卒業

2014年8月18日 (月)

桜の花びらたち2014

words


 「桜の花びらたち」の話。
 まだお前は公演の余韻に浸っているのか、と言えばその通りなんですスミマセン。
 

 Team 8の公演を見て、この曲を聞いて、頭の鉢がまたぞろ開いてしまったみたい。
 

 僕、この曲好きなんですよ。「桜の花びらたち」。
 そりゃアヤをつけることもできますよ。秋元康だし。


 そもそも「花びらたち」ってなんだ「たち」って。
 「たち」ってのは人につける複数を表す接尾語であって、ものに「たち」をつけるのはおかしいだろ。
 百歩譲って、この「花びら」は「去って行く人」を象徴しているのだから、あえて人っぽく「たち」を付けました、てへ、というのならそれを受け入れてもいいが、「花びらが咲く」ってのはどういうことだ咲くのは「花」だろ花びらは咲かないだろ。


 なーんていろいろ文句言ってても、現場じゃでれっと見とれてたんですけどね、ちっちゃくフリコピしながら。


 そう、フリの話。


 この曲のフリは、比較的易しそうに見えます。というかハード的に難易度の高そうな動きはない。
 だから客はフリコピがしやすいよね。


 ただやる人にとってカンタンなフリなのかというと、ホントはそうじゃないのね。
 動きが速くて大きくて派手なダンスは、とにかく動きを憶えてその通りに動いてりゃまあ踊ってる風に見える。「フラゲ」のあっちゃんの真似とかね。
 反対に「桜の花びらたち」の所作は緩やかな分、粗が見えやすい。
 袖を通して帯を結べば浴衣着てますってことにはなるけど、要所がちゃんとしていないと、だらしない姿にしか見えないのと同じ。浴衣のだらしないのって、うんとカッコ悪いでしょ。
 

 でなきゃ夏先生に泣かされないよ。


 指でオーケーサインを作って、左右上下に振る、ってフリがあるでしょ。
 カンタンそうだよね。でもあれを雑にやると、指にばっちいのがついたのを振り払ってるように見えちゃう。
 この歌のPV、カットの半分くらいが練習風景なんだけど、この部分をみんなで真剣に合わせてるシーンがある。
 きっと夏先生に怒られたんだよね。
 「これは指で持ったベルを鳴らしてるの。そんなんじゃきれいな音しないでしょ!」って。


 僕が一番好きな部分は、ここ。 

   新しい世界のドアを/自分のその手で開くこと

 にも書いたけど、ここは手の動きで「扉」を開くところを表してる。


 スタンドマイクを使ったパフォーマンスの時は、「自分のその手で」のところで両手の甲を客席に向け、少し斜めに重ね合わせる。これが「扉」ね。
 その後手を下にくるりと回して、今度は客席に向かって手のひらを向けます。
 そしてさっき作った「扉」を開くように両手を広げる。この時歌詞はちょうど「開くこと」に当たってる。


 ハンドマイクを使っている時は、左手にマイクなので右手だけでこの動作をやります。


 いろんなTeam、いろんな人の「扉」を見たんだけど、僕がイチバン好きなのは、B2「会いたかった」公演での渡辺麻友。
 もしお手元に公演DVDがあれば、是非見て頂きたい。
 42分47秒あたり。左手にハンドマイクを持ってますので右手だけなんですけど、その所作の美しいこと優雅なこと。上手どなりの人(たぶん柏木)と比べると、その丁寧さがよく判ります。
 この場面だけ何回見直したことか。


 この部分、SKEバージョン(S1「PARTY」公演)では、最初から手のひらが客席に向いていました。これじゃ「扉」にならないじゃん。でもKII1「会いたかった」公演の「桜の花びらたち」ではちゃんと手の甲で「扉」を作ってたし、後にSKE全体で歌う時も、ちゃんと「扉」になってましたから、修正されたんでしょう。
 

 他のTeamではどうでしょう。
 

 難波では、二期生公演が「PARTYが始まるよ」でしたが、これは確認できませんでした。
 後のBII1公演につながる三期生公演が「会いたかった」で、この中で「桜の花びらたち」が歌われています。
 「会いたかった」の「桜の花びらたち」は、オリジナルではハンドマイクを使うのですが、BII1ではスタンドマイクを使っています。


 定跡通り手の甲を客席に向けて「扉」を作ります。
 作っているのは加藤夕夏。
 ずいぶん頑丈そうな「扉」ですよね、うーか。

Bii1


 ここから手を下にくるっと回して、

Bii2


 客席に向かって手のひらを開きます。

Bii3


 そこから両サイドに「扉」を開いて行く。

Bii4


 うーかは開くというより、「こじ開ける」感じ。


 次に博多。
 博多の研究生公演が「PARTYが始まるよ」でした。
 僕これ現場で見たもんね-。
 Team Hも、一周年記念公演で「桜の花びらたち」をやってます。宮脇が涙を必死にこらえながら歌った「桜の花びらたち」。
 その時の兒玉遥の「扉」。門扉が水平ですね、この「扉」。
 隣の村重がちゃんと斜めの「扉」を作ってますから、これははるっぴのクセなんでしょう。

Hk1


 くるっと回して表を向けて開く。

Hk2
Hk3
Hk4


 定跡通りです。

 でもこないだのTeam 8の公演、シアターであれっと思ったんです。
 ちょっと所作が違う。
 「扉」が見えない。

 家に帰ってオンデマの画像を確認しました。やっぱ「扉」が無い。

 栄での人見古都音(岡山県)です。
 すらっとしたべっぴんさんですよね、この人も。でもどっちが名前でどっちが名字なのかちょっと区別が難しい。ひとみことね。
 確認して見ると、やっぱり「扉」になってない。「ちょうだい」みたいな手の形。

81


 こっからくるっと回って手のひらをこっちに向けて開くのは同じ。

82
83
84


 この人だけのヴァライアンスかとも思ったんですが、そうじゃりませんでした。
 今日までのTeam 8の全公演をチェックしたんですが、やっぱり「扉」じゃなくて、みんな「ちょうだい」になってる。

80813
80805akb


 何でなんだろ?
 これが最新ヴァージョンってことなのかしら。


2011年5月16日 (月)

DMT、桜の花びらたち

 「会いたかった」公演の第11曲目、「だけど…」の次の曲。
 A2は「DMT」。B2KII1では「桜の花びらたち」。
 このあとA2ではアンコールで「未来の扉」「AKB48」「スカひら」が歌われる。
 B2では先に「桜の花びらたち」が歌われたので、「スカひら」のあとがDMT。
 KII1もB2と同じ構成だが当然「AKB48」の代わりに「SKE48」。あと「スカひら」の後「River」のおまけがある。


 これらは、みな「PARTYがはじまる」の楽曲で、Team AとTeam Kはどちらも本公演で経験している。
 でもTeam Bは「PARTYがはじまるよ」は演っていない。 
 Team Bは、最初のセットリストとして「青春ガールズ」、2番目のセットリストしてと「会いたかった」を舞台に上げているので、Team K、Team Aとは同じセットリストの体験がある。しかしA、K、B3つのTeam全てが演ったこのある公演はない。
 そんな中、全てのTeam が公演のセットリストの楽曲として歌った曲がある。それが、DMT、「桜の花びらたち」、「スカひら」、「AKB48」である。


 言ってみればこれらの曲はAKB全Teamの共通記憶ということになる(ついでに言うとTeam Sもこの4曲は公演でやってる、あ、「いとしのアキバは…」じゃなくて「いとしの栄は…」だが。Team Eの最初の公演は、「パジャマドライブ」なので、残念ながらこの4曲は歌われていない。まあ彼女たちにオリジナルの共通記憶を持つべきなのだろうが、1曲くらい何かあるといいなあ)。


 余談ながらここでいうTeamとは全て旧Teamね。
 僕の頭の中の現在はまだ「組閣」前、浦野平嶋渡邊が左遷された頃で止まってるのね。だからメディアなんかで「Team Aの片山陽加です」とか言われるとすごく違和感がある。片山お前Team Bの「スカひらセブン」だろうがあ、とか思っちゃう。


 で、DMTと桜の花びらたち。どちらも創世記の名曲だよねえ。


 DMT、最初は「耳にひっかかった」程度だったけど、今や大好き。あの少し腰を落として、両手を脇でぐるぐる(というかじたばた)しながら後ろに下がるの動きがすごくツボにはまる。
 あのイントロ、今でもジングルみたいに使われてるでしょ。no3bとかANNとかで。やっぱキャッチーなんだよね。


 「桜の花びらたち」はインディーズながら最初のシングルで、ある意味「会いたかった」よりAKBを象徴する曲かも。何しろ「卒業を織り込んだデビュー曲」なのだから。

 
 この曲のサビに、

新しい世界のドアを/自分のその手で開くこと

 という節がある。ここのフリがとてもいい。


 それを気づかせてくれたのは、カギ氏の記事

「桜の花びらたち」の「♪自分のその手で」の後、手を甲の方から身体の正面に出した後、「♪開くこと」で手首をくるっと返してから横に開き、扉を開くことを象徴するフリがあるが、(後略)

 うん。確かにそうだ。カンタンに見えるフリなんだが、きれいな人とそうでない人がいる。
 ちなみにこの記事の趣旨はTeam Kを叱咤することなのだが、特に小林について

まるで歌詞の意味を理解しておらず、動作としてのきれいさもない。

 とキビシイ。
 うえーんカンベンしてよー。小林は、この頃はまだ大王陛下として即位なさる前なのよー。


 それはさておき、上に述べたように、「桜の花びらたち」はAKB全てのTeamが公演で歌っているので、じっくり見てみた。ついでにSとKIIも見てみた(Sは「PARTY」公演で歌っている)。


 結果、僕が見てイチバンきれいだと思ったのは、B2だった。特に渡辺が美しい。
 

 柔らかく曲げた手の甲を前に向けて、すーっと伸ばす(ここは柏木)
 まっすぐに手を伸ばした後
 手の甲を前に向けたまま手をひらりって回して
 手のひらを返して、一瞬「ため」をつくる
 そこから向かって左に「扉」を開いていき
 大きく開く

 わずかこれだけの動作なのだが、実に軽やで優雅だ。何度見ても、目がその手の動きに吸い寄せられてしまう。渡辺、すげーや。
 この「ひらり」の美しさは、A1でもK1でも見つけられなかった。


 ではダンスに定評のあるS1はどうか?
 それがね、フリがちょっと違うの。
 AKBのフリは、上にも書いたように胸元から手の甲を客席に向けたまま伸ばして手のひらを返すんだけど、Sのフリは胸元で手のひらを返しちゃうの。

 
 胸に手を当てた後
 手を伸ばす前に胸元で手のひらを前に返して
 それから腕を前に伸ばして
 伸ばしきったところで
 横に「扉」を開いて行く


 ね?


 まあSKEは別の組織なんだから、別の振り付けでもいいんだけど、渡辺の「ひらり」の美しさを愛でた後だと、うーん、ちょっとなあって感じ。胸元で手のひらを返すのが窮屈そうだし。

 
 じゃあKIIもそうなのかなーって思ってみたら、これがSとは違ってAKB風。


 つまり、
 胸元から
 手の甲を前に向けたまま伸ばして
 手のひらを返して
 横に「扉」を開く


 ね?


 いや、だから何だって言われたら別に何てことはないんだけどさ、ま、神は細部に宿るって話だしさ。こういう比較も楽しいもんですね、ってコトです。
 DVDでも楽しめるのだから、いわんやライブをや、ですね。

2011年3月27日 (日)

桜の木になろう2

words
video 

 に書いたときは、PVに引っ張られて「去っていった者=死んじゃったジュリ」の物語を読み取った。でもこの歌の主人公は「僕」なんだよね。この僕って誰? ってことを考えてなかった。

永遠の桜の木になろう/そう僕はここを動かないよ
もし君が心の道に迷っても/愛の場所がわかるように立っている

 別に難しい歌詞じゃない。これが「卒業ソング」であることを踏まえれば、この「僕」は、「一人歩き始める君」を送り出してここに留まる人=「先生」のことなんだとわかる。


 そっか、これは卒業生を送り出す先生の歌だったんだ。


 もう少し「卒業」の意味を広げるとするならば、たとえば「家庭からの卒業」。春になって、自立をはじめる全ての子どもたちを送り出してここ(家庭)に留まる人って言えば、お父さんだ。


 これはお父さんの歌でもある。
 ストレートに先生とかお父さんの歌じゃあちょっとマーケッティング的にナニだからそうは言わないんだろうけれどね。でも歌詞の意味を考えれば自然にそうなる。


 そういえば、PVにもちゃーんと出てきてたっけ。
 余計なことばっか言って、ちょっと空気が読めないけれど、亡くなった娘の友人にありったけの愛情を注ごうとする、ジュリのお父さん。


 突然やってきた卒業生に、気にしている薄くなった頭髪について突っ込まれて「泣いちゃうよ」と文字通りの泣き言を言う先生。花びら=髪の毛 とするならば、それが全て散ってしまっても、ちゃーんと 枝が両手=ハゲた頭 で待ってくれてるって。


 「僕」たちは、「ここ」に留まって君たちを見守っている。道に迷ったら戻っておいで。ここがスタートだよ。ここから辿り直せば、どんな迷路だって恐くない。
 そしてそれら全ての象徴が、校庭にたたずむ桜の木ということ。


 先生、そしてお父さん。
 ところでAKBの身近にそういう人はいないかな?

 
 そう、それは秋元康そのもの。


 そもそもAKBとは、そこがゴールなのではなくて、そこから巣立っていくもの、であった。最近はAKB自体が目的になりつつあるようだけど、本来はそうじゃない。AKBは、彼女たちが多彩な表現者として育っていくための学校だ、というのが秋元の考えだった。


 秋元のことを、「アイドルを食い物にする」などと悪く言う人がいる(まあ実際一人食っちゃったのはホントだけどさ。そのせいで今でも秋元許さないという男、もう40代だぜ、を一人知っている)。でも忘れちゃいけないのは、誰が何と言おうと、秋元康こそが永遠のトップアイドルヲタであるという事実。彼はアイドルが大好きで大好きで仕方ないんだ(もちろん算盤もはじく)。


 メンバーにはわからないかもしれない。でも秋元はおニャン子を体験し、モー娘。横目で眺め、その他ギョーカイの有象無象の流転を知っている。手塩にかけた、娘のような女の子たちの行く末を、彼が案じていないはずはがない(りなてぃんのことだってきっと忘れてないよ)。


 遠くない将来、AKBを卒業していくメンバーに対し、秋元からあらかじめ贈られたギフト。
 それが桜の木だ。

2011年3月26日 (土)

桜の木になろう

words
video 

 高校を卒業して2年後の春先のある日、交通事故で亡くなったクラスメート(ジュリ)の墓参りに仲良し5人が集まる。OLの敦子、高卒後すぐに出産した優子、大学生のみなみ、浪人中の春菜、ホテルのバーで働く友美。

 毎年の行事だったのだが、年々参加者が減っていくことや、参加したメンバーの中でも悲しみが薄れていくことに敦子は寂しさと憤りを隠せない。
 ジュリの両親の家へ行った後、5人は母校を訪れ、そこで懐かしい桜の木に再会した。
 

 亡くなった後もちょっとずつ生きている人に関わって来たジュリ。
 父の手に手を添えて母の肩を抱かせたり、試験問題に悩んでる春菜と一緒に頭をひねったり(でもジュリにもわからないので役に立たないね)、みなみの思い人に働きかけて隣に座らせて恋のアシストをしてみたり。


 でも優子の娘がむずがったときには、ジュリはどうしたらいいかわからなかった。そりゃそうだ。こんなのは母親じゃなきゃどうしようもできない。ジュリにできるのは見守ることだけだった。
 仕事中の友美を元気づけようとした時も、ジュリの出る幕は無かった。友美のかたわらには、生きて友美を支えてくれる人がいるのだから。

 ジュリは最後に敦子のもとを訪れる。敦子に、敦子にだけわかる「しるし」をたずさえて。
 それは桜の花びら。夢を思い出すための栞。それが舞っているのを見つけたら敦子はきっとジュリを思い出すだろう。


 でもジュリは花びらをそっとポケットにしまった。そう、もうジュリにできることはない。
 少しずつ時は流れ、少しずつ人は変わっていく。
 変わらないのは去っていった人と思い出だけ。


 校庭の懐かしい桜の木の下で、5人はジュリを見送る。ありがとう。さようなら、私たちはもう大丈夫。

永遠の桜の木になろう/そう僕はここを動かないよ
もし君が心の道にまよっても/愛の場所がわかるように立っている

 そういえば、ライダーさんもまた、「永遠の味方」だったっけ。
 生き残った者には、去っていった人の分も夢を見るという勤めがある。

人はみな胸に押し花のような/決心をどこかに忘れている


 ちょっと舌っ足らずな表現だけど、要は「人は誰でも胸に押し花のような決心を抱いているのに、それがどこに行ってしまったかのように忘れている」ということだよね。
 それを思い出させるのはもちろん桜の栞
 それにしても秋元康は、折にふれて夢を忘れていることを責めるよね。キビシイよね。
 

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ウェブページ

無料ブログはココログ