2014年3月18日 (火)

春が来るまで4

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 ステージのこと。


 前曲「7時12分」のメンバーがはけると、舞台には黄色い花をまとった2人。あれはタンポポなんでしょうか。背中には羽根も生えてます。可愛らしい衣装。あの羽根、「蜂」説もあるんだけど、チョウチョだよね? 
  

 オリジナルのA4は、大島&星野(念のため今さらだけど大島ってのは大島麻衣のことだよ。優子さんを名指すときは大島(優)または大島優子。佐藤といえば佐藤ゆかり。渡邊はTeam Aの志穂、渡辺は麻友)。大人っぽい「春」なんだけど、この時大島19歳、星野21歳だったんですね。

 
 出だしから大島は涙目。
 収録当日は2007年6月26日。
 A4の千秋楽、Team A最後の日(になるかも知れなかったんですよね、当時は)に加え、大島の親友、星野の「卒業」の日でもありました。
 大島と星野、この2人の絆はとても強くかったそうです。
 この曲、どちらかが公演を休んだ時は代役を立たず、ソロで歌っていたとのこと。大島と星野2人だけの曲を歌うのもこの日が最後でした。


 しかも客席は、この時のために配られたサイリウムで黄色一色。
 そりゃ涙腺も弛みますわね。
 残念ながら公演DVDの歌声は「かぶせ」で、当日の大島の歌声を聞くことはできませんが、大島の名誉のために申し添えるならば「ソロ時、涙声であぶなくなるも、持ち直す」とはメモリスト・さむ氏のお言葉。
 大島、キュートな顔に似合わずハスキーな声です。


 余談ながらこの曲の2人はAKBを辞めた後、2人ともソロで曲を出しました。
 大島の声は伸びやかで張りがあり、星野のそれはしっとりとして心に沁みます。
 この2人のデュエットを生で聴けた人は幸せだよなあ。


 わずか4ヶ月、31回で千秋楽となったオリジナルのA4公演「ただいま 恋愛中」でしたが、ひまわり組公演(H1、H2)が終了した後リバイバルされます。それも約半年で終了しました。


 それから5年後の2013年11月、「ただいま 恋愛中」公演はNMB48 Team BII2として甦ります。
 Team BII、難波ではちょっと影の薄い、でも勢いはあるTeam 。


 「春が来るまで」を歌っているのは、太田夢莉と久代梨奈。
 大島ポジが久代、星野ポジが太田。どちらも1999年生まれだって。A4の千秋楽の時にはまだ小学校1~2年生だった2人です。これを書いている時点で、14~15歳の中学生コンビ。
 それでも結構堂々としているのよ。この2人。
 

 初日からずっと見ています。そうすると情が移るね。
 大島星野には申し訳ないが、僕の頭の中では「春が来るまで」と言ったらもう太田久代だもの(なんだいさっき「この2人のデュエットを生で聴けた人は云々」と言ってたくせに)。


 特に久代。
 ちょっと切れ長の目の、難波には珍しい正統派のべっぴんさん。だからこそ埋没しがちなのかもしれません。


 時々「7時12分」のあっさんポジに入ることがある(そういう時は「春」の星野ポジに研究生の明石奈津子が入り、太田が大島ポジにスライドします)んだけど、そこではふつうにカワイイカワイイお嬢ちゃんで、そんなに心を惹かれることはありません。
 でも「春」の久代はなーんかいいんだよねえ。


 基本は笑顔。
 だいたいは微笑みながら歌っているのですが、要所要所で「切なさ」を表現しようとしています。そう、この歌ってすごく切ない歌なんですよね。しかもそれをあんまり表に出しちゃいけない。


 好きだけど、その気持ちを伝えてはいけない。
 大人にしてみれば、たわいも無い理由なんでしょう。
 でもその時の当人にしてみれば深刻なこと。思春期にはそういうことが山ほどありましたっけ。


 第2スタンザのサビ前、「どこかで会えるかな/山茶花の咲く道で」は久代パート。歌いながら上手側から下手に移動し、太田との位置が入れ替わります。


 その後の「私はきっと」から「微笑みは胸の奥」までは太田パートで、久代は太田の下手側にいます。
 この歌っていない時の久代の表現は、たいていの中継では映っていません。まあ太田のソロパートだからしょうがないんだけどね。


 ただカメラ割り自体は固定されていないようで、時々この場面の久代が見切れていることがあります。
 たとえば2014年1月4日。この日Team BIIは新春特別出張公演と称して、幕張にあるよしもと幕張イオンモール劇場のステージに立ちました。
 そのせいか、いつもの劇場とカメラ割りがずいぶん違っていて、太田パートでの久代の表情がしっかり映っています。
 

 この時の久代。
 最初は微笑みを浮かべているのですが、「微笑みは胸の奥」の歌詞にあわせるかのように次第に笑みが消えていき、切ない表情に変わります。相手に自分の気持ちが伝わってしまわないように、微笑みすら堪えようとする女の子のいじらしさが伝わってきます。
 

  サビの「告白できれば楽なのに」はユニゾン。久代はその一瞬前にマイクを左手から右手に持ちかえます。ですからサビのフリは太田と鏡面対称。サビで鏡面対称にする演出、「禁2」でもありましたね。このさりげないマイク持ちかえるとこを見るのも好きなんですが、やっぱりなかなか映りませんね。あ、2014年1月29日は赤澤久代合同の誕生日イベントでしたので、映ってました。


 サビの直後もいいです。


 「楽なのに」とサビを歌い終わった瞬間、久代はやや下手を見ています。太田パートの「言葉じゃ伝わらない」にあわせて久代は上手を向くのですが、この時の目の表情。
 「残心」という言葉がありますが、下手に心を残しながら、すっと上手に向き直る。はじめ見た時は「うおっ」とか声が出ちゃいましたよ。「何だ今のは」って。
 その直後、もう一度下手に向き直るのですが、この時も上手に心を残した感じ。
 日によっては、ぎりぎりまでためてから断ち切るようにを向くこともあります。


 久代、やるなあ。

 
 相棒の太田はここまでは出来ていない。もうちょっとあっさりしてます。
 もっとも2人とも同じだと暑苦しいかも知れませんが。


 是非下手前方に座って、生で見てみたいなあ、この2人の「春」。

2014年3月10日 (月)

春が来るまで3

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 いやもう、ホント春が来ちゃうね。


 「春が来るまで」で思い出した美しい四重唱のこと。
 「ラ・ボエーム」第3幕の4重唱「さらば甘い目覚めよ」。


 「ラ・ボエーム」。
 オペラなんだけど、わいもないお話と言えばそれまでです。


 19世紀半ばのパリ。
 7月革命で守旧派の王様を追い出してた「市民の王」ルイ・フィリップの治世。ごたごたはあったけど、活気のある時代だったのだろう。
 パリの屋根裏部屋で、若さと才能はあるけどお金と地位はない4人の若者が、その日暮らしだけど明るい生活を送っていた。
 詩人、画家、音楽家、そして哲学者。みごとに世の中の役に立ってないよね、みんな。

 
 ヒロインのミミ、本名はルチア。
 造花作りが本業だというけど、たぶん副業もある。
 「お祈りはするけど、教会のミサにはあんまり行かないの」って、神父様には評判の芳しくない「副業」のせいなんでしょうきっと。ミミって通り名も副業用なのかも知れない。


 詩人のロドルフォとミミがある夜出会い、愛しあう。そして別れ、もう一度会ったときにミミは死ぬ。たったそれだけのお話。あ、画家のマルチェルロとたぶん「副業」が本業のムゼッタがくっついたり離れたりもする。


 ミミは結核を病んでいた。
 ロドルフォはミミよりも先にそれに気づいた。
 当時結核は不治の病、貧乏な自分と一緒にいてはミミの命はあっという間に消え去ってしまう。幸いミミに懸想する金持ちの子爵がいる。自分と別れて、子爵に世話をして貰えば、ミミも少しは永らえることができるかもしれない。


 だからロドルフォはミミに別れを告げる。
 ミミもそれを受け入れる。たぶんそれは自分の命のためではなく、ロドルフォのため。口にはしないけれど、ロドルフォに病をうつさないためかもしれない。


 美しいデュエットのその後ろではマルチェルロとムゼッタが壮絶な罵りあいの末喧嘩別れ。
 「看板絵描き!」
 「マムシ!」
 「ヒキガエル!」
 「鬼ババア!」
 これもまあ、馬鹿馬鹿しいが恋の一幕。

 
 雪の降る中で抱きあうミミとロドルフォ。
 「さようなら、甘い朝の目覚め」とミミ。
 「さようなら、夢のような日々」とロドルフォ。


 でもねえ、もうちょっと、もうちょっとだけ一緒にいようよ。
 せめて、花の季節まで、一緒にいよう。


 冷静に考えてお互いのことを思うなら、さっさと別れた方がいい。
 何しろ二人の住む屋根裏部屋は北風が吹き込んで、ストーブには薪も無い。だからミミのからだを考えて別れるなら今すぐがいい。
 別れられなければ、一緒にいたいならいればいい。ミミの命を縮めることを覚悟しさえすれば恋を全うすることだってできる。


 でも二人の出した結論は、「別れよう、でも春が来るまでは一緒にいよう」だった。
 恋が導くどっちつかずの、愚かな決心。
 でも、誰も笑うことのできない愚かさ。

 
 ミミは歌う。
 「冬が永遠に続けばいいのに」。


 今のこの瞬間が永遠に続けばいいのに。


 人の世に恋がある限り繰り返されてきた、決して叶うことのない願い。

  春がやってくるまで/残ってて
  思いが降り積もる/恋の雪

 時も場所も、そして何より恋の成熟度が全く違うけどね。
 それでも恋は、恋。

2014年1月24日 (金)

春が来るまで2

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 雪が降った翌日。空はすっかり晴れていて、街はきらきら光る雪景色に覆われている。
 風はまだ冷たいけれど、春までもう少し、そんな晩冬の朝のお話。


 ちなみに「ただいま 恋愛中」公演には、3曲「冬の歌」がある。
 モトカノと真冬の海を見に行く「Only today」、雪の朝の通学路の情景である「春が来るまで」、冬の夜空に輝くオリオン座を見上げた「君が教えてくれた」。
 そういや「7時12分」も、衣装は、もこもこの冬支度に見えるかもね。


 オリジナルの「ただいま 恋愛中」(間にスペースが入るのが正しい表記みたい)公演がはじまったのは2007年2月。春近きとは言え、冬を運び出すにしては小さすぎる舟の2月。
 これは先日亡くなった吉野弘先生のお言葉。
 今から30年以上も前、僕が中学生の時書いた手紙に、吉野先生は丁寧なお返事を下さいました。
 合掌。


 おっと脇に逸れた。


 歌の主人公は、クラスメイトにひそかな恋をしている。
 もうすぐお別れの時期なのに、その思いを伝えられない。
 

 こういうシチュエーションの片思い、AKBの初期の曲にはたくさんありました。
 たとえばA1「PARTY」公演の「クラスメイト」。

   クラスメイト/今は友達
   だけど 誰より気になるの


 またはK3「脳パラ」公演の「片思いの卒業式」。

   目の前にいるのに/あなたは気づいていません
   こんなに大好きなこと/少しもわかっていません


 AKBっていうとポジティブな曲の印象が強いけど、こういう「告白できない」気弱な心持ちをすくい取るのも得意。
 というか、むしろ「非モテ」「非リア充」のキモチの方が、秋元先生はよくわかるんじゃないすかね。


 さて、この歌詞。


 ちょっと聞いただけではわかりにくいところがあります。

   春がやってくるまで/消えないで
   隠したこの愛しさ


 「消えないで」と願っている対象はなに?
 最初ここだけ聞いたときは、それは主人公が抱いている「愛しさ」の感情のことなのかと思っちゃいました。自分の気持ちに対して、消えないでって、え、何それって。


 でもそうじゃないのね。
 曲を通しで聞いてみるとわかる。消えないでって願っているのは、

   春がやってくるまで/残ってて
   思いが降り積もる/恋の雪


 昨夜降った「雪」なのね。
 なんで「消えないで」「残ってて」と願うかというと、雪が「愛しさ」を隠してくれている、という設定になっている。「愛しく思っているその気持ちを」隠している「雪」に対して、「春が来るまで消えないで」と願っている、と。


 昨日降った雪が街のいろんなものを隠しているように、このまま消えずに私の恋心も隠し続けほしい、春が来るまで。
 まるで和歌の解釈のようでもありますが、そんな気持ちを歌った曲でした。
 

 わかりにくかった理由のひとつは、この曲のテーマアイテムである「雪」について、「いろんなものを隠すように、私の恋心をも隠す雪」って歌ってるのと同じところで「降り積もる恋の雪」って言っちゃってるんです。
 つまり「恋心を隠すもの」としての雪と、「積もっていく恋心のメタファー」としての雪がひとつの曲の中で混在してる。


 「雪」が「恋心を隠すもの」であるかと思えば「恋心そのもの」でもある。だもんでわかりにくかった。
 これは秋元先生の筆がちょっととっ散らかってたと言うべきでしょうね。


 まあ、とにかくどういう事情なのかはわからないけれど、この子は「あなた」に告白することはおろか、「あなた」を愛しく思っていることすらもばれてしまっていけない。


 でもその一方で、「あなた」が自分の気持ちに気づいてくれることをひそかに願ってもいる。


 えー、矛盾じゃん。ばれちゃまずいのに気づいてもらいたいってどうゆうことよ。
 なんて言っちゃいけません。ばれちゃまずい、でも気づいてもらいたいという矛盾こそ、自分ではどうすることも出来ない恋の本質なんですから。


 でもどうして気持ちを伝えられないんだろうね。
 その理由について、想像はいろいろ膨らみます。


 たとえば、「あなた」は親友の恋人だったのかも知れません。
 たとえば、「あなた」ってのが主人公と同性だったのかも知れません(女の子どうしまたは男の子どうし。前
者の方が「萌え」ですけどね)。
 またはただ単にずっと幼なじみで過ごしていて、今さら「好き」だなんて言い出せないって思い込んでいるだけなのかも知れません。
 

 事情はわからないけれど、たいていは大人が忘れてしまった大したことのない理由なんでしょう。
 

 でもね、理由は忘れてしまってもそれにともなう「痛み」は(というより「痛み」があったという記憶は)、おっさんになっても思い出すことができるものです。
 秋元先生もそうだぜきっと。


 それにしても、思いを打ち明けようとせず「春がやって来るまで」このままでいたい、という主人公の願いを聞いていると、僕はこれもまた切なく美しいアリアを思い出します。


 それは、僕がイチバン好きなオペラ、「ラ・ボエーム」、その第3幕の4重唱「さらば甘い目覚めよ」。

2013年12月31日 (火)

泣きながら微笑んで7

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>彼女の夢が実現する日。「AKBの大島優子」が、「日本の大島優子」になるその日、僕らは去っていく彼女を泣きながら微笑んで送り出さなきゃいけない。彼女もまた、大粒の涙に縁取られた無垢な笑顔を見せてくれるだろう。

 
>彼女のいないAKBに慣れるまでにはずいぶん時間がかかるだろうけど。

-- 

> K3から数年後、大島優子は声帯の手術を受けることになる。
> それまでノドのトラブルが多く、ややかすれた声の上に高音が苦しかった彼女であったが、手術後はずっと澄んだ声を伸びやかに出せるようになった。

 
> でも僕はK3千秋楽の優子さんの、少し無理をして、少しかすれた歌声が大好きだ。
> あの日歌うことの出来なかった最後のひとことを含めて。


 > みなさまよいお年を。


  こう書いたのは、ちょうど2年前の今日のことだった。
  この2年が長かったのか、短かったのか今の僕にはわからない。

  泣きながら微笑んで/あなたを見送りましょう

  その日、去って行く優子さんに対して僕は、約束通り微笑みながら見送ることができるだろうか?

2013年12月30日 (月)

春が来るまで

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 ただいま恋愛中、もしくは愚かにして切ない恋愛の諸相・第2幕第2場
 「忍ぶ恋」

 
 別に隠す必要なんかなかった。まっすぐに私を見つめる、その人のその眼差しに、ただうなづくだけでよかった。
 それはとってもカンタンなこと、のはずだった。


 どうしてそれが出来なかったのだろう。
 どうしてそのことを包み隠そうとしたんだろう。


 うなづいて微笑みを返せば、それだけでよかったのに。


 あの日。
 あと少しして学校を卒業したら、あの人は都会に出てしまう。
 私はこの街に残る。
 今日だったら、私もついて行くって言えたろう。
 一緒にいられれば何とかなる。今ならわかる。


 でもその時私はただのこどもだった。
 だからせめて、あの人に私のキモチを伝えよう。
 明日こそ。そう思って眠れぬ夜を過ごした。明日こそ。 


 その朝。
 

 夜半から降り始めた雪が全てを覆い尽くしたというのに、雪を降らせた雲はあっという間に去って行った。
 まるで品のいい手の込んだ手品のように。
 

 その朝。
 窓の外は輝く世界。風は冷たかったけれど、おひさまの光は冬がもうすぐ終わることを教えてくれていた。


 その光に満ちた明るい景色を見た瞬間、私の中の夕べの決心が消えた。
 なぜだったのかは今でもわからない。でも不思議と心は穏やかだった。
 「今日も、いつもの朝と同じように振る舞おう」。
 まるで、真っ白な雪が私の想いを覆い隠してしまったみたいだった。
 「おはよう」。
 約束なんか一度もしたこともないのに、いつものようにいつもの場所に立っていたその人に言えたのは、いつものその言葉だけだった。
 「おはよう」。


 私とその人は、雪を踏みしめていつもの通学路を歩いた。きゅきゅっと言う音が心地よかった。私はこの瞬間がいつまでもいつまでも続くことだけを祈っていた。本当に話さなくちゃいけないこと以外のことを話し続けながら。


 たぶん、それでよかったのだろう。


--


 おいおい、びっくりしたなあもう。
 この前曲「7時12分の初恋」の書き始めはもう1年以上前じゃんかさ。
 その間いろんなことがあって、それなりに感慨はあるんだけど、1年以上かけて再確認したのは、やっぱ現場だよなあってこと。
 オペラでも他のグループでも同じ。そしてAKBはやっぱしシアター。
 大箱のコンサートの楽しいっちゃ楽しいんだが、やっぱしシアターが一番。


 最近呼ばれたTeam Kのなんとか公演、楽しかったのは間違いなかった。でもMCのお題「これからやりたいお仕事」で言ってた「CM」とか「グルメレポーター」とかに、僕はどうしても興味は持てなかった。
 うん。CMが決まったらおめでとうと素直にお祝いできると思うんだけど、僕は別に彼女たちのCMが見たいわけじゃないんだなあ(松村終身名誉先輩は除く。彼女がピンでCMをやるのだったらそれは見たい。圧倒的に見たい)。
 

 僕が見たいのは、歌い、踊り、しゃべり、笑い、泣き、歓喜し、落胆しながらも生き生きとその瞬間の生を生きる彼女たちなのだよ。それも間近で。
 一方的に見ることをふつうは「会う」とは言わない。だって「会う」というのは相互的なものだから。僕が見る彼女が僕をほんの一瞬でも見るときにはじめて「会う」は成立する。


 その相互作用がかろうじて可能な距離。


 それこそが「会いに行けるアイドル」の raison d'être。

 
--


 それはさておき。
 書き始めたころは過去の公演だった「ただいま恋愛中」なのですが、ほったらかしにしている間にTeam BIIがステージに上げているじゃないですか。


 Team BIIねえ。
 これまでぜんっぜん視界に入っていなかった子たちですよ。
 ほとんど知らないし。
 顔と名前が一致するのは「ガラスのI LOVE YOU」でたかみなポジにいた室とじゃんけんで名をはせた下から読んでもイマデマイじゃねえムトウトムじゃねえ上枝恵美加くらい。
 でもせっかく「ただいま恋愛中」やってるんだからってことで、ただいま勉強中。


 「春が来るまで」。
 作曲はよすすアニキ。
 オリジナルのA4では大島と星野のデュエットでした。BIIは太田久代。

  春がやって来るまで/消えないで

 春までには何とかまとめたいです、この曲について。 

2012年11月 9日 (金)

Only today3

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 新々Team Aの何とか公演で、「Only today」かかったねえ。
 

 高橋総監督はさすがだなあ。
 高橋の隣で渡辺が踊っているとか、小谷がいじられているとか、すっごく新鮮。それだけでご飯3杯はいけちゃう。
 あと田野ちゃん。田野ちゃんいいなあ。こんないいとは思わなかった。「defense」で気づいたんですけどね、生で見たかったなあ、田野ちゃんの「defense」。
 あと大島(涼)。大島(涼)もいいなあ。ちょこちょこ動いて子山羊のよう。新々Aの中ではこの人のサイドステップが一番好き。


 やっぱ名曲だよねえ、「Only today」。まあアンコールということでフルコーラスは歌ってくれなかったんだけどさ。


 作曲は大内哲也。
 A1で「キスだめ」「星の温度」、K2で「ビーチサンダル」を書いた人。


 どれもフックというか、特徴のある曲。「キスだめ」のクラビネットとか、「ビーチサンダル」の、かすかに漂うモータウンフレーバーとか。フツーのアイドルとはちょっと違ったテイストがどれも耳に残ります。


 そして「星の温度」。ちょっと余談だけど、今回「Only today」について書くにあたってじっくり聞き直してみたの。したらこれ名曲じゃん? 惜しむらくはボーカルがちょっとアレなんだけど。A1、K1、S1みーんなアレ。
 いや、アレって言っちゃナニだけどさ。つーかアレはアレでオモムキなんだからしょうがないんだけどさ。でもなんかヴィンテージのオープンカーを、免許取り立てのお嬢ちゃんが運転してる感はします。クラッチつなぎ損ねてノッキングしてて、おいおい大丈夫かそれ気をつけてくれよ、つって。でもそれでも走り出すとカッコいい。最後のギター泣きすぎだぞおいって気もするが。


 大内先生。
 A4以降は曲を提供してないんだけど、是非是非もっと書いて欲しい人の一人です。


 さて「Only today」。
 これもまた、アイドルっぽくない。
 イントロの「ちっちっちっ」ってシンバルに続く「ぱ~らら~ぱ~りり~」とちょっと脱力系のラッパ、そして「んちゃんちゃんちゃんちゃ」という裏打ちのリズムがスカ調。


 この曲はA4では珍しくスタジオレコーディングの音源が入手可能な曲の一つ。6枚目(メジャー4枚目)のシングル、「BINGO!」のC/Wですから、持って無い人はAmazonへgoですよ。誰かカバーしないかな「Only today」。スカパラじゃベタかな。


 で、曲調は明るいんだけど、詞はセツナ系。
 日本語わかんないガイジンさんが聞いたら、楽しい歌だと思うよね、間違いなく。曲調と詞のミスマッチ。アキモトさんの手練手管はもうよーく知っているのに、ついはまっちゃうんだよねえ。


 主人公は終わった恋に未練たっぷりの「僕」ちゃん。


 まあ、男なら思い当たる節のひとつやふたつはある状況ですよ。野郎どもの共感を呼ぶ歌なわけです。
 特にAKBのヲタってさ、天に唾吐いて申し訳ないんだけどさ、モテる人が多数派かと言うと、決してそうじゃないよね(オブラート表現)。てかイケ面モテ夫クンはこっち来んなよお前らはPerfumeでも聞いてりゃいいじゃんよ(偏見)。しかし同じプロデューサーでも、こうまでカッコヨさが違いますかね(不憫)。


 非モテ系のAKBヲタはねえ、ちょっとした恋愛(「恋愛未満」も含む)の思い出を大切にするっていうか、引きずるというか、未練たらたらというか、とにかくまあそういうことなんだよ。

  終わってる恋なんて/思い出の無駄足

 わあってる。わってるよんなことは。でもぐじぐじぐじぐじするのが(特に非モテ系の)男の性。あ、別にこれってやすすをdisってるわけじゃないですからね。


 一方女の子はって、言うと、まあ一般論でしか言えないんだけど、ホントに終わってる恋に対する未練はち極小なんじゃないかしらん。つーか未練なしがデフォルトでは。
 「男性の恋愛は『名前をつけて保存』、女性の恋愛は『上書き保存』」っていうじゃん。誰のオリジナルなのかはわからないけれど、なかなか言い得て妙ですね。


 だとしたらね、「突然の電話」に応えて、出て来てくれた女の子、しかも手まで繋いじゃってるってことはさ、ひょっとしたらね、この恋愛完全に上書きされてないんじゃないのって思うんですよ。少なくとも男の子は勝手に納得して

  最後に 今日だけ

 なんて決めつけちゃうのはどうか、とも思うんです。


 「僕」と別れて、「あいつ」のガールフレンドになった「彼女」の中に、わずかながら「僕」への気持ちが残っているんじゃないかって。


 たとえそうじゃなくても、もしもホントに

  防波堤 腰掛けて/今さら 気づいた
  大切な宝って/後から見えてくる

 宝が見えたのなら、今からでも遅くないから何とかすべきなんじゃないかって。最近はやすすも

  君は君で愛せばいい/相手のことは考えなくていい

 なーんて言っているし。


 当然「何馬鹿言ってるの」ってひっぱたかれるかも知れないし、今のボーイフレンドである「あいつ」を含めた麗しい「友達の3人」なんて関係はぶっこわれちゃうけどさ。

  最後に 今日だけ/愚かな愛に付き合って

 おいおい、愚かじゃない愛なんてあるのか?愛とは根本的なところで、どうしようもなく愚かでエゴイスティックなんですってば。


 何かを失わずに何かを手に入れることは出来ない。誰かを傷つけずに生きていくこともまた。


 是非女の子の意見を聞いてみたいところですね。


 ところで、「Only today」のタイトルで最初に書いたのは、1月21日でした。
 リクアワ2012、2日目を映画館で見て思わずフラゲで書いちゃった。だってあんましTeam 4のメンバーのパフォーマンスが不甲斐なく見えたから。てか次の曲の「転石」があんまり迫力があったからなんだけど。

 でもね、リクアワ2012のDVDを見返してみると、そんなドイヒーって訳じゃないんですよ、Team 4の「Only today」。なんであんな熱くなっちゃったんだろ僕。もっとも「転石」もそんなゴイスーって感じではないから。まあ、ライブ(と言っても映画館だけど)マジックだったのかもしれませんね。


 そのTeam 4も、今は昔。
 ダメダメと言われた「うちの子」たちは、今も健在。おのおの新々チームに配属されて、その場所で頑張ってます。少し経ったらいつの間にかなかったことになっているのかもしれません。
 でもね、僕は憶えてるから。Team 4の「RUN」を、Team 4の「夕陽」を、そしてTeam 4のTDCの「Only today」を。

 ああああ、それにしてもあの場所で見たいものがいっぱいだあ。
 南無八幡光宗大明神お願いお願い。僕をまたあそこに招待して。

2012年4月19日 (木)

クリスマスがいっぱい2

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 もうねえ、季節感ゼロでしょ。間が悪いっていうか何というか。
 もう4月も半ば過ぎじゃん。
 こうなることを見越して「クリスマスがいっぱい」を12月24日に書いておいたんだけどね、エヘン。


 でもねえ、季節外れの記事を書くなんてのはまだいいほうでしょ。
 A1は初日が12月で、クリスマスソングの名曲「あなクリ」が歌われたんだけど、クリスマスを過ぎたら封印されちゃったんだよね。K3も初日が12月だったんで最初のうちはよかったんだけど、どういうわけかクリスマスが過ぎて正月が過ぎて、ヴァレンタインが過ぎてもずっと歌われていたわけ。


 結局 Team Kのみなさんたら、K3の千秋楽が6月22日だったもんだから、それまでずっとクリスマスソング歌ってたんだよね。しかも前曲「くるくるぱー」の面々はMCで「ねえねえもうすぐクリスマスだね」って言わされてたんだもんねえ。


 K3には他にも冬の季節感たっぷりの名曲「泣きながら微笑んで」や、ホントは3月限定の切ない卒業ソング「片思いの卒業式」があるんだけど、やっぱり6月の千秋楽まで歌われてました。


 それに比べりゃ季節はずれの記事なんてねえ、いいじゃんねえ。


 ま、細けえこたいいんだよ。劇場に入ればそこは「時間のない国」なんだから。


 はい、言い訳はこれくらいでいいですか?
 はい、じゃ、本題行きますね。


 ねえねえねえ、もうすぐクリスマスだよね、楽しみだよね。

   恋人を待つ舗道に/ジングルベルと/ロマンスの足音
   誰もが浮かれて/携帯の虜

 まあ、クリスマスイブ当夜だよね、これ。街角は賑やかで、人々は誰かと連絡を取り合っている。
 「携帯に夢中」でもよさそうなんだけど、「携帯の虜」ってところに、ほんのちょっとだけ秋元センセイの皮肉が感じられる。もう周りの人なんか一切目に入らない感じ。
 ホントはあれだよ、クリスマスイブってのは、知らない人にも親切を振りまかなきゃいけないんだよ。
 歌の主人公の女の子は、そういう人たちを見ながら、まだ来ぬ人を待っているのね。


 「あなクリ」の話が前に出ました。
 あれもクリスマスイブに会っている二人を歌っているんだけど、僕は少しだけ切ない味付けを感じます。
 「あなクリ」の彼女は、クリスマスイブに彼と会えて、それがすごく嬉しくて、粉雪の降る戸外でずっと抱き合っているのね。すっごく健気な感じがするでしょ、彼女。
 でも彼はプレゼント持ってきてない。

   どんなプレゼントより/あなたの両手に抱かれたかった

 で、どうやらこの後どうするか決まってない感じ。だからずっと粉雪が降る中抱き合っている。
 ひょっとしたら、彼はこの後どこかに行っちゃうのかもしれない。彼女を置いて。
 「ごめんね、ちょっとしか時間作れなくて」。
 「ううん、いいの。こんな特別な日に、ちょっとだけでも会ってくれて」。
 この後二人はそこから離れなきゃ行けない。だからこそ

   離れたくないよ/この場所から
   永遠より 一秒長く

 ってわけ。 
 どうやらちょっと彼女が片思い気味。アンダーガール風に言えば

   私の愛しさの方が/そう 少し重かったみたいね

 な風景。

 でひるがえって「クリスマスがいっぱい」は、そういう切なさは無い。
 これから二人は楽しい夜を過ごす予定。

   Merry Merry Christmas!/Silent Night!/あなたに会いたい
   Merry Merry Christmas!/Holy Night!/告白がいっぱい

 って言うもんだから、まだ告白を済ませてない恋人の一歩手前の関係なのかな、と思ったりもするのだけれど、ま、たとえそうでも大丈夫。

   寒い夜なのに/なぜだか/気持ちは暖かくて
   待つことのしあわせ/人ごみで微笑んでしまう

 彼に対する絶対的な信頼感があるから。「待つこと」が幸せに感じられるのは、そういう時。


 彼は絶対来る。二人は今日は絶対楽しく過ごせる。
 そんな幸せ感でいっぱいのクリスマスソングでした。
 

 ねえねえ、あと249日でクリスマスイブだよ。
 待ち遠しいねえ。

2011年12月31日 (土)

泣きながら微笑んで6

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 昨日はよかったよかったねえ。


 この10日間、「泣きながら微笑んで」たっくさん聞きました。厚生年金会館の悪名高い「ずんだだずんだ」ってドラムマシーン入りも聞きました。
 「かがやくきもち」も買いました。中学時代の大島優子より今の大島優子の方が、ずっとずっと無垢でbaby faceな笑顔なのでクリビッテンギョー。


 それでもお前ポット出どころか昨日今日AKB出入り始めたド新参がナニいい気になって見てきたように「優子さん」語ってんだよって言われたら、まことに仰せの通りです。
 もっともっと聞いたり見たり読んだりするものはいっぱいあったんですけどね、ちょっと忸怩たるものがあります。ホントホント。
 「大島優子業界」関係者各位におかれましてはレコ大に免じて御海容賜りますよう心からお願い申し上げる次第でございます。


 あとちょっとだけだからほんとカンベンして下さい。
--
 「泣きながら微笑んで」は、夢を実現するために別れていく二人の歌だ(というのが僕の妄想)。
 そして大島優子は、女優・大島優子としてこの歌を演じきった。


 アルさんという、ご夫婦で大島優子を応援している優子業界の有名人がいらっしゃる。大島優子の「芸能界のお父さん」が秋元康なら、「ヲタ界のお父さん」のような方である。
 この方のブログには、「大島優子に魅せられて、大島優子の背中を押したくなった、ただそれだけ・・・会えない女優になるその日まで」と、不思議なことが書いてある。
 

 「会えない女優になるその日まで」とはどういうことだろう。
 

 「会いに行けるアイドル」というのがAKBの中心コンセプトの一つだ。
 黎明期のAKBは、ホントに、会社帰りにちょっと寄って会いに行くことが出来た。
 「私たちに会いに来て」と言われれば「応」と言って会いに行けた。いわゆる古参の人が書いた当時の記録には、ホントに会いに行ける幸せが充ち満ちている。


 現在、公演で彼女たちに会うのは至難の業となってしまった。でもそれ相応の努力をすれば、会って話をする機会を作ることは出来る。いわゆる握手会がそれだ。
 これだけファンが増え、コストも莫大になっているだろうに、運営のみなさまは意地になっているかのように握手会を開き続ける。


 公演という「会える」チャンネルが極細になってしまった今、残ったチャンネルである握手会を開き続けることが、ヲタとの「神聖なる契約」とでも思っているかのようでもある。
 

 そのAKBのメンバーである大島優子と「会えなくなる日」。
 それはすなわち、彼女がAKBを卒業する日、ということなのだろう。AKBを去り、一人の女優として名を成す日。
 彼女の夢が実現するためには、彼女はいつまでもAKBにいてはいけないのだ。
 アルさんは、「会えなくなる日」が来るために大島優子を応援している。
 「泣きながら微笑んで」そのものじゃあないか。


 アルさんも「業界」の人たちも(小なりとはいえ)僕も、AKBの大島優子が大好きだ。
 彼女の歌が、踊りが、おしゃべりが、何もかも大好きだ。


 でも彼女はAKBを去らなくてはいけない。AKBと仲間たちとヲタどもは、彼女にとって単なるエピソードにならなければならない。


 「大島優子って、そう言えば昔AKBにいたことがあったんだよね」。


 それが「日本を代表する女優」になる、ということだからだ。

泣きながら微笑んで/あなたを見送りましょう
何度も立ち止まって/心配そうに 振り返るけれど…
泣きながら微笑んで/一人に慣れるまでは

 彼女の夢が実現する日。「AKBの大島優子」が、「日本の大島優子」になるその日、僕らは去っていく彼女を泣きながら微笑んで送り出さなきゃいけない。彼女もまた、大粒の涙に縁取られた無垢な笑顔を見せてくれるだろう。


 彼女のいないAKBに慣れるまでにはずいぶん時間がかかるだろうけど。
-- 
 K3から数年後、大島優子は声帯の手術を受けることになる。
 それまでノドのトラブルが多く、ややかすれた声の上に高音が苦しかった彼女であったが、手術後はずっと澄んだ声を伸びやかに出せるようになった。


 でも僕はK3千秋楽の優子さんの、少し無理をして、少しかすれた歌声が大好きだ。
 あの日歌うことの出来なかった最後のひとことを含めて。


 みなさまよいお年を。

2011年12月29日 (木)

泣きながら微笑んで5

words
video
  よっしゃぁ~行くぞぉ~!in 西武ドーム DVD大杉。 
 まだ「見逃し」だって全部見きってないのに。


 まあ正月のお楽しみにしましょう。
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 さて。昔々のおはなし。


 5年前。「大島優子」が「泣きながら微笑んで」を歌っている時に「寝てる客がいた」。
 うわー、もったいねえええ。今から考えればあり得ないよねえ。
 でも当時は「そんなもん」だったのだろう。AKBも「そんなもん」だし大島優子も「そんなもん」。


 もちろん熱狂的なヲタはいたけどさ、世界のほとんど全てがAKBなど知らなかった。


 大島優子は毎日悩んでいた。
 秋元センセイからもらったせっかくの「プレゼント」、どうしたらいいのかしら。 


 大島優子を絶賛していたペトリ堂御堂主でさえ、当初はこの歌について、

 この曲は(御堂主の御贔屓である井上チューンでありながら)珍しく私の琴線に触れない。

と否定的だった。


 おなじみのメトロポリス@尊師も軽やかにひとこと

ちょっと荷が重いかな?

 そんな中、思い余って相談に来た大島優子に秋元康が言ったのが、
 巷間伝え聞く「Youは女優なんだから演じたらいいじゃない」という(趣旨の)アドヴァイスだったとな。


 まあこれも雑駁な助言なんだけどね。
 でもこれを聞いて大島優子は吹っ切れて自分なりの「泣きながら微笑んで」を仕上げていったという、深くて( ;∀;)イイハナシダナー。
 

 でもねえ優子ちゃん。秋元センセイに聞くまでもなく、ヲタはやっぱりよーく見てたんだよ。
 メモリストのさむ氏。K3の開幕日の「メモ」。「コリスのソロについて」

 歌が上手くなるに越したことはないが、極めるほど上手くなる必要はないと思う。

(中略:ってことはやっぱ初見の歌はやっぱうまくはなかったんですね)
 
 歌うというよりも、セリフだと思って挑んだほうがいいんじゃないかと思う。 女優になったつもりで、役柄になりきったつもりで演じてみれば、いいのではないだろうか。

 これ開幕初日だよ初日。「ヲタのゴタクと茄子の花は」ってホントだよね。


 もっとも内容として同じアドヴァイスだったとしても、それを受けるタイミングってのが重要で、悩み苦しむ時間というのも必要だったのだろう。頓悟系のエピソードってたいていそうだよね。苦悩の日々というのは準備期間なわけだ。それがしっかりしていれば、師が落とした靴を拾っただけで奥義を会得することもできる。


 そんなこんなわけで、その後大島優子は「泣きながら微笑んで」を自分のものにしていく。


 ふたたびペトリ堂御堂主。

 イントロに乗って上手から大島が出てくるだけで空気が変わる。雪の上を歩くイメージなのだろうか、一歩々々を確かめるように歩きながら歌う大島の表情から、降り積もる粉雪を感じる。初日はどうなるかと思ったが、一と月で出来の良い一幕物に仕上げて来た。これは凄い。

 
 AKBに入る前から大島優子を見続けていたJoanUBARA氏。

 サードが始まった頃は時に眉間に皺を寄せ、ファルセットでは身をよじらせて歌っていた。この曲をものにしてやろう、とギラギラしたところがあった。今はもう身構えることなく、無心に曲と寄り添っている。サードでこの曲を与えられた幸運をしっかりと糧にして、表現力を掘り下げることができている。

 

 そしてK3最後の日。


 大島優子には評価が厳しかったカギ氏も、この日のパフォーマンスについて

 この日最もすばらしかったのは、何と言っても大島優子さんだったと思う。

 と賞賛を惜しまなかった。
 

 僕が見ることの出来る唯一のK3公演が、この千秋楽だったのはとても幸せなことだ。
 このステージで大島優子は、曲の最後の最後で涙を一筋流す。
 そして微笑む。
 これが秋元康の「プレゼント」に対する、女優・大島優子が返した最後の答えだった。

 曲の最後、「♪近くにいたい」のところだけ、涙で声が出なかったが、この部分についての私の解釈は「女優だなあ」というものだった。嘘泣きをしたという意味ではなく、(中略)最少限で、しかし最も効果的なところで泣く、というのが、おそらくはほとんど無意識に分かっていて、そうしているのだろうなあ、と感じた。

 この、「ほとんど無意識に分かって」いるその心の動きこそ、「聞き分けのいい」理性が囁くところなのだろう。
 いや、これまで「理性」と表現して来たが、それでは文字通り「理」に勝ちすぎている。かと言って直感とか第6感と言うと感覚的過ぎる。これまで僕が何度か使った表現で言うならば「ゴーストの囁き」。
 「女優」を真の「女優」たらしめる欠くべからざる「女優」のイデア。
 「泣き」ながら「微笑む」という相反する二つの感情を統べる「何ものか」。


 それを「歌う」のではなく、「演じ」きった大島優子。


 こう書くとなんだか秋元康の二重三重の手練手管に乗っかってしまったようで悔しいのだが、やっぱりこの歌詞を歌うのは彼女でなければならなかったのだなあ、とつくづく思う。

2011年12月27日 (火)

泣きながら微笑んで4

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video

 「女優」大島優子が、「日本を代表する女優」になるために必要なものは何だろう。


 AKBに入る以前、子役としてある程度の仕事をしていた彼女は、年齢が進むに従い壁に直面するようになったという。オーディションで最終選考に残っても「雰囲気が違う」という、まことに反省会の議題になりにくい理由で不合格になることが繰り返されていた。 


 「自分には何が足りないのだろう」。
 それがわかれば努力のしようもあったろうに。それが見えない五里霧中のまま、高校2年の大島優子は「最後のチャンス」のつもりでAKBのオーディションを受ける。
 芝居のオーディションは何回も受けた。でも「歌と踊り」の審査は、初体験だった。
 審査員が自分の書類に丸をつけるのが見えた。


 どうして大島優子はAKBに受かったのか。
 初期のAKBを知る人ならば容易に想像がつくだろう。すなわち表現力はあるくせに「歌と踊りが下手っくそだったから」に違いない。「踊りが上手い子は採らない」とは、当時の夏先生のスタンスであった。


 で、AKBに受かった大島優子がその後順風満帆だったかというと、決してそんなわけではなくて、あんなことがあったりこんなことあったりだったらしい。


 ホントの内情などもちろんわからないのだが、ただかつて「自分の長所は、知らない子と、すぐにお友達になれることです」と語っていた少女が、AKBに入ってからぽろっと「私、みんなの事を信用していないから…」と漏らさざるを得ない心境に追い込まれていたのは確かだ。


 それでも「自分に何が足りないのか」わからない状態から、「自分たちには歌も踊りもしゃべりも、なにもかも足りない」ということがはっきりわかるようになったというのは、精神衛生上ははるかに健康的なことだっただろう。だってわかってれば一心不乱に「それ」をやればいいんだもん。
 他のメンバーはいざ知らず、「毎日立てる舞台がある」ことのありがたさを大島優子は知っていたはずである。

 その意識の高さゆえかどうか、Kチームがステージに立つようになってから日ならずして大島優子の評判は高まった。
 平素は山椒の利いた言の多いペトリ堂御堂主にして

 大島くんは伊達や酔狂で長いこと遣ってないんだという事を思い知らされた。「見せる」「見られる」と言うことに関する意識が他のメンバーとは異なる次元に有り、動きに隙が無いし、目立つ所にいても隅の方にいても常に何かを発していて、客の目を惹き付けている。客に確認を取るまでも無く、客の目は大島くんを見ている。

 と手放しの誉めようであった。


 それでも。
 それでもやっぱり「何かが足りない」は大島優子について回った。
 

 たとえばカギ氏は、初期の彼女を評して次のように語った。

 個人的に何が気に入らないのかというと、あり余る実力の 8 割程度でゆうゆうと「こなして」いる感じがしてしまう、ところだ。それでも表現レベルとしてそれなりの高さはあるから、文句のつけようはない、と言うよりむしろ、さすが、と思うことも多いのだが、それにも関わらず、少なくとも私の気持ちには響かない、のだ。

 うわあ、カギさんキビシイ。 
 

 大島優子が「できる子」なのは誰もが知っていた。でも「その上」に行くには、何かが足りない。それはカギさんだけではなく彼女自身がよく知っていたに違いない。でもどうしたらいい?
 

 ピンポーン。秋元センセイからお届け物でーす。
 「泣きながら微笑んで」。


 K3全体曲明けの最初のユニット曲にして、作曲は井上ヨシマサアニキ。そして何よりもAKB公演史上初のホントのソロ曲。それだけでこの曲にどれほどの気合いが入っているか、聞くまでもなくわかるだろう。


 キーも高いよ。一番上はhiE。
 大島優子はもともとハスキー系の声。もちろん地声じゃこの音は届かない。
 ちなみに「禁じられた2人」の最高音であるhiC#(転調後の「胸に秘めたまま」の後ろの「ま」)を、大島優子はあえて歌わずに囁いた。出せば出せない音ではないだろうが、無理をするよりも切なさを表現する方を選んだ、とも考えられる。
 でも「泣きながら微笑んで」ではそうはいかない。hiC#よりさらに高い最高音のhiE、「ここから まだ 動けなくて」の「て」は情感のクライマックス、アリアだったらフェルマータがかかって観客に息を呑ませるだろうって山場。だからファルセットでも何でもいいから、歌にしなきゃならない。これだけでもイジメだよなイジメ。


 それを「優子へのプレゼント」と、秋元康は軽く語ったが。


 歌を得意としない大島優子は、舞台袖で増田と音程の確認をしてから舞台に臨むのが常であったという。
 余談だがこの歌を歌い始めて四歳余ヲ閲シタAX2011、この時にも一人ステージに立つ大島優子を見守る増田の姿が袖にあった。
 ちなみに音程の不安について秋元センセイは何とおっしゃったか。
 「多少ピッチが不安定でも気にするな」だそうです。ありがたいアドバイスですね。


 当時を振り返って彼女は

 プレッシャーに押しつぶされそうで、この公演はずーっと毎日のように泣いてたんです。歌に自信がなかったし、私が「泣きながら微笑んで」を歌うときになると寝ているお客さんがいたんですよ。

 と語っている。優子さんホントに泣いてたんだ。


 全くたいした「プレゼント」だった。

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