N1

2011年12月 6日 (火)

涙売りの少女2

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 えーやっぱり続きあるんだ。うん。あるんだよ。未練かな。


 前回、「涙売り」というのは売春の暗喩(メタファー)じゃなくって、堤喩(シネクドキ)なんじゃないかって言いました。お前ただシネクドキって言いたいだけちゃうんかだから似而非インテリスノッブは嫌みだってんだよまあまあカンベンしてよちなみにこういうのデュ・ピュイ・ド・クランシャンに言わせれば第1種スノビズムというんだよおいまた始まったようわあ自我が解離し


 ええと、まず前回の補足ね補足ね補足ね(←それは保続)。


 表向き「涙売りの少女」は明示はされていないものの「アイドルが歌う『援助交際=売春』の歌」ということになっている(んだよね? 俺、ここですでに解釈間違ってる?)。秋元はこの後も似たようなテーマの詞をぽつぽつと書いている。

おじさんから声でも/掛けられたなら

おじさんの娘は/お金いらないの?

声を掛けてくれたら 誰もついていくのに/お金はいらない
嘘でもいいから/抱きしめられたい

 そうですかやっぱりおじさんですか金を出すのは。


 まあね、金で女の子買ってやることやってから「君みたいなイイ子がこんなことしてちゃダメじゃないか」って嫌みったらしく説教するってのがいい歳こいた小金持ちのおじさんの醍醐味っちゃそうなんだけどさそれにしてもカシワギちゃんに「おじさん何をしたいの」って言われたら息が止まるよね「何が」じゃなくて「何を」ってのがまたしびれる「何がしたいの」だったら単なる質問で場合によっては拒絶的なニュアンスが出てきちゃうけど「何を」だったら「何かをすること」は許容されている前提でその中のオプションで何を選びますかという意味合いが出てくるわけでましかしこのステージのカシワギちゃんにはおじさんホント参っちゃうよ「心のどこかが錆びついてる」って瞬間の表現なんかまじ何度見ても粟肌こういうの「歌に入ってる」って言うんだろうなこの子まじモンスターじゃんおい話がまじ再来年に向かってい


 失礼。ちょっと他人様に認めて貰って躁転してるのかしら。


 「涙売り…」を含めたこれらの曲の多くに、空虚感、見知らぬ他人(おじさんですか!)との出会い、売買関係を暗示するタームがちりばめられており、示唆しているのはやっぱり援助交際=売春。


 こういう歌、秋元にしてみれば「アイドルに求められるものの予定調和を崩した意外性」くらいの考えなのかもしれない。でも間違いなくこれらの言葉は一定数以上の女の子たちの心に突き刺ささっただろう。


 「あれはあたしの歌だ」と。


 そういえば当時「涙売り…」のステージを見たわんこ☆そば氏は、この曲を「スカートひるがえせなかった女の子の歌」と評している。ちょっと上からマリコな物言いで申し訳ないがまさに慧眼。


 「スカート、ひらり、ひるがえし」走っているのは、夢を持った女の子たち。たとえ実現できなくても、夢に向かう姿が人を惹きつけてやまない。
 でも、現在を生きる女の子たちにとって、夢を持つこと自体、たやすいことではない。


 自前の夢を持つことができなかった子たちが、たとえそれが幼さや愚かさのゆえであったとしても、「涙を売る」ことを選んでしまったのを誰が責められよう?


 夢を持てた子。
 夢を持てなかった子。
 その差はおそらくほんのちょっと。


 ステージに立っている彼女たちの幸運が、もう少しだけ足りなかったら。
 彼女たちの意志がもう少しだけ弱かったら。
 まわりのおじさんたちがもう少しだけワルかったら(もう十分ワルい?)。
 --
 ここまでは暗喩(メタファー)の話。
 ここからは堤喩(シネクドキ)の話。
 堤喩(シネクドキ)とは、たとえば「そんな給料じゃ飯が食えない」という言い方の「飯」。
 この場合の「飯」は字義通りの「米飯」であると同時に、「米飯を含んだ食事」であり、「食事をとるということに代表される日常生活一般」を表現している。


 同じようにAKBは、「涙」を売ってきた(もちろん涙壺に入れた目からの分泌液を売ってたわけじゃないけど…それはそれで需要はあるかもです)。
 つまりAKBのメンバーこそ「涙売りの少女」たちであった。


 AKBは劇場公演を売り、CDを売り、DVDを売り、握手を売って来た。でも秋元康が本当に売ろうとしたもの、そして秋元の読み通り観客が最も欲したもの、それは彼女たちの涙とそれを用意する「物語」であった。
 直接的にメンバーが涙を流すシーンであり、その背景にあるさまざまな物語であり、さらにはその物語を(擬似的にではあるが)共通体験するという権利(というか資格というか立場)であった。
 

 十分な準備もなくステージに立った彼女たち。
 歌えない。踊れない。しゃべれない。

売るものが/見つからない

 ならば「涙」を売るしか道はないじゃないか。


 喜びの涙、悲しみの涙。


 涙を売るために 「CD1万枚売らなきゃクビ」みたいなありがちなシナリオが書かれたこともあった。でもどうやらAKBにはそんなものは必要なかったようだ。


 日々の公演。
 チームメイトとの葛藤。闘病。復活。挫折。永のお別れ
 「卒業」。 長いナイフの夜
 「左遷」。
 新天地での奮闘。奇跡
 「みんなの夢がかないますように」。
 解雇カムバック
 チャンスの順番
 「総選挙」。「総選挙」。「総選挙」。
 破壊と創造


 涙の物語は次から次へと紡ぎ出される。まるで自動筆記のように。
 物語は読み継がれていく。業深い読み手たちの欲望のままに。
 かくして今日も「涙売りの少女」たちは目撃され続ける。


 なにせ

Never give upで/イカネバップ(行かねば)

 だもんね。
 歌っている彼女たちは、これから自分たちを待ち受けている涙の物語の大半を、この時はまだ知らないのだけれど。


 これにてA3「誰かのために」公演はめでたくお開き。

2011年12月 4日 (日)

涙売りの少女

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「誰か、私を買って下さい」

 ショッキングなモノローグからはじまる、A3最後の曲。前曲のメドレーが終わった後、わざわざ時間を取って着替えてから歌われた。最近の公演だとこういう時はメンバー半分が残っておしゃべりで時間をつなぐんだけど、当時は着替えの間ヴィデオ上映が行われた由。


 作曲は井上ヨシマサアニキ。終盤にはラップにも初挑戦。こうみるとすごくチカラの入ったいわば「勝負曲」で、シングルカットも視野に入っていたんじゃないかと思う。
 K2では「シンデレラは騙されない」が同じようなポジションで、アンコール最後にわざわざ着替えて歌うヨシマサチューンだった。


 結局この曲はシングルにはならなかったが、5枚目(メジャー3枚目)のシングル、「軽蔑していた愛情」(これもアニキ作だ)のカップリングに採用されることになる。なお、カップリング版の「涙売り…」はアレンジが若干異なる(メトロポリス@尊師には不評ですた)。


 「月のかたち」についでA3では2曲目となる「A dark side of AKB」。
 若さゆえの空虚感と孤独と不安。それらを埋めるために「涙を売る」しか手段を見つけられない16歳の少女。
 明るく元気でポジティブに、だけでは掬いきれない、人の心の薄暗い内面を表現するだけの(少なくともチャレンジしようと思えるだけの)ものが、このころのTeam Aのメンバーには十分育っていた。 


 2006年当時、お客はずいぶん増えた。そこそこ話題にもなってきた。メジャーデビューもした。でもこの先どうなるのかは不透明だった。Team ばっか増えるし、異動や卒業はあるし、思いつきの企画がぽんぽんと入ってくるし。ホントにあのおっさんについて行っていいのかしら。
 こういうナマの不安と日々戦いながらステージに立ち続けることが、彼女たちを強くしたんだね。


 モノローグは前田の声だろう、というのが大方の意見なのだが、「たぶん小嶋春菜」という人もいて、詳かにしない。


 わざわざ着替えただけあって、明滅するスポットライトの中に浮かび上がる衣装はとても印象的。漆黒のドレス、ストッキングとブーツ、そしてロンググローブ。
 まるで何かを悼んでいるような「華やかな喪服」をまとった少女たち。
 イントロがはじまると、何かを探しているかのようにステージを彷徨う。

この夜の片隅で/誰にも忘れられて
雑誌で見た/街を一人
泳いでいる回遊魚

 喧噪の中のヒンヤリとした孤独。
 DVDで見ると、高橋の表現がすごくいい。このころ15歳だったんだよなあ確か。うひゃあ、近頃ごひいきのTeam 4で言ったら入山竹内先輩の年格好だよ。どうするよ「永遠の15歳」あんにん、前髪いじってる場合じゃないぜ。


 ま、秋元康にしてみれば、「アイドルがこういうの歌うのってちょっと意外で悪くないでしょ」くらいの狙いだったのでしょうが。


 2011年12月、アイドル戦国時代はAKB幕府によって統一されたとさえ言われる今日この曲が発表されたとしたら、恐らく大センセーションが起こったに違いない。幸か不幸か、2006年当時、秋元康と少女たちの野望はまだまだアキバ界隈でくすぶっているにとどまっていた。
 
 秋元先生、こういう曲を、逆に今、ぶつけるっていうのはどうですかね。もちろんカップリングでいいから。入山竹内先輩とかにも演らせてくださいよ。ガッと来ますよガッと。ガッとは来るけど演りきるかな。入山はきついかな。竹内先輩ならいけるかな。意外と川栄あたりが…。

まるで/マッチ売りの少女
私には/何もなくて
売るものが/見つからない
頬伝う 涙/買って下さい

 ところで今更だけど「涙を売る」ってどういうことかしら。
 最初のセリフもあって、要は「援助交際」「少女売春」の暗喩(メタファー)だってのがまあ一般的な認識なんだろう。秋元もそういう意図なんだろうけど、僕にはそれが暗喩(メタファー)というよりもむしろ堤喩(シネクドキ)なんじゃないかと思える。おいおいうるさいこと言い出したよ。


 つまり「少女の肉体」を売る(これもまあ比喩であって実際に「売る」訳じゃないんだけど)という喩えとしての「涙売り」じゃなくて、ホントに「涙」とあといろいろなもの売る、という意味での「涙売り」なんじゃないかしら、と説明をすればするほどわからなくなるわけだが。


 2006年当時、いや現在でもAKBの主力商品のひとつは「涙」であり続けてますもの。

2011年11月29日 (火)

メドレー

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 「誰かのために」が終わって、一応ご挨拶があって、幕が閉まって、一呼吸あったり口上があったりしてアンコールがかかる(まあ、見てきたようなことを書くのだが残念ながら生で見たことはまだない)。


 アンコールって、本来はその日のパフォーマンスが良かったことに対する「ご褒美(演者にとっても客にとっても)」のはずなんだけど、今やAKBに限らずたいていの演奏会でもアンコールが掛かることが大前提となってセットリストが構成されているよね。


 余談ながら唯一アンコールと無縁なのがオペラで、カーテンコール十回の伝説はあったり、Bisといって、芝居中あんまり拍手が鳴り止まないので筋とは関係なしに同じアリアをもう1回歌うってのはあるけど、幕が下りてからの演奏ってのは聞いたことがない。
 でも今年来日したボローニャ歌劇場の千秋楽、9月25日の「エルナーニ」で奇跡のアンコールが発動したそうな。
 曲目はヴェルディ作曲「ナブッコ」から「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」。

行け、想いよ、金色の翼に乗って
行け、斜面に、丘に憩いつつそこでは薫っている。
暖かく柔かい故国の甘いそよ風が!
 …
おお、あんなにも美しく、そして失われた我が故郷!
おお、あんなにも懐かしく、そして酷い思い出!
 …
あるいは主によって美しい響きが惹き起こされ
それが苦痛に耐える勇気を我々に呼び覚ますように!

 故郷を失った人々のつらい思いと、苦しみにあいながらも決して失わない希望と勇気を高らかに歌った合唱。舞台にはスタッフも登場し、背景には「がんばれ、日本」の幕。1000回以上オペラに通った超ベテランも見たことがなかったアンコール。
 そうかあ「行け、わが想いよ…」は「誰かのために」なんだ。
 同じ週、とんでもない台風の中ボローニャの「清教徒」は見たんだけど(会場に行くのすっごく大変だったけどすっごくよかった)、無理してでも千秋楽も行ってりゃよかった。AKBシアターよりはるかにチケット取りやすいんだから…。


 一方、アンコールが起こらないことが「事件」のAKB。概要はレポに詳しいが、あくまでもアンコールはご褒美、演る方も見る方もそれを忘れちゃいかんってことだわね。


 でもそうすると、タイトル曲がアンコール後のセトリはどうすんの。


 KII3の「ラムネの飲み方」公演のタイトル曲はアンコール1曲め(すかして書くとEN1)だってこの間書いたけど、H1「僕の太陽」公演の前例がありましたね。「僕の太陽」なんかEN3で、最後の最後だも
の(もっともこの後、その時の最新シングルのショートヴァージョンが歌われる訳だが)。


 こういう状況だから、昨今はアンコールも他のセトリの曲と質的に大差のない曲が並んでいる。


 でも最初のころは「これはアンコール用」って曲があった。
 A1にはなんたって「AKB48」があった。

いとしのAKIBAは石丸・ソフマップ

 今となっては潰れちゃった店も少なくないけど、AKBとアキハバラの結びつきを実感させる数少ない曲(AKB48ってさ、秋葉原にシアターがあってさ、そこに行くとホンモノに会えるんだってさ。知ってた?)。


 A2のEN1は、「未来の扉」。
 この曲、ちょっと聞いただけではアンコールっぽさは感じられない。でもステージ見ると、後半の長い間奏の時、メンバーが2人づつ組になって思い思いの「ごあいさつ」をするところなんか、アンコールっぽい。そう、CinDyとなっちゃんのハグもここ。


 K2のEN1は、「約束よ」。
 「今は別れの時だけれど、必ずもう一度会おう」という約束の歌。そう考えると、公演のオシマイにふさわしい曲なのかもですね。


 で、A3のEN1。
 アンコール用のメドレー。歌われるのは、「会いたかった」「DMT」「桜の花びらたち」「スカート、ひらり」「AKB48」。


 最初のシングル3枚(とc/w)に当時の「テーマソング」。どれもアンコールの定番。
 

 でもアレンジはね、ちょっとアップテンポでヘビメタ風? インダストリアルロック風? とにかくカッコイイ風のリミックス。これもまたA3のテーマ(と僕が勝手に言っている)の「何か違うもの、何か新しいもの」だったんでしょう。


 イントロ、ドラムソロがずいぶん長く続く。12小節くらい?
 その間DVDでは劇場のヲタどもが何かおめいている。Call & responseなんだが、何だろうなあ、と思ってた。ひょっとして、と思ってこの機会にと調べたら、やっぱりそうでした。
 噂には聞いてたおーいぇこと大江朝美嬢謹製、Team A応援歌「Team Aパーセント」。
 ちょっと感動。

勢い止まらず青信号/そのまま自分のみちつっぱしれ
冷静 丁寧 正確に/それがあたしらチームA

 一部省略があって、

No A どっかーん/No Life どっかーん

 さすがヲタ「どっかーん」のとこで尺ぴったり、イントロにギターが被る。


 ライトが錯綜する中上手から下手へ全速ダッシュで駆け抜ける人影。誰だ? 増山か?  
 こんだ下手から上手へ跳ねながら走り去る人影。こりゃあ平嶋だ。


 続いて上手下手からわらわらメンバーが舞台に走りこんで飛ぶ踊る。とにかく動きの激しいステージだ。このペースのままメドレーが進んで、終盤「AKB48」と「会いたかった」が競うようにミックス。最後は全員の「会いたかったー」で締め。


 DVDでしか見ることのできない僕だが、こういうAKBも好きだなあ。


 ただ好みの分かれるところでもあったらしく「こんなんだったら1曲丸っと歌ったほうがましじゃん」みたいな意見もあった模様。時間も9分以上かかるしMIX打ちにくいし(でもDMTで何とかちゃんと打ってんのね、高速MIX。やはりさすが劇場ヲタ)。


 ちなみにN1のアンコールは、「Beginner」「チャンスの順番」「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」のショートヴァージョンと、開幕当時のシングル曲を素のままメドレー。


 ま、これなら会場ノリノリでMIXも全開にはなりやすく、ファンに親切な造りになっています。
 で、シメに「NMB48」フルヴァージョン。

愛しのなんばは/グランド花月
居酒屋たこしげ二見の豚まん

 …うむ。
 うまそうではある。

2011年11月23日 (水)

誰かのために8

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 やっと帰って来たよ~。
 長かったよ~。

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 「誰かのために」では、サビのリフレイン後にわざわざの風情でコーダがつけられている。
 いわく、

世界からすべての/争いが消えて
ひとつになる日まで/私は歌おう
愚かな戦争を/ニュースで観るより
声が届くように/私は歌おう

 前段は、争いが消えて世界がひとつになる日まで歌い続けるという決意。
 後段は、ちょっとわかりにくいが、要は「戦争を観ているだけの傍観者に留まることなく、(平和のために)歌い続けようという決意。
 どちらも生半(なまなか)な覚悟で言えることではない。


 秋元先生、本気なの?
 

 大方の識者は否定的なことを言うのだろう。でも僕は、本気なのだと思う。


 この歌が書かれたのは2006年。この頃、湾岸戦争のような日本国民が忘れられなくなる戦争は世界にはなかった(もちろん世界のどこかで、日常のように戦争は起こっていた。日本人の興味を引くような戦争がなかっただけだ)。だからその時にこの言葉に切実な需要があったわけではない。


 「ファンが聞きたい言葉」?
 当時シアターに連日通い詰めるヲタどもが「秋元今時代は反戦歌でショ」って言ってた?
 「歌手が歌いたい言葉」?
 当時AKBのリーダー格だったあゆねえが頼んだ? 「センセイ私たち反戦歌歌いたいです」って?


 どっちもないよね。
 だからこの言葉は間違いなく秋元康の言葉だ。
 

 秋元は、これまで「自分の言葉」ではなく、ファンや歌手のニーズに応えた詞を書いてきてた。その手法で成功を納めてきた。でもAKBをゼロから作り上げ、育て、はじめて「自我を投影」する対象が出来たんじゃないだろうか、と僕は思う。そういう対象って「自分のこども」みたいでしょ。然り。AKBは秋元が手塩をかけて育ててきたこども。
 大事なこどもに、嘘の決意を歌わせるわけにはいかないでしょ、パパとしては。
 

 それに、昨今の秋元くらいになると、自分の欲するところの言葉を書いても、それが大きく人々のニーズから外れないようになっているんじゃないかな。まだ七十には遠いけど「從心所欲不踰矩」 の境地。


 そして何よりも思うのだが、彼は昔から本当にこういうことを思っていたんじゃないのかな。
 「戦争よなくなれ、世界よひとつになれ」って。
 かつてはそれをストレートに言うことが出来なかった。
 やっと今、素直に言葉にする用意ができた、ということなのでは。


 さて、これは「成熟」と呼ぶべきものか? 


 つらつら思うに、先生、成熟と言うよりむしろこども返りしてるようでもある。


 なにしろ放っておいたらそのうちに

戦争のない国に生まれ育って/平和とは何か考えもせずに
地球上のすべての人たちを/しあわせにするその理想には
あまりに僕は無力と知って/誰かヒーローになる日を待った

 なんてファンタスティックなことを言い出しちゃうんだぜ。
 高校生だって「地球上のすべての人たちをしあわせにする」なんてなかなか言わないでしょ。


 やっぱ若い子たちのエキスが効くのかねえ、ベンジャミン・バトンしちゃったみたい。「永遠の高校生」とか言われちゃってたけど、今やそれを飛び越えてまるで中学二年生。


 中二に戻った秋元少年。
 揶揄している訳じゃない。
 僕はそれをむしろ好もしく思っている。たっくさんの女の子たち(うーん、麻里子様も含めると微妙な表現だが)の、ある意味子どもっぽいを一手に引き受けているおっさんなのだから、中二病くらい再発するだろう。


 それにしてもたくさんの夢だ。
 「戦争のないひとつの世界」ほどファンタスティックではないが。
 それらを叶えるのに必要なのは、Faith Trust and Pixie Dust(信じる心と妖精の粉)。ただし必要なPixie Dustは相当量にのぼるな、こりゃ。


 シビアな話をするなら、10年後、彼女たちの9割以上の名前は忘れ去られているだろう。
 秋元康は斯界に生き残っているだろう。
 彼の中の「大人」は、そのことを誰よりも熟知している。彼女たちがどんなに頑張っても生き残れるのはごくごくわずかだ。


 それでも「夢は、かなう」という秋元少年のその言葉に、たかみなはついて行く。そしてその後ろに続くのは2種類のメンバー


 彼女たちのどんな夢でも、真摯に引き受けている限り、そのファンタスティックな夢ごと僕は秋元少年を支持する。たとえそのために、到底ここで言葉にすることが出来ないほど過酷な運命が彼女たちを翻弄し、深い傷を刻みつけることになったとしても。


 誰かのために。

2011年11月20日 (日)

誰かのために7

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 とうとう「その7」だよ「誰かのために」。誰のためだよホントこれ。
 
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 秋元康は、作詞をする時に「自分の身をひとつも切ってない」と、岩崎"もしドラ"夏海は語った。


 「自分が語りたい」言葉ではなく、「ファンが聞きたい」言葉、「歌手が歌いたい」言葉を書く、というのは、プロの作詞家としてとても正しいことだと思う。
 注文を受ければ「脱原発」の歌くらいちょろちょろっと書いちゃうだろう、それも「原発賛歌」を書いた翌日に。それがプロだ。それは決して恥ずべきことではない。プロが恥ずべきは売れないことだ。


 でもその言葉の中に、秋元はホントにいないのだろうか?
 

 秋元は、副学長を務める京都造形芸術大学のホームページで、

私は芸術家ではありません

 と前置きした上で、「芸術家とそうでない者の違い」について次のように述べている(原文に改行を加えました)。

 (2つあるレストランのうち)1つのレストランでは、シェフが”自分が作りたい料理”を作っています。心の内から湧き起こる創作意欲がメニューを決めています。そのレストランがどこにあろうが、前をどんな人たちが通り過ぎようが気にしません。
 もう1つのレストランでは、シェフが”みんなが食べたい料理”を作っています。一人でも多くの人たちに食べて欲しいと思っているので、店のロケーションや前を通り過ぎる人たちを観察しながらメニューを決めています。
 いささか極端ですが、前者が ”芸術家” であり、後者が ”芸術家ではない人” だと思っているのです。

 確かにいささか極端だがわかりやすい「芸術家論」だ。
 

 ここでも秋元は、自分は芸術家ではなく、それゆえに「自分が作りたい」ものではなく、「一人でも多くの人たち」の口にあうものを作ってきたという。


 でもねえ秋元シェフ、どんなに自分を抑えて人々の口に合わせようと料理を作っても、そこには紛れもなくあなたの「味」がちゃーんと出ちゃうんですよ。あなたが芸術家であろうとなかろうと、僕は、その「味」が好きだった。


 芸術とは、つくる人のありようだけではなく、むしろそれを受け取る人との相互作用の中に生まれる。
 井戸茶碗を焼いた朝鮮の陶工は、それを倭国の国宝にしようと土を捻ったわけではないぞ。


 「文は人なり」。何しろ「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰」めっちゃうほどのチカラが歌にはあるんだもの、そこに「その人」が出てこないわけがない。


 1991年に僕は「情けねえ」に心を震わせた。それは本当のこと。
 芸術とは言わないけど、身過ぎ世過ぎ以上の何かがそこには確かにあった。


 あの時秋元康は、世界に向かって声をあげるにはまだ若すぎた。年若い才人にありがちな含羞や自己韜晦もあったろう。斜に構えた薄ら笑いで守らなければならない弱さを、自分の中に抱えていたのかも知れない。


 でもおのれの言葉の力はもう知っていたはずだ。
 知っていてその切れ味に恐れをなしたか、または切り方に迷いがあったか。振るった言葉の刃をことさらに鞘に収めようとした。


 それにしても、戦争に直面して右往左往する日本に対して

人生の傍観者たちを俺は許さないだろう

 とは、ついほとばしってしまったにせよあまりにも鋭すぎる切っ先であった。


 それから20年後、日本を襲った文字通り未曾有の災害を前にして、秋元はもう一度世界に向かって語った。
 薄ら笑いの代わりに穏やかな微笑をたたえて。
 傷ついた人々にそっと寄り添うように。 

何かを背負わせてほしいよ 傍観者にはならない

 何の衒いも気負いもなく。他人を責めることもなく。
 静かに実直に自分の決意を語った。


 ここでも彼は「自分の身をひとつも切っていない」?
 馬鹿言っちゃいけない。ホントにそう思っているのなら、製品の品質管理に関するドラッカーの著作を100回読み直した方がいい。


 もっとも、ドラッカーなど読まなくても、たかみなに聞いてみればそんなことはすぐにわかる。
 高橋みなみとはAKB48のことであり、AKB48とは創造神兼破壊神アキモトそのものである。
 AKBを切るとたかみなとアキモトから赤い血が出るんだぜ。
 そうだろ たかみな?
 だからみんな、あの冴えないおっさんに夢を預けてるんだろ?


 そして「誰かのために」。

世界からすべての/争いが消えて
ひとつになる日まで/私は歌おう
愚かな戦争を/ニュースで観るより
声が届くように/私は歌おう

 やっと帰って来たね。いったん2011年まで飛んで、やっと懐かしの2006年だ。あともうちょっとだ。

2011年11月19日 (土)

誰かのために6

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 何でペラペラフラゲできなかったんだろ、Amazonさんどうしちゃったんだろ。
 と思ってたら、発売当日にこれと抱き合わせの配送でした。
 いつもは同じ日に何箱も送って寄越しやがって、まとめて送れよゴルァなのに。こういう時に限ってわざわざご高配ありがとうございましただよね。いやいや怒ってませんよ。

 
 ところで今回はAKBの話ができるのだろうか。

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 1991年、とんねるずが歌って大ヒットした「情けねえ」。
 湾岸戦争をテーマにし、「傍観者」たちをスルドク批判するシリアスな内容は多くの人々の心を揺さぶった。
 でも、詞を書いた秋元康自身はどれくらいシリアスだったのだろう。


 前回、この曲がヒットしたのは、

当時人々が求めていた「言葉」がこの歌の中にあったからだったんだろうと思う。

 と書いた。


 秋元の作詞の手法について、マックウインさんとこで、秋元の弟子? 助手? 使いっぱ? 取り巻き? だった岩崎"もしドラ"夏海の言葉が引用されている。

秋元さんは、作詞の方法はふたつしかないっておっしゃるんですよ。
一つは、歌手にその歌手のファンが言ってほしいことを言わせる。
もうひとつは、その歌手の方が言いたいことを言わせる。

 つまり秋元が作詞をする時は、「自分が語りたい言葉」ではなく、「ファンが聞きたい言葉」か「歌手が歌いたい言葉」を書く、と。そのどちらかであれば、確かにある程度の需要は見込める。
 そして1991年、「情けねえ」という言葉には大量の需要があったわけだ。

 
 でもそれは、必ずしも「秋元康が語りたかった言葉」である、とは限らない。
 多くの人々の心を掴んだ「情けねえ」という歌に、彼の「自我が投影されて」いたか。もっと言うと、その言葉に秋元の魂はこめられていたのか。

 
 んー、んなこと言われたら、秋もっちゃん弱っちゃうよねえ。


 だってこの歌、そもそもパロディだったんだもん。ぶっさんの「ろくなもんじゃねえ」のパクリ本歌取りだったんだもん。Wikipediaにそう書いてあったもん。


 「この世の全てはパロディなのか」という「情けねえ」の歌詞は、言い訳Maybeでもあると同時に、聞く者に「おいおい秋もっちゃん、そりゃこっちのセリフだよw」と突っ込みを入れさせるお約束のフリでもあった。
 とんねるずのファン層ならそこのとこの呼吸はよくわかってるんだけど、幸か不幸かこの歌はその層をはるかに超えて受け入れられてしまった。


 何しろ紅白だぜぇ。
 大晦日、当時の日本の不甲斐なさを心中嘆いていた戦中派のおじいちゃんが、とんねるずの歌を聴いて感涙にむせんだ…というエピソードの一つや二つはあったろう(もっとも、とんねるず自身はなるべくシリアスにならないように、相当おふざけな演出をしたんだけどね)。


 駄菓子菓子
 秋元はさらに言い訳を重ねる。


 後にこの曲は、とんねるず8枚目のオリジナルアルバム「みのもんたの逆襲」に収録されたが、その際「みなさんのおかげですヴァージョン」と名付けられ、歌詞の第2スタンザに大幅な変更が加えられた。少し見てみよう。


 なお引用するにあたり、同ヴァージョンの歌詞が掲載されているサイトが見つけられなかったため、長文になってしまうことについて、カスラックはこっち見てんじゃねえぞ関係者にはどうかご寛恕賜りたい。

"みなさんのおかげです”/笑ってていいのかい?
激動のこの時に

遠い国のふしあわせ/対岸の火事なのか?
そんな歴史の涙さえも/俺は ギャグにするだろう

情けねえ/もうすぐ30だ
情けねえ/オチがないと不安で…
悲しい性さ 俺たち/嫌いじゃない お笑い
この世の全ては パロディなのか

 一読してわかるように、「情けねえ」のは誰かというと、「オチがないと不安で『歴史の涙』さえもギャグにしないではいられない、悲しい性をもったもうすぐ30になる」俺たち、すなわちとんねるず自身のことであるという歌である。


 皮肉にもこっちの詞には、当時の秋元の自我が色濃く反映されているように見える。


 「いやあ、『情けねえ』大ヒットしちゃって、賞を貰っちゃって、紅白まで出させていただいて、ありがたいのはありがたいんですが、あんまりマジにとられてもナニかなーと。
 別にニホンの国のことを真っ向から批判したり、戦争に賛成とか反対とか、そういうでかいこと物申すなんて腹は全くないんすから。
 なにしろシャレですからシャレ。ねねね。何でもギャグにしないといられないうちらが『情けない』ということで、ひとつ、ここんとこは、ね。こんどバーンと、いっしょにシーメーでも」みたいな。


 まあ、こんな感じ。


 要は、ホンキじゃないんですよ、と。


 こういうのよく覚えている人は、「アキモトが反戦歌? そんなのショーバイに決まってんじゃん」って言うだろうなあ、というのはよくわかる。


 と、ここまでヒドイことを書いておいて何なのだが、それでも僕は「情けねえ」という歌が好きだった。元歌の方ね。


 岩崎"もしドラ"夏海によれば、秋元の詞には「自我が投影されていない」、だからこそ「いつまでも枯れないで現役を続けられる」「自分の身をひとつも切ってないから、40年たってもアイデアが枯れようがない」であるという。秋元は「シラケ世代のど真ん中だから、世代的にも冷めている」し、「ハングリーさとも無縁」である、とも。

 
 なるほど、いちいちうなづける理屈ではある。
 じゃあ、1991年の「情けねえ」の中には、秋元康の「身」のひとかけらも込もっていなかったのか?
 

 僕にはどうしてもそうは思えないのだ。

--

 えーん、今日もAKBの話にたどりつけなかったよー。

2011年11月16日 (水)

誰かのために5

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 何だか泥沼にはまって、AKBからどんどん離れていってしまっている感がなきにしもあらず。
 ま、昔っから戦争と泥沼化は切っても切れない縁があるようで。


 1991年。
 湾岸戦争を踏まえ秋元康は「情けねえ」を書いた。曲はバクハツ的にヒットし、とんねるずはその年の日本歌謡大賞を受賞、紅白初出場も果たした。


 何でこんなに売れたのかと言えば、曲や演者がよかったのはもちろんだが、何より当時人々が求めていた「言葉」がこの歌の中にあったからだったんだろうと思う。


 「情けねえ」。


 確かに情けなかったんだよ、当時の日本。


 戦争賛成派(というか戦争仕方ない派)にしてみれば、「この戦争は国際秩序維持のためには正当で必要な戦争。日本は国際社会でもっと責任を担うべし。そのためにはお金だけ出すのではなく、人的貢献もすべし。それが出来ない国は情けない」。


 戦争反対派にしてみれば、「戦争に正当も不当もない。日本は戦争に一切荷担すべきではないし金も人も出すべきではない。あくまで独自の立場で平和を目指すべし。それができずにアメリカの言いなりになってる国は情けない」。


 どっちを向いても「情けねえ」。
 

 でもねえ、正確には「情けないというヨロンが、日本中を覆っていた」ということだったんだと思うよ。
 ホントは日本は日本のやり方で出来ることはしていたと思うのね。昔も今も日本のことを悪く言うのがマスメディアの手法だから、僕もそれに乗せられていただけなのかも知れない(当時はテレビと新聞しかニュースソースがなかったから。今から思うとひでえ状況だよね、それって)。


 そういやこないだ松井Rの頬を張り飛ばしたアントニオ猪木。開戦直前に戦争を止めにバグダットに乗り込むって一幕もあったんだっけ。失敗したけど、やっぱある意味すんごい人だよな、あの人。


 そんな時、とんねるずの歌は国民の気持ちを代弁しているようだった。

情けねえ 自由が泣いている/情けねえ しょっぱい血を流し
お似合いだぜお前にゃ 口を閉ざしてお休み
鎖につながれた子犬のように

 うん。かっこいい歌だった。でも冷静に考えて、この泣いている「自由」っていったい誰の自由だったんだろう。


 イラクに蹂躙されているクエート国民や、「独裁者」フセインの圧政に苦しんでいるイラク国民の自由か。
 それとも石油利権を守るため戦争をしかけたアメリカの横暴に震えるアラブの民の自由か。


 秋元はどちらだとも明言してないんだよね。

みんな時代のせいだと 言い訳なんてするなよ
人生の傍観者たちを俺は許さないだろう

 ただ「口を閉ざし」「言い訳」をし、「傍観」している日本を「情けねえ」と断じていただけで。


 彼は、つまるところ戦争賛成でも反対でもなかった。ただ人々が聞きたいと欲している言葉を書いただけだった。人々が状況に感じているフラストレーションを、言葉に移して掲げて見せただけだったんだ。


 だから、この曲が大ヒットしてちょっと弱っちゃったんじゃないかな、秋元先生。
 そんなにシリアスにとられちゃ困るんですよ。だってそもそもこの曲自体、長渕剛のパクリ本歌取りなんだもの。シャレなんですからシャレ、やだなあ、マジになんないで下さいよ。


 余談だけど、今でこそ長渕はAKBにブチ切れてるけど、昔は秋もっちゃんとぶっさんって仲良かったんだよね。2人とも売れる前でぎらぎらした野心と傲岸不遜な若さがあって、互いに溢れる才能を認めあってた。いつか俺らで天下取ってやるって感じで。
 

 長渕の曲に限らず、とんねるずってそのころパロディ風の歌ばかり歌ってた。この辺の状況をWikipediaが上手にまとめている。

「一気!」から秋元康がほぼ彼らの音楽活動に関わっているが、その戦略は「○○風」。原曲が存在した上でパロディ=フェイクの趣向としている。

・「心めぐり」=「岬めぐり」山本コータローとウイークエンド

・「情けねえ」=「ろくなもんじゃねえ」長渕剛

以上など原曲の特徴やサビなどが盗作の範疇に入らない程度でそのままあしらわれてアレンジされている。ポイントはとんねるずの世代背景を踏襲していることで、彼らの支持層の若者はこれらの楽曲を知らずに素直に評価する。またとんねるずと同世代か上の世代はこれを聴いて「ニヤリ」とする。

 「これパクリだろ!」って目くじらを立てるような人には、「やだなあ、シャレですよシャレ」と言い逃れができるような作りになっていた。
 でも、お笑いコンビが副業でちょろちょろやってる間はご愛敬で済んだのだが、「情けねえ」は大ヒット。しかも内容はシリアスに聞こえる。おまけに紅白初出場なんて日にゃ、「シャレでございます」じゃ通用しない。


 たぶんあらかじめその辺まで考えて、秋元は歌詞の中に「この世の全てはパロディなのか」と言い訳Maybeなヒトコトを入れておいたのだが、それはそれで才気走りすぎてあざとかった。
 そこで秋元はさらに言い訳Maybeを重ねて行く。


--


 昨日はペラペラフラゲもできず。
 新譜ラッシュで沸くなか、普段でさえ2006年界隈でふらふらしているというのに、1991年から帰って来られないよ。
 でも僕のゴーストが言うのよ。今、語っておけって。

2011年11月14日 (月)

誰かのために4

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video

 ええええええ?
 秋元康が反戦歌?

愚かな戦争を/ニュースで観るより
声が届くように/私は歌おう

 うん、確かにこれじゃまるで反戦歌だ。


 AKBに出会うまで秋元康なんて見たことも聞いたこともなかったって層(おそらく現在のAKBヲタのメインストリームなんだろう)にとってみれば、「え、秋Pが反戦歌書いたっていいじゃん」「さすが秋元先生、深い」くらいの反応なのだろう。


 でも僕をはじめ、AKB以前の秋元康を知っている口から言わせれば、やっぱり「えええええええ?」なのである。だっておニャン子のころの秋元ってこんな感じだったんだぜ。


 そんなアキモトが反戦歌とな。


 ここでちょっと、Wikipediaの「反戦歌」の項をチェックしてみましょう。するとほおら

日本の主な反戦歌
 …
目撃者:AKB48(2010年) - デモ隊への治安部隊の実力行使と犠牲者の発生などが歌われている。
僕にできること:同上(2011年) - 敵国とも話し合う事の大切さが歌われている。

 ね。「我らがAKB団結48」が反戦歌ケッコウ歌ってるでしょ。僕が編集したわけじゃないですよこれ。僕だったら「誰かのために」も入れちゃうもん。


 AKBにはこれら以外にも、「ロックだよ、人生は」「Stand up!」「街角のパーティー」「夢の鐘」など、 詞を読むと反戦歌風の歌が少なくない。
 

 はい。やっぱり、あのアキモトが反戦歌なんですよ。


 ここでいわゆるギョーカイ関係者の集う方面から、「ちっ」と舌打ちをする音が聞こえて来た気がします。


 「アキモトが反戦歌なんてホンキで書くわけ無いじゃん。要するにそういう風なポーズをしたかっただけなんでしょ。何かショーバイの匂いがしたんじゃないの?」


 うわっ。ずいぶんな言われよう。これもセンセイの人徳なんですかねえ。
 

 特に秋元康よりちょっと年上、いわゆる「団塊」のおっさんたち(トップは薄いのに、サイドとバックだけはどうしても長くしておかなくては気が済まない髪型に固執して、たまにマオカラーのジャケットを着るような…あ、俺、これ前にも書いたっけ)から言われそう。


 「僕らはホンキで世界を変えようとして行動したけど、アキモト君の世代って口だけだよね」
 「彼の言葉には『真実』が無い。彼が書くのは売れる言葉だけだ」
  

 うわあ、コワイコワイ。これ読んだら秋元先生気い悪くするかな。それともニヤリとして「そうだよねー」って言うかな。たぶん後者だろうなあ。そうゆう態度だからまたこういう事言われるんだよなあ。


 秋元康は、以前にも反戦歌風の詞を書いたことが何度かある。


 たとえば盟友後藤"ゴッキー"次利が作曲し、とんねるずが紅白歌合戦初出場&日本歌謡大賞受賞を果たした大ヒット曲、「情けねえ」。もっとも日本歌謡大賞は翌々年に潰れちゃうんだけどね。


 1991年。


 高橋、板野、前田、柏木をはじめ、後にAKBのゴールデンエイジと称される少女たちが続々と産声を上げた年、世界は戦争で忙しかった。


 金はあった。
 後方視的にはバブル景気はすでに崩壊過程に入り、景気動向指数はすでに下向きに転じていたが、路線価はまだ上昇傾向で、土地の価値はまだ「神話」に守られていた。人手不足はいまだ深刻で、有効求人倍率は常に1以上、業種によっては2倍から3倍のところもあった。


 金融機関は資金が余って借り手を求めて東奔西走していた。どんなアヤシイ筋の融資案件にもたやすく金がついた。
 そんな浮かれ気分に冷や水をかけるように、突然起きた中東の危機。


 東西冷戦の終局が見え始め、世界の枠組みが大きく変わりつつあり、既存のシナリオが全くないまま起きた戦争。しかも場所は中東という日本の国益にとてつもなく重大な意味を持つ地域。
 湾岸戦争という国際政治の切所。刻々とテレビに映る「生中継の戦争」の衝撃に、政治家もマスメディアも国民も、日本中が右往左往していた。
 日本はどう振る舞ったらいいのか、全くわからなかった。


 国の態度を決められず、戦地に残された自国民を自らの手で救助することができず、多額の戦費を多国籍軍に支払ったにも関わらずクエート政府の感謝決議の中に日本の名前はなかった。


 国内では戦争への賛否を巡って激しい論争が起こり、するどく対立した。
 しかし両者とも当時の日本の態度が「情けない」という認識では、みごとに一致していた。


 そんな時に秋元康が世に送り出したのがこのだった。

暖かい日だまりで眠ってていいのかい
激動のこの時に
遠い国のふしあわせ 対岸の火事なのか
そんな歴史の涙さえも 誰も見逃すつもりか

 この曲は、とんねるずの番組のエンディングテーマでもあったが、曲の間、番組とは関係なく画面には湾岸戦争のハイライトシーンが映し出されていた。

情けねえ 自由が泣いている
情けねえ しょっぱい血を流し
今振り上げた拳は芝居じみた正義さ
この世の全てはパロディなのか?

 カッコよかったんだよなあ。僕確かCD買ったんだ。たぶん8cmCD。
 秋元後藤のゴールデンペアは、それまでにもとんねるずにいろんな楽曲を提供して来たけれど、こんなにストレートに響くメッセージを歌ったのは初めてだった。


 でもそれは、思ったほどそんなにストレートなものじゃなかったんですよ。

2011年11月12日 (土)

誰かのために3

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誰かのために/人は生きてる 私に何が/できるのでしょう?

 以前にも書いたが、会ったこともない「誰か」のために、人は時に命すらかけることがある。


 どんな犬でも仔犬がいじめられたら吠えるだろう。カラスは仲間を傷つけた人の顔を覚えて付け狙い、復讐の機会をうかがうという(ホントかね)。


 でも親族や知人のためではなく、見たこともない「知らない誰か」のために何かをする、というのは人間だけ。これこそ人間らしい行いと言っていいと思う。


 もっともこれが常にいい方向に働くかというと、そうでもない。


 見たこともない抽象的な「国民のため」「祖国のため」「民族のため」「王様のため」「主義主張のため」「神様のため」、果てしない殺しあいをするのも、これまた人間だけ。兵隊さんはテッポウを撃ったりバクダンを落とす相手のことを別に恨んでるわけじゃないもんね。
 

 見知らぬ人を助けるのも、恨んでもいない人を殺すのも、どちらもとっても「人間らしい」行い。まあできるなら助ける方向で人間らしさを発揮したいものです。


 で、「誰かのために」。


 この曲が震災に対するAKBのキャンペーンソングに選ばれた時、「秋元は地震が来るのを予知してたんじゃないか」という言いがかりめいた話も出たんだって(うーん、ソース失念 追記:ソースっていうか、そういう趣旨の記事&コメントはありました。僕これを読んだんだな、多分)。でもまあそれくらいこの曲は災害直後の状況にフィットしていたというわけだ。遠く離れた見知らぬ人の苦境を思い、自分に何ができるかを問うことをテーマにした歌だもんね。


 でももちろん、秋元が地震のような天災を予知していたわけじゃない。彼がこの曲で想定していたのは、人災。要するに戦争。


 作曲は井上ヨシマサ。公演フィナーレにエース投入だ。


 曲の構成は、第1スタンザがAメロ(神様は…)Bメロ(私が生まれた日から…)サビ(誰かのために…)。
 間奏後の第2スタンザはAメロBメロサビサビ間奏サビと、サビを3回繰り返す。フツウはここでお終いなのだが、この曲ではこの後おまけの終結部(コーダ)が1節入っている。


 ちなみにここの歌い終わりのコードはたぶんB7。主音Eの曲だからVの和音のセブンス、つまりドミナントセブン。
 こっからトニック(E)に行って解決するとすっきりするんだけど、B7で終わられちゃうと、気分は放り出されたまんま(この辺中学の音楽で習って以来だ。理屈こねたくてちょっと勉強し直しました。ドミナント解決って言ってみたかっただけですスミマセン)。
 恐らくアレだね、秋元先生、ヨシマサ兄ィにワガママ言ってひとふし付け加えて貰ったね。
 「何か、歌が続くような感じの終わりのメロディ頂戴よ」って。
 よほど言いたいことがあったわけだ。


 で、このコーダにいわく 

世界からすべての/争いが消えて
ひとつになるまで/私は歌おう

 「世界からすべての争いが消えてひとつになるまで」。
 秋元センセイ、ずいぶん唐突に、ずいぶん大きなこと言い出したなあ。


 だってこの歌のこの部分に差し掛かるまで、「争い」なんて言葉も、それを連想させるような表現も、なーんにもなかったんだもん。


 それどころか、ここまで見てきたAKBのステージソング(公演曲のことなんだけど、なんか、こういう言い方が最近公式になったのね)のどれにも世界レベルの「争い」、要するに戦争について歌った曲はいっこもなかった。


 ちょっと昔だったら、「反戦歌」と呼ばれたかも知れないね。


 ええええ?
 秋元康が反戦歌?
 

 うん。秋元康が反戦歌、だ。

2011年11月10日 (木)

誰かのために2

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video
 その1はこちら


  A3もそろそろ大詰め。


 これまで公演タイトルの曲は、セットリストの前の方にあったが、A3のタイトル曲であるこの歌は、M-13、すなわち正規のプログラムのフィナーレ(ちなみにKII3のタイトル曲はなんとE-3、アンコールの3曲目。アンコールかからなかったらどうすんだ)。


 えー「制服が邪魔をする」「夏が行っちゃった」「小池」「月のかたち」と4曲続けてお聞きいただきましたけれど、いかがだったでしょーかー。いえーい。ありあとざいまーす。一通りトークがあって、「次は(ま、お約束のアンコールはあるんだけど、それは別として)最後の曲です。聞いて下さい。誰かのために」。
 

 公演もコンサートも、1回も行ったことないけど、この辺の流れはもうすっかり疑似体験しちゃってる気分ですね。僕の脳内シアターのA3、「ライダー」はオリジナルメンバーだし、大島中西成田増山だって健在。
 かてて加えて最近は山田だの山本だのナンバの連中が入れ替わり立ち替わり現れるから賑やかなことこの上ありませんて。
 

 しかしあれだね、ナンバってほんとトークのテンポやキレがいいよね。ま、ソースはN1と「見逃した…」だけなんだけどね。


 AKBのMCって、誰も拾わないボールがステージ上を転々とすることが多いのだけれど(あ、生で見てきたようなこと言ってスイマセン。オンデマで覗いてるだけです)、ナンバは必ず誰かが拾いに行って、弾ませようとする。で、弾まないと踏んだら素早く見切りをつける。


 特段面白い話が多いという訳ではないのだが、「すべった話」の後処理、いわゆるダメージコントロールがうまいのでぐだぐだ感が少ないんだろうなあ。


 AKBの場合、ダメコンという考え方自体が無いというか、致命傷を負った僚艦が沈んでいくのを遠巻きに眺めている風情のことすらあるもんね。それが味わいっちゃ味わいなんだが。


 さて、「誰かのために」。


 A3ではメンバーが白いワンピースに着替えて登場。デコレーションが目立たないそのコスチューム、当時のレポには「ナース風」と書かれたものが多かったが、そう見えなくもない。もっともこんな可愛らしいナースが揃っている病院は見たことがないが。若葉会総合病院だってこんなに粒ぞろいではなかったよね。


 天から降り注ぐ光が、真っ白な少女たちを照らし出す。ナースを思い起こさせるの衣装だけではなく、「白衣の天使」という言葉が自然に浮かんでくるような光景。前曲がダークだっただけにコントラストが鮮やかだ。


 曲はじめは手を降ろしているが、イントロが終わると正面を向き両手でマイクを持って歌い始める。その姿は祈りを捧げているようにも見える。


 N1のコスチュームも白だが、A3と違ってノースリーブ。生地にプリーツの入ったサマードレス風で、ナースには見えない。ウエストの細い紐がアクセントになっている。A3よか金かかったおしゃれな衣装だぞ。


 こちらはイントロの間、胸の少し下のところで両手でマイクを持っており、これもお祈りをしているみたい。
 Aもナンバもお祈り風なのは、歌い出しから

神様は人々のその背中/いつでも見ていると聞かされた
そう どこの誰にでも平等に/愛を与える

 と神様が出てくるからなのかもね。
  

 第1スタンザが終わると間奏。思い思いに抱き合ったり、手を繋いだり。A3の峯岸は戸島と何やら話し込んでる。みいちゃん花ちゃん何話してるんだろ。その間にMC居残り組がこそっとステージに登場。


 そういやこのころTeam Aって20人いたんだよね。MC組が抜けてても人数が少ない感じしないわけだ。


 N1だと、MC組が8人いるので、この曲の歌い出しは8人。すごく少ない感じ。
 その代わり間奏の時はおおっぴらに8人が入ってくる。「おかえりー待ってたよ-」みたいな感じでこれはこれでよい演出。


 2度目の間奏、メンバーが横一列に整列、下手から思い思いのポーズ。


 この時、A3では、「ライダー」で見られたようなHand on heartや、指を組んでの祈りのポーズなどが多い。CinDyは手のひらを上に向けて揃えて前に伸ばしている。表情は主に真顔。

 一方、N1は笑顔で「うふっ」とか「きゃっ」という擬音が似つかわしいようなカワイいポーズ。足を組み替えたりもしている。


 Aには敬虔な雰囲気があり、ナンバはコケティッシュな印象を受ける。


 どちらがいい、というのは好みの問題になるだろう。
 でも僕の目にはりりしい篠田のHand on heartや、峯岸の黙祷のような祈り、そしてCinDyの手の何かを訴えたげな表情がこの歌にとても似つかわしいものと映った。

誰かのために/人は生きてる
私に何が/できるのでしょう?

 モニターの中からそう尋ねるTeam Aのメンバーたち。

Pray_2

 この時の彼女たちは、およそ5年後未曾有の大震災が日本を襲い、誰もが「自分に何ができるだろうか」と自らに問いかける日が来るとは知るよしもない。


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