろう。
 

 「会いに行けるアイドル」というのがAKBの中心コンセプトの一つだ。
 黎明期のAKBは、ホントに、会社帰りにちょっと寄って会いに行くことが出来た。
 「私たちに会いに来て」と言われれば「応」と言って会いに行けた。いわゆる古参の人が書いた当時の記録には、ホントに会いに行ける幸せが充ち満ちている。


 現在、公演で彼女たちに会うのは至難の業となってしまった。でもそれ相応の努力をすれば、会って話をする機会を作ることは出来る。いわゆる握手会がそれだ。
 これだけファンが増え、コストも莫大になっているだろうに、運営のみなさまは意地になっているかのように握手会を開き続ける。


 公演という「会える」チャンネルが極細になってしまった今、残ったチャンネルである握手会を開き続けることが、ヲタとの「神聖なる契約」とでも思っているかのようでもある。
 

 そのAKBのメンバーである大島優子と「会えなくなる日」。
 それはすなわち、彼女がAKBを卒業する日、ということなのだろう。AKBを去り、一人の女優として名を成す日。
 彼女の夢が実現するためには、彼女はいつまでもAKBにいてはいけないのだ。
 アルさんは、「会えなくなる日」が来るために大島優子を応援している。
 「泣きながら微笑んで」そのものじゃあないか。


 アルさんも「業界」の人たちも(小なりとはいえ)僕も、AKBの大島優子が大好きだ。
 彼女の歌が、踊りが、おしゃべりが、何もかも大好きだ。


 でも彼女はAKBを去らなくてはいけない。AKBと仲間たちとヲタどもは、彼女にとって単なるエピソードにならなければならない。


 「大島優子って、そう言えば昔AKBにいたことがあったんだよね」。


 それが「日本を代表する女優」になる、ということだからだ。

泣きながら微笑んで/あなたを見送りましょう
何度も立ち止まって/心配そうに 振り返るけれど…
泣きながら微笑んで/一人に慣れるまでは

 彼女の夢が実現する日。「AKBの大島優子」が、「日本の大島優子」になるその日、僕らは去っていく彼女を泣きながら微笑んで送り出さなきゃいけない。彼女もまた、大粒の涙に縁取られた無垢な笑顔を見せてくれるだろう。


 彼女のいないAKBに慣れるまでにはずいぶん時間がかかるだろうけど。
-- 
 K3から数年後、大島優子は声帯の手術を受けることになる。
 それまでノドのトラブルが多く、ややかすれた声の上に高音が苦しかった彼女であったが、手術後はずっと澄んだ声を伸びやかに出せるようになった。


 でも僕はK3千秋楽の優子さんの、少し無理をして、少しかすれた歌声が大好きだ。
 あの日歌うことの出来なかった最後のひとことを含めて。


 みなさまよいお年を。

2011年12月29日 (木)

泣きながら微笑んで5

words
video
  よっしゃぁ~行くぞぉ~!in 西武ドーム DVD大杉。 
 まだ「見逃し」だって全部見きってないのに。


 まあ正月のお楽しみにしましょう。
--
 さて。昔々のおはなし。


 5年前。「大島優子」が「泣きながら微笑んで」を歌っている時に「寝てる客がいた」。
 うわー、もったいねえええ。今から考えればあり得ないよねえ。
 でも当時は「そんなもん」だったのだろう。AKBも「そんなもん」だし大島優子も「そんなもん」。


 もちろん熱狂的なヲタはいたけどさ、世界のほとんど全てがAKBなど知らなかった。


 大島優子は毎日悩んでいた。
 秋元センセイからもらったせっかくの「プレゼント」、どうしたらいいのかしら。 


 大島優子を絶賛していたペトリ堂御堂主でさえ、当初はこの歌について、

 この曲は(御堂主の御贔屓である井上チューンでありながら)珍しく私の琴線に触れない。

と否定的だった。


 おなじみのメトロポリス@尊師も軽やかにひとこと

ちょっと荷が重いかな?

 そんな中、思い余って相談に来た大島優子に秋元康が言ったのが、
 巷間伝え聞く「Youは女優なんだから演じたらいいじゃない」という(趣旨の)アドヴァイスだったとな。


 まあこれも雑駁な助言なんだけどね。
 でもこれを聞いて大島優子は吹っ切れて自分なりの「泣きながら微笑んで」を仕上げていったという、深くて( ;∀;)イイハナシダナー。
 

 でもねえ優子ちゃん。秋元センセイに聞くまでもなく、ヲタはやっぱりよーく見てたんだよ。
 メモリストのさむ氏。K3の開幕日の「メモ」。「コリスのソロについて」

 歌が上手くなるに越したことはないが、極めるほど上手くなる必要はないと思う。

(中略:ってことはやっぱ初見の歌はやっぱうまくはなかったんですね)
 
 歌うというよりも、セリフだと思って挑んだほうがいいんじゃないかと思う。 女優になったつもりで、役柄になりきったつもりで演じてみれば、いいのではないだろうか。

 これ開幕初日だよ初日。「ヲタのゴタクと茄子の花は」ってホントだよね。


 もっとも内容として同じアドヴァイスだったとしても、それを受けるタイミングってのが重要で、悩み苦しむ時間というのも必要だったのだろう。頓悟系のエピソードってたいていそうだよね。苦悩の日々というのは準備期間なわけだ。それがしっかりしていれば、師が落とした靴を拾っただけで奥義を会得することもできる。


 そんなこんなわけで、その後大島優子は「泣きながら微笑んで」を自分のものにしていく。


 ふたたびペトリ堂御堂主。

 イントロに乗って上手から大島が出てくるだけで空気が変わる。雪の上を歩くイメージなのだろうか、一歩々々を確かめるように歩きながら歌う大島の表情から、降り積もる粉雪を感じる。初日はどうなるかと思ったが、一と月で出来の良い一幕物に仕上げて来た。これは凄い。

 
 AKBに入る前から大島優子を見続けていたJoanUBARA氏。

 サードが始まった頃は時に眉間に皺を寄せ、ファルセットでは身をよじらせて歌っていた。この曲をものにしてやろう、とギラギラしたところがあった。今はもう身構えることなく、無心に曲と寄り添っている。サードでこの曲を与えられた幸運をしっかりと糧にして、表現力を掘り下げることができている。

 

 そしてK3最後の日。


 大島優子には評価が厳しかったカギ氏も、この日のパフォーマンスについて

 この日最もすばらしかったのは、何と言っても大島優子さんだったと思う。

 と賞賛を惜しまなかった。
 

 僕が見ることの出来る唯一のK3公演が、この千秋楽だったのはとても幸せなことだ。
 このステージで大島優子は、曲の最後の最後で涙を一筋流す。
 そして微笑む。
 これが秋元康の「プレゼント」に対する、女優・大島優子が返した最後の答えだった。

 曲の最後、「♪近くにいたい」のところだけ、涙で声が出なかったが、この部分についての私の解釈は「女優だなあ」というものだった。嘘泣きをしたという意味ではなく、(中略)最少限で、しかし最も効果的なところで泣く、というのが、おそらくはほとんど無意識に分かっていて、そうしているのだろうなあ、と感じた。

 この、「ほとんど無意識に分かって」いるその心の動きこそ、「聞き分けのいい」理性が囁くところなのだろう。
 いや、これまで「理性」と表現して来たが、それでは文字通り「理」に勝ちすぎている。かと言って直感とか第6感と言うと感覚的過ぎる。これまで僕が何度か使った表現で言うならば「ゴーストの囁き」。
 「女優」を真の「女優」たらしめる欠くべからざる「女優」のイデア。
 「泣き」ながら「微笑む」という相反する二つの感情を統べる「何ものか」。


 それを「歌う」のではなく、「演じ」きった大島優子。


 こう書くとなんだか秋元康の二重三重の手練手管に乗っかってしまったようで悔しいのだが、やっぱりこの歌詞を歌うのは彼女でなければならなかったのだなあ、とつくづく思う。

2011年12月27日 (火)

泣きながら微笑んで4

words
video

 「女優」大島優子が、「日本を代表する女優」になるために必要なものは何だろう。


 AKBに入る以前、子役としてある程度の仕事をしていた彼女は、年齢が進むに従い壁に直面するようになったという。オーディションで最終選考に残っても「雰囲気が違う」という、まことに反省会の議題になりにくい理由で不合格になることが繰り返されていた。 


 「自分には何が足りないのだろう」。
 それがわかれば努力のしようもあったろうに。それが見えない五里霧中のまま、高校2年の大島優子は「最後のチャンス」のつもりでAKBのオーディションを受ける。
 芝居のオーディションは何回も受けた。でも「歌と踊り」の審査は、初体験だった。
 審査員が自分の書類に丸をつけるのが見えた。


 どうして大島優子はAKBに受かったのか。
 初期のAKBを知る人ならば容易に想像がつくだろう。すなわち表現力はあるくせに「歌と踊りが下手っくそだったから」に違いない。「踊りが上手い子は採らない」とは、当時の夏先生のスタンスであった。


 で、AKBに受かった大島優子がその後順風満帆だったかというと、決してそんなわけではなくて、あんなことがあったりこんなことあったりだったらしい。


 ホントの内情などもちろんわからないのだが、ただかつて「自分の長所は、知らない子と、すぐにお友達になれることです」と語っていた少女が、AKBに入ってからぽろっと「私、みんなの事を信用していないから…」と漏らさざるを得ない心境に追い込まれていたのは確かだ。


 それでも「自分に何が足りないのか」わからない状態から、「自分たちには歌も踊りもしゃべりも、なにもかも足りない」ということがはっきりわかるようになったというのは、精神衛生上ははるかに健康的なことだっただろう。だってわかってれば一心不乱に「それ」をやればいいんだもん。
 他のメンバーはいざ知らず、「毎日立てる舞台がある」ことのありがたさを大島優子は知っていたはずである。

 その意識の高さゆえかどうか、Kチームがステージに立つようになってから日ならずして大島優子の評判は高まった。
 平素は山椒の利いた言の多いペトリ堂御堂主にして

 大島くんは伊達や酔狂で長いこと遣ってないんだという事を思い知らされた。「見せる」「見られる」と言うことに関する意識が他のメンバーとは異なる次元に有り、動きに隙が無いし、目立つ所にいても隅の方にいても常に何かを発していて、客の目を惹き付けている。客に確認を取るまでも無く、客の目は大島くんを見ている。

 と手放しの誉めようであった。


 それでも。
 それでもやっぱり「何かが足りない」は大島優子について回った。
 

 たとえばカギ氏は、初期の彼女を評して次のように語った。

 個人的に何が気に入らないのかというと、あり余る実力の 8 割程度でゆうゆうと「こなして」いる感じがしてしまう、ところだ。それでも表現レベルとしてそれなりの高さはあるから、文句のつけようはない、と言うよりむしろ、さすが、と思うことも多いのだが、それにも関わらず、少なくとも私の気持ちには響かない、のだ。

 うわあ、カギさんキビシイ。 
 

 大島優子が「できる子」なのは誰もが知っていた。でも「その上」に行くには、何かが足りない。それはカギさんだけではなく彼女自身がよく知っていたに違いない。でもどうしたらいい?
 

 ピンポーン。秋元センセイからお届け物でーす。
 「泣きながら微笑んで」。


 K3全体曲明けの最初のユニット曲にして、作曲は井上ヨシマサアニキ。そして何よりもAKB公演史上初のホントのソロ曲。それだけでこの曲にどれほどの気合いが入っているか、聞くまでもなくわかるだろう。


 キーも高いよ。一番上はhiE。
 大島優子はもともとハスキー系の声。もちろん地声じゃこの音は届かない。
 ちなみに「禁じられた2人」の最高音であるhiC#(転調後の「胸に秘めたまま」の後ろの「ま」)を、大島優子はあえて歌わずに囁いた。出せば出せない音ではないだろうが、無理をするよりも切なさを表現する方を選んだ、とも考えられる。
 でも「泣きながら微笑んで」ではそうはいかない。hiC#よりさらに高い最高音のhiE、「ここから まだ 動けなくて」の「て」は情感のクライマックス、アリアだったらフェルマータがかかって観客に息を呑ませるだろうって山場。だからファルセットでも何でもいいから、歌にしなきゃならない。これだけでもイジメだよなイジメ。


 それを「優子へのプレゼント」と、秋元康は軽く語ったが。


 歌を得意としない大島優子は、舞台袖で増田と音程の確認をしてから舞台に臨むのが常であったという。
 余談だがこの歌を歌い始めて四歳余ヲ閲シタAX2011、この時にも一人ステージに立つ大島優子を見守る増田の姿が袖にあった。
 ちなみに音程の不安について秋元センセイは何とおっしゃったか。
 「多少ピッチが不安定でも気にするな」だそうです。ありがたいアドバイスですね。


 当時を振り返って彼女は

 プレッシャーに押しつぶされそうで、この公演はずーっと毎日のように泣いてたんです。歌に自信がなかったし、私が「泣きながら微笑んで」を歌うときになると寝ているお客さんがいたんですよ。

 と語っている。優子さんホントに泣いてたんだ。


 全くたいした「プレゼント」だった。

より以前の記事一覧

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

ウェブページ

無料ブログはココログ