地震

2016年4月18日 (月)

誰かのために9

words

   誰かのために/人は生きてる
   私に何が/できるのでしょう

 震災に遭われたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。


 ちょうど5年前に東北に大地震が起こった時、僕が直感的に思ったのは、AKBに繋がっていることはきっと被災地のためになるだろう、ということでした。もちろん僕個人でできることもたくさんあったし、実際に被災地に行くこともしました。でもそれとは別に、あの大変だった日々の中で、AKBに「うつつを抜かしている」ことは決して無駄ではないという予感がありました。
 彼女たちはそういう存在だと。秋元康はそういう男だと。
 その後の日々、彼女たちは僕の代わりに、計り知れないほど多くの慰めを被災地に届け続けて来ました。もちろんこれからも届け続けるでしょう。
 世の中の多くの人たちは知らないかも知れませんが、僕たちはそれを知っているし、そのことを誇りに思っています。


 そして彼女たちは、今度の地震で傷ついた方々の慰めにもきっとなるはずです。 


 10年史の中で、しのぶさんがいみじくもおっしゃっています。
 「AKB48のファンは人間愛になっていく」と。
 最初はメンバーの誰かへの疑似恋愛のような気持ちで始まっても、やがてメンバー全体を支えたい、という「愛」に変わっていく。AKBにはそういう不思議なところがあります。


 僕にも「推し」の子とか贔屓筋のチームはあるのですが、その背景にはAKBという運動体そのものに対する「愛おしさ」が存在しています。
 べっぴんさんの子。ダンスのうまい子。一生懸命の子。だらだらやってる子。楽しそうな子。いつも不満そうな子。なんだか輝いてる子。どうしてもくすんで見える子。
 一人一人はみんな違っていて、でもAKBという大きな家族。


 そしてその向こう側、もう一歩だけ向こうに「人間」というもっと大きな家族が見え隠れしています。そこまで大きいと一人一人の顔は見えなくなってしまうのだけれど、でも間違いなくそこにいて生きている「誰か」。
 そう、見も知らない誰かのために人は生きている。

 
 九州で今も震えている見知らぬ誰かのために、その人の見知らぬ僕がここで祈っています。
 もう少ししたら彼女たちがまた、見知らぬ者どうしをつないでいくことでしょう。
 さあ、シアターに行ってささやかな気持ちを伝えてきましょうか。
 今、1年ぶりにシアターへの招待状が届いたというのは、たぶんそういうことなんでしょう。

2016年3月11日 (金)

会いたかった4

5回目の3月11日だ。


 5年前の今日の朝、僕はたまたまこんな写真を撮ったんだ。


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 ごらんの通り空は青く、ペンキ塗り立ての駅舎は白く輝いていた。

 
 ここはゴール。
 髙橋みなみと優子さんが会いたかったセンパイに会えないことを確認したゴールの駅だった。
 2人は電車が走り去ったホームで、ため息をついた。
 僕がAKBにはまりはじめた春だった。
 「会いたかった」というのは「でも会えなかった」をも含んだ歌なんだね、ということをようやく気づいた頃だった。どんなに会いたくても、会えなくなる時が来る。だから会うということは、僕らが普段考えているより、遙かに大切なことなんだ。

 
 暖かかったその日の午後。
 たくさんの水がたくさんの人々を、今生では二度と会えない場所に連れて去ってしまった。

 
 「会いたかった」。
 その日が最後になるのならば、せめてもう一度でもいいから、会いたかった。
 残された人々は、そう念じながら日々の生活を重ねていったに違いない。

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 今日訪れたゴールの駅舎は、5年前とは違って冷たい小雨の降る中、5年分の風雪の跡が刻まれた姿で建っていた。


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 正直、これくらい古ぼけてる方が、ヨソ者からしてみると「らしい」よね。


 5年の月日が流れ、人々は去り、忘れていく。
 傷が癒えるというのは、好むと好まざるとに関わらずそういうことの積み重ねである。


 ああ、AKBも変わったね。
 たまにホームページを覗くと、見知らぬ景色がそこにある。
 聞いたことのない賑やかなメロディーが奏でられているのだろう。
 ああ、変わったのは僕の方かも知れない。
 5年は長いよ。


 でも変わらないこと。
 彼女たちは、今でも会いに行き続けている。
 会いたかった人を失った人々に、会いに行っている。

 
 昨日も、今日も、これからも。 
 その愚直さ。
 その頑固さ。
 その真っ直ぐさ。


 そしてその変わらなさに、今年も心からの敬意を表します。


 (僕だって彼女たちに会いに行きたいんだよ、でも呼ばれないんだよ)

2015年3月12日 (木)

誰かのために9

 4年めの3月11日。


 当選しないだろうな、と思いながら応募したのだけれど、やはりダメでした。
 まあいつか呼ばれる日が来るでしょう。5年めか、10年めか。
 AKBと呼ばれる運動体が続く限り、この日は特別な日であり続けるでしょう。


 4年前。
 あの頃、僕は駆け出しのヲタでした。


 一人一人、メンバーの顔と名前を憶えていくのが楽しくて仕方ありませんでした。まるで新しいガールフレンドが増えていくような気分。
 とびきりのベッピンさんじゃないけど、それぞれ個性があって気のいい女の子たち。


 2011年3月11日、僕は館山界隈にいました。
 そう、「会いたかった」PVのロケ地。
 ダンスショットを撮影した灯台、麻里子さまたちがお茶していたカフェ、高橋と優子さんが駆け抜けた線路沿いの道と駅、そんなところを巡礼していました(仕事のついでに、ね)。


 昼過ぎ、何の問題もなく船で東京湾を渡り、高速道路でオフィスに戻りました。海は穏やかで、道はスムースに流れていました。
 デスクに座って仕事に取り掛かった午後3時少し前。

 
 揺れがすんだ後、オフィスのテレビに映っていた、空からの光景。
 海が陸をのみ込んでいく。家、畑、自動車、そして人を。


 それからの日々、直接被災したわけでも、身内やともだちを失ったわけでもなかったけれど、見上げた空からたくさんの剣がぶらさっているのが見えるような、不安な日々でした。その間、僕はバカみたいに彼女たちの曲を聴きながら過ごしていました。
 そうすることでやっと心の平安を保っていたのかも知れません。


 「誰かのために」。
 身内でも恋人でも友人でもない、それどころか一生会うことのない、ただ「人間」という属性を共有するだけの、どこかの「誰かのために」。
 今にして思えば彼女たちが歌う、その歌に込められた思いに支えられていました。
 感謝をしなければいけませんね。


 4年めの今日。
 我が敬愛する松村先輩は宮城に、最近会ったばかりの岡田(奈)と西野と岩立と彩希は岩手や宮城に行っています。
 僕らの代わりに、僕らの知らない「誰かのために」。

2014年3月11日 (火)

掌が語ること

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 3年が経った。
 テレビでは連日、あの日の記憶を呼び起こそうとしている。
 でも僕は、それを見ようとはしない。
 目を背けているつもりはない。
 僕には今の僕の生活があるんだ。他にやることがあるんだ。


 あれから3年。
 日々の暮らしの中、あの日のことを思い出すことはほとんどない。
 確定申告で「その寄付は震災関連の寄付ですか?」と尋ねられるくらいだ。


 あの日のことを思い出すのは、そう、シアターに招かれた時だけ。
 毎度の習慣になった、「お賽銭箱」へのささやかな寄付。
 その度にもらう「誰かのために」と書かれた小さなステッカー。
 そして、はじまりのチャイムの後に必ず流れる一言。


 「東日本大震災の被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます」。


 もうお決まりとなった言葉。
 わくわくしているお客たちの耳を素通りする言葉。
 それでも愚直にひたすらに繰り返す言葉。

 
 そして今日、彼女たちはその場所にいる。
 誰から聞かされなくても、僕はそのことを知っている。
 「また来ます」。
 彼女たちがそう約束したから。

 
 今日、彼女たちはそこにいる。


 忘れることと言い訳をすることに長けた大人たちの代わりに。
 僕の代わりに。

 
 歌い、踊り、笑いかけ、手を振り、
 癒えることのない傷を負った人々の手を、
 小さな掌で包んで癒そうとしている。
 僕よりもずっとずっと小さな掌で。
 愚直に。
 ひたすらに。

   掌で掴めるものなんて/たかが知れている
   指を大きく広げてみても/何かがこぼれてく
   それでも僕はこの掌/何度も差し出して
   目の前にある未来の砂を/そっとかき集めよう


 その小さな握手のひとつで、僕が彼女たちを誇りに思うには十分すぎる。


 ありがとう。
 僕は僕のできることをしよう。
 誰かのために。

 

2013年3月11日 (月)

風は吹いている3

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 あの日から2年が過ぎた。


 街はすっかり2年前のことを忘れている。
 「いまだに30万人以上の人が、仮住まいを続けている」。
 「復興はまだ遅々として進んでいない」。
 そんな報道に、僕はリアリティを感じなくなって来ている。
 不便をしのいだ日々を、いい思い出の文脈で語っている。


 そりゃそうさ、毎日の生活で、目の前の日常で手一杯なんだもの。
 それでもシアターに招かれれば、「誰かのためにプロジェクト」の募金箱にそれなりの金額を投じてきた。
 え? あれはお賽銭なんだろって? 
 うん、まあそうなんだけどさ。
 とにかく最近は、東北のことを思い出すの、シアターに行くときぐらいだった。
 

 そういえば、今日は「東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2013~」の日。去年はあっちゃんを筆頭にほぼ全員勢揃いだったんだよね。こんな日にシアターに行ける人は幸せだよね。
 なーんて思いながら、今年は誰が出てるのか、ちょっと気になってた。


 ぎりぎりまで発表されないメンバー。
 夕方になって、やっと出た名前。


 え?
 

 言っちゃ何だが、明らかにセカンドライン+研究生。
 いや、僕の好きな子ばっかだけどさ。それでもおそらく世間的には「あんた誰?」状態。
 どういうこと?
 

 んんんん、しばし黙考。カタンという音とともにひらめいた考え。


 残りのメンバーが今いる場所。
 まさか、ひょっとして、いや、そうだ。そうに違いない。
 他にはあり得ない。


 ちょっと調べたら、みるみる情報が集まってきた。
 岩手に、宮城に、福島に。


 君たちは、会いに行ったんだ。
 何度も言ってたじゃない、また来ます。必ずまた来ますって。
 いつ来たらいいかって言ったら、今日に決まっているじゃないか。
 君たちが約束したんだもの、そうに決まってる。

  確かに私は/ここに存在している
  前を塞いでいる/瓦礫をどかして
  今を生きる

 言葉は人を騙す。知っていると思い込ませる。
 知っているつもりにさせて、心を怠けさせる。


 本当に確かめたかったら、会いに行くしかない。
 会って、その目で確かめて、抱きしめるしかない。
 誰から先に?
 今、目の前にいる誰かだ。


 ごくごく単純なことさ。誰でも知っている。
 そして、誰もがやらなくなってしまう。


 でも君たちは、約束通り会いに行ったんだ。
 僕の代わりに。
 みんなの代わりに。


 そうだ。
 「傍観者にはならない」とは、そういうことだった。
 
 
 ありがとう。
 僕らの君たち。
 ありがとう。

2012年3月11日 (日)

風は吹いている2

words
video 

  それでも未来へ/風は吹いている

 その風は時に身骨を凍えさせるものかも知れないが、それでも未来へ風は吹き続けなければならない。止まることは死を意味するから。

  記憶の傷口は/瘡蓋になって
  痛みの中に/やさしさを生むんだ

 いや、まだだ。
 まだ無数の傷が瘡蓋すらできず、血を流しながら晒されている。
 それでも

  さあ たったひとつ/レンガを積むことからはじめようか?

 目の前の瓦礫をどかすことを続けなければいけない。


 1年前危うく死を逃れた僕は、今日何ひとつ欠けることのない穏やかな日を過ごした。
 いい日曜日だった。
 でも僕は知っている。
 この平穏な日々は単なる僥倖であることを。
 見上げれば何百何千の剣が切っ先を下にして、細い細い糸によって吊されていることを。


 だからこそ。
 

  できることから/始めようか?


 傍観者にはならない。

 
 今日、その決意を新たにしたAKB48のメンバーと総合プロデューサー秋元康氏に敬意を表します。

 
 あとワロタの話はゆっくり聞かせてもらうぞ、やすす。

2011年11月 1日 (火)

風は吹いている

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 なんだか遠い昔のようだけど、まだ8ヶ月も経っていない。


 2011年3月11日、地震が起こる数時間前、僕は海の上にいた。
 オフィスのテレビで水が町を呑み込むの見た時、ほんの少しの差で、死に神の鎌の刃が僕の首のすぐ前を通り過ぎていったんだということに気づいた。船の上では気配すら感じなかったが。
 テレビに映し出されるあの場所で、自分が津波にさらわれていないのは、本当にただの僥倖でしかなかった。
 

 だから続く数週間の混乱も、不便でいろいろな困難はあったが深刻ではなかった。深刻なことは東北で起きていたし、「Memento mori(死を思え)」という言葉がリアリティをもって迫ってきていたから。


 このブログを書き始めてすぐの頃だった。
 AKBについて考えたことや書きためたことがたくさんあった。一日に二回記事をエントリーしたこともあった。
 新しい恋がはじまったばかりのような熱に浮かれていたんだろう。


 災害はその熱を冷まさなかった。むしろ不便や困難に直面する度に僕は彼女たちの歌を口ずさんだ。
 ガソリンスタンドへの長く動かない列に並んでいる時には、松井Jが涙を浮かべながら歌う「青空のそばにいて」を聞いていた。現場で震えている人たちを思って「会いたかった/僕の太陽」を書いた。
 被災地へは「誰かのために」を聞きながら向かった。ベースキャンプとなった福島の寒いホテルでは、出たばかりのAX2011を見続けた。


 今から思えばある種の防衛機制だったのかもしれない。


 でも一方で、そうすること、すなわち出来るだけ彼と彼女たちに繋がっていることが「正しいこと」であるという、素朴な信仰のようなものも僕にはあった。


 そうすることによって、実利的には様々なアクションが行われ、被災地へのサポートとなるだろうと確信していた。


 秋元康はそういう人だ。
 彼が「善人」だ、と言いたいわけではない。ただ彼は、「やるべき時にやるべきこと」が誰よりもよくわかっている人、ということだ。実際、それはそうなっていった。


 AKBの名の下にたくさんのお金が集められ、送られた。
 多くのメンバーが現地を訪れ、歌声を届けた(高齢化率の高い地域の需要とはやや離れていたかも知れないが)。
 僕ら(あ、勝手に「ら」にしちゃった。ごめん「ら」のみなさん)はそれを心から誇りに思った。


 AKBと繋がっていることが「正しい」と思った理由がもうひとつある。


 うまく伝えられるのかちょっとわからないのだが、そうすることによって、僕は目の前(正確には離れた所だが)で起きている凄惨で残酷な生の現実を、自分の中へ取り込もうとしていたように思う。

 
 3月11日に起きたことは、地面が揺れ、海の水が陸地に押し寄せ、そこにあった人や物を呑み込んで去っていったという事象である。出来事としてはそれだけなのだが、いかんせん人にとってはあまりにも規模が大きすぎた。


 日常からはずれた不規則な出来事に直面したとき、人は混乱する。それが大きければ大きいほど、茫然とし無力になっていく。小さな交通事故でさえ人は「頭が真っ白になって何も覚えていません」と言う。いわんやあの「出来事」をや。


 眼前に広がる「出来事」を「震災」と名付け、「悲劇」と呼び、心を侵犯する感情に「悲しみ」のタグをつけることによって、ようやく人は「それ」と対峙できるようになる。


 世界は僕らがそのまままるごと呑み込むには大きすぎる。


 何とかしてそれを切り分け、噛みしめ、苦みに耐えて呑み込まなければならない。そうやって世界を自らの中に回収することによってのみ、人は圧倒的な世界に立ち向かえるようになる。


 だからそこにはどうしても「言葉」そして「歌」が必要だった。


 それが言葉や歌の使命なのだ。


 3月11日、その時僕の目の前にあったのが、たまたま彼の言葉であり、彼女たちの歌だったというわけだ。もちろんそれは偶然であり、他の何かでもよかった(「偶然の仕業」のような「どんな普通の出来事にも意味がある」んでしたっけね、秋元先生。ひょっとして先生ってユング派?)。
 

 でも結果としてその時目の前にあったのが AKBであったことを僕は喜んでいます。
 

 震災の直後に、AKBは「誰かのために」を初動のキャンペーンソングに選んだ。


 僕も最初に思い出した歌だ。
 君でも僕でもない「誰か」。会ったこともなくそれが誰なのかはわからないが、確実にそこにいて、助けを必要としている見知らぬ「誰かのために」。
 
 会ったこともない「誰か」のために、人は時に命すらかけることがある。その尊く愚かではかない営みこそ人を人たらしめている本性なのだろう。
 震災直後の「歌」としてこれほどふさわしいものはなかった。


 歌っている彼女たちは、背負っているものの重さに気づいてはいなかったろう。
 それでいいのだ。彼女たちはヴェクター、運び手でいい。その重荷を受け取り担うのは、もう少し歳を重ねた大人の仕事なのだから。
 重荷は確かに受け継がれた。


 「誰かのために」は、声が届くまで歌い続けることを約束して終わる。
 そしてその約束は果たされた。被災地以外に住む多くの人が、痛みを忘れた頃に。


 風は吹き続けなければならない。

2011年3月14日 (月)

会いたかった/僕の太陽

 今日も飛びます。

会いたかった
words
video
 今、会いたい人と離ればなれになってしまって、不安を抱えている全ての人が、もう一度その人たちと会えますように。

会いたかった/会いたかった
会いたかった/Yes!
会いたかった/会いたかった
会いたかった/Yes!
君に…

 
 大切な人と二度と会えなくなってしまって、深い哀しみの淵にいる全ての人に、悪夢のような毎日を寒さの中で送っている全ての人に、せめて光と暖かさと慰めがありますように。
 一日も早く太陽の光がふりそそぎますように。
 
僕の太陽
words
video

一人きりの夜の闇に/怯えないで
僕はいつも君のそばいるよ
もし世界中が/敵に回っても
僕は味方さ

だから悲しいことなんか忘れて/何でもないように笑って
一人じゃないよ君は…/夜明け待つ人がいる

太陽は何度も夢を見る/青空を今 あきらめないで
時には雨だって降るだろう/泣かないで
僕の太陽

太陽は何度も夢を見る/雨雲に もし覆われたって
待ってる誰かを思い出して/君だけが
僕の太陽

負けないで
僕の太陽

 

僕たちはいつもあなたがたとともにあります。
 

2011年3月13日 (日)

誰かのために

words
video
  A1を見始めたばかりなのに、いきなりA3 に飛びます。

誰かのために/人は生きてる
私に何が/できるのでしょう?
悲しみに出会ったら 瞳を閉じて/その背中を意識してみて
暖かな眼差しに気づくはず/守られていると…


  A3の公演タイトルの曲。
 みなさん、どうかご無事で…

2011年3月12日 (土)

地震

 東北地方太平洋沖地震翌日。
 公演はしばらくお休み
 災害に巻き込まれなかったのはただの僥倖でしかない。
 
 多くのメンバーがブログなどで、お見舞いの言葉を述べている。今は言葉だけれど、次は必ずアクションが起きる。秋元康がそうする。

ps.
 アクションその1
 AKB48プロジェクト義援金
 明日行くはずだったオペラが中止になったので、戻ってくるだろうチケット代くらいを募金しました。

pps.
 アクションその2
 AKBが5億円の義援金:オタが金を出し、秋元康が義援金に回す。それでいいのだ。

ppps.
 アクションその3
 東日本大震災応援プロジェクト「誰かのために」:やはりタイトルはこの曲。

pppps.
 アクションその4
 「大島、篠田、柏木…被災大槌町でミニライブ」 

ppppps.
 アクションの5
 「AKB新曲は復興支援ソング
 

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